第78話 星の記憶
世界樹の深淵迷宮、最下層。
星の生命力と、重く淀んだ千年の呪いが入り交じるその最深部の中央に、淡く発光する湖に浮かぶ『精霊の祭壇』はあった。
「ステラ、しっかりしろ……! 今、種を使うからな!」
ルシアは血に染まったステラをそっと祭壇の石舞台に寝かせた。彼女の呼吸はすでに浅く、白い肌には黒い葉脈のような呪いの痣が、心臓に向かって無数に侵食している。
「急ぎな、ルシア! あの子の魔力回路は、もう完全にパンク寸前だ!」
マイヤが巨大包丁を突き立てて叫ぶ。
ルシアは震える手で、エルフの長老から託された、星のように眩く輝く『世界樹の種子』を取り出し、ステラの胸元へとそっと置いた。
カッ……!!
種子がステラの血と呪いの瘴気に触れた瞬間、祭壇全体が共鳴し、目を開けていられないほどの強烈な緑光が最下層を包み込んだ。
光は液状に変化し、ステラの胸から体内へと、吸い込まれるようにして沈んでいく。
――熱い。痛い。苦しい。
ステラの意識は、圧倒的な緑の光に満ちた精神世界の中をたゆたっていた。
そこは彼女自身の内面でありながら、同時に『星の歴史』そのもの。千年間、呪いを浄化し続けてきた世界樹の、途方もなく巨大で冷徹な【森の意思】が渦巻く空間だった。
『……人の子よ。お前は、自らの内に【災厄】を飼っているな』
脳内に直接響く森の意思に、ステラは自身の焼け焦げた魔力回路の奥を見つめた。
そこには、赤、青、緑、黄――全属性が混ざり合い、星を砕くほどの暴力的で莫大な『本来の魔力の嵐』が吹き荒れていた。
幼い頃から、彼女はこのバカげた威力のせいで周囲から化け物と恐れられてきた。
『お前は、己の莫大な力を恐れるあまり、必死に制御の特訓をし、出力を極限まで抑え込むことで惨劇を回避してきた。……だがその結果がどうだ?』
森の意思が、無情な幻影を映し出す。
それは――古代エルフの亡霊が張った結界の前で、ルシアと二人生き残るための選択を迫られたステラの姿だった。
『お前の抑え込んだ魔法では、結界は破れなかった。かといって、本来の莫大な魔力を解放すれば、制御できずに隣の仲間ごと消し飛ばしてしまう。ゆえにお前は、己の命を捨てる「呪いの同調(吸収)」を選んだ。……自らの力への恐怖と、人としてのちっぽけな感情が、お前を殺したのだ』
森の意思が、重圧となってステラの魂を押し潰そうとする。エルフの長老が言っていた「自我が飲み込まれる試練」とはこれのことだった。
『自我を捨て、森と同化せよ。精霊へと還れば、もはや力に怯えることも、仲間を想って痛みに泣くこともない。完全なる器となりて、その暴風を鎮めよ』
ステラの意識が、心地よい緑の光に溶けそうになる。
だが。
(……違う)
ステラの魂が、力強く光を弾き返した。
「私が魔法の出力を絞る特訓をしてきたのは……ただ力に怯えていたからじゃない!!」
ステラは、自身の内側で吹き荒れる莫大な魔力の嵐を真っ直ぐに睨みつけた。
「私がルシアくんを巻き込まないために力を抑え、身代わりになって呪いを吸収したのは……彼らと一緒に旅がしたかったから! みんなを守りたかったから!! 人としての感情があったからこそ、私は今日までこのバカげた魔力を抑え込んで、必死に『制御』の形を学んでこれたんだ!!」
彼女の叫びに呼応し、魂の奥底に沈み込んでいた『世界樹の種子』が爆発的な光を放った。
ステラは、精神世界で両手を広げ、己の全属性の魔力の嵐と、押し寄せる森の意思の両方を、真正面から受け止めた。
「私は自我なんて捨てない! ずっと出力を抑えるためにやってきた『精密な制御』を……今度は、この莫大な出力の100%全てに適用して、星の歴史ごと私が支配する!!」
ドクンッ!!
