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剣士転生-たった一つの基礎魔法で世界を両断する-  作者: きゃみちゃま


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第74話 奈落の底

「うわあああああああッ!!」


生きた迷宮の縦穴を落下していく中、俺は空中でステラをきつく抱き寄せ、自らの背中を下にして落下軌道を調整した。

咄嗟に両腕と背中の筋肉へ、染み付いた『魔力圧縮』を限界まで叩き込む。


ドガァァァァァンッ!!!

凄まじい衝撃と共に、俺の背中が粘菌に覆われた硬い根の床に激突した。


「……ガハッ!!」

肺の中の空気がすべて弾き出され、口の中に鉄の味が広がる。エルフの『漆黒の小手』が余剰魔力を吸って激しく発光したが、それでも全身の骨が軋むような激痛が走った。


「ルシアくん!! 大丈夫!? 血が……!」

ステラが慌てて俺の上から退き、震える手で治癒魔法をかけようとする。

「……平気だ。骨は折れてない。お前は無事か?」

俺はよろめきながら立ち上がり、ステラを庇うように純白の剣を抜いた。


そこは、上層とは比べ物にならないほど濃密な、泥のような瘴気が底に溜まる「完全な暗黒」だった。

ステラが樫の杖の先端に小さな光を灯すが、その光すらも瘴気に押し潰され、数メートル先までしか届かない。


「マイヤさんたちの声……聞こえない。かなり深い階層まで落とされたみたい……っ」

ステラが恐怖に震える肩を抱きしめた。

俺たちの頼みの綱だったマイヤの料理も、テオとアマルの防御陣も、フォニアの底知れない知識もない。

文字通り、たった二人きりの死地。


カサッ……カサカサカサッ……。

息をつく暇もなく、暗闇の奥から無数の蠢く音が響き始めた。

光を嫌うように現れたのは、膨れ上がった腹部から猛毒の瘴気を滴らせる巨大な蜘蛛の魔獣、【瘴魔の絡新婦ミアズマ・ウィーバー】の群れだった。


「……来るぞ。ステラ、俺から離れるな!」


俺は純白の剣を構え、深く息を吸い込んだ。

(落ち着け。フォニアの言った『循環』だ。剣の重さに逆らわず、魔力を流すんだ)

俺は力みを抜き、迫り来る三体の蜘蛛に向かって、流れるような剣の軌道を描こうとした。


だが。

「シァァァァァッ!!」

蜘蛛の一体が、壁面を這い回り、俺の死角からステラに向かって直接、毒の粘糸を吐き出した。


(ステラが、死ぬ――!!)

その光景が目に入った瞬間、俺の脳裏から「魔力の循環」という繊細なイメージが完全に吹き飛んだ。

仲間の命が脅かされるという極限の恐怖と焦り。それが、俺の身体の奥底にこびりついた『力任せの制圧』という悪癖を無意識に呼び覚ます。


循環させようとしていた魔力操作が途切れ、咄嗟に右腕の筋肉へと強引に魔力を圧縮し直してしまう。

「ガッ……!?」

中途半端な魔力操作と、純白の剣の異常な重力。二つの力が腕の中で反発し合い、右肩の関節が「ゴキリ」と嫌な音を立てた。

「ぐぅううッ!」

狙いは大きく外れ、剣は毒糸を強引に叩き斬ったものの、その反動で俺の右腕の毛細血管が弾け、エルフの小手の隙間から鮮血が噴き出した。


「ルシアくんッ!!」

「来るなッ!!」


俺は激痛の走る右腕で必死に剣を振るい、群がる蜘蛛たちを『力任せ』に両断していく。

フォニアの言葉を頭で反芻しても、ステラに危険が迫るたびに、どうしても身体が一番確実な「過剰出力での制圧」を選んでしまう。剣を振るうたびに俺の呼吸は荒くなり、腕の肉が内側から千切れそうになる。


その背後で。

ステラもまた、自分の震える両手を見つめ、血の滲むような焦燥感と戦っていた。


「私の魔力を……もっと深く、鋭く……っ!」

ステラは杖を両手で握りしめ、魔力を拡散させず、一本の針のように極限まで『圧縮』しようと試みる。


「『貫くフレイム・ピアス』!!」

ステラが放った極小の炎の槍が、瘴魔の絡新婦の眼球に向かって飛んでいく。

だが、その炎は高濃度の瘴気の壁をわずかに貫いた直後、プシュゥゥッ……と情けない音を立てて鎮火し、蜘蛛の硬い外殻を微かに焦がしただけで終わってしまった。


「嘘……そんな……っ」

ステラが絶望に目を見開く。


(ルシアくんは、自分の腕を壊しながら私を守ってくれてる。……なのに、私は! 魔法の威力を高めることもできずに、ただ守られてるだけの足手まとい……!)

ステラの目から、ポロポロと悔し涙が零れ落ちた。


「泣くな、ステラ! 前を見ろ!」

俺は息も絶え絶えになりながら、残った蜘蛛たちをどうにか全滅させ、その場に片膝をついた。

右腕は痙攣し、純白の剣を握る感覚すら麻痺し始めている。


「ごめん、なさい……ルシアくん、ごめんなさい……っ! 私が、弱いから……ルシアくんにばっかり怪我させて……っ」

ステラが杖を抱きしめ、嗚咽を漏らす。


俺は血まみれの右手で純白の剣を杖代わりに立ち上がり、ステラの頭にポンと手を