ステラの強靭な感情が、森の意思に完全に打ち克った。
清浄なる星の生命力が彼女の精神世界を白く染め上げ、発芽した世界樹の根が、彼女の焼け焦げた魔力回路を喰い破り、全く新しい『強靭な星の樹脈』へと強制的に再構築していく。
特訓で培った「完璧な制御技術」を、一切の出力低下なしに支え切るための【究極の器(エルフの秘術)】が、ついに完成したのだ。
行き場を失っていた全属性の魔力の嵐が、新たな器へと滑らかに流れ込み、彼女の体内を蝕んでいた千年の呪いを跡形もなく浄化していく。
「……おいおいおい、冗談じゃろ?」
現実世界の最下層。
宙に浮いていたフォニアが、思わず目を見開いて後ずさりをした。
「なんじゃ、この規格外の魔力密度は。空間そのものが、あの小娘の魔力に共鳴して震えておるぞ……! まるで、歩く大災害じゃな」
ゴゴゴゴゴォォォォォォンッ!!!!!
祭壇に寝かされていたステラの身体から、天を突くほどの巨大な【虹色の光柱】が立ち昇った。
炎の赤、氷の青、風の緑、大地の黄。すべての属性が完璧な調和を保ちながら、かつて彼女が恐れられていた「本来の莫大な魔力」を伴って、美しく螺旋を描いて最下層の暗闇を照らし出す。
やがて、虹色の光柱が静かに収束していく。
光の粒が舞い散る中、祭壇の上に立っていたのは、完全に呪いの痣が消え去り、白磁のような肌を取り戻したステラだった。
出力制限を完全に解除し、それでもなお、溢れ出るバカげた魔力を指先一つで完璧に統り(すべり)従わせている、圧倒的で静謐な存在感。
ステラはゆっくりと目を開けた。
その瞳の奥には、星屑のような虹色の光が微かに瞬いていた。
「ルシアくん。マイヤさん、テオくん」
ステラが、ふわりと宙に浮き上がりながら、透き通るような声で微笑んだ。
「……心配かけて、ごめんなさい。もう、大丈夫だよ」
ステラが、静かに深呼吸を一つした。
ただ、それだけだった。
ステラの肺に吸い込まれた空気が、彼女の強靭な器(魔力回路)を通って吐き出された瞬間。
シュワァァァァァァァッ……!!
最下層に充満していた、触れるだけで肉を溶かすほどの高濃度の瘴気と毒の霧が、一切の詠唱すらなく、一瞬にして『清浄で澄み切ったマナの空気』へと強制的に変換されたのだ。
周囲に纏わりついていた不快な重圧が完全に消え去り、エルフの森の奥深くにあるような、清涼な風が吹き抜ける。
莫大な火力を持ちながら、環境そのものをただの呼吸で精密に支配する。
これこそが、全属性の魔力を恐れず受け入れた真の魔法使いだけが至る究極の領域――【星霊魔法】の顕現だった。
「ステラ……お前……っ」
ルシアは全身の痛みを忘れ、祭壇から降りてきたステラを力強く抱きしめた。
「うん。……私、もう力を恐れないよ。この力で、絶対にルシアくんたちを守るから」
ステラはルシアの背中に腕を回し、嬉し涙をこぼしながら力強く微笑んだ。
自らの強大すぎる力を恐れて出力を絞っていた過去と、狭い空間で仲間を巻き込まないために命を捨てた悲壮な決意。その全てが報われ、最強の魔法使いがここに誕生した。
清浄なマナが満ちる最下層の中央。彼らの視線の先には、ついに一切の障害を失い、静かに脈打つ究極の食材――『世界樹の朝露』だけが、神々しい輝きを放ちながら残されていた。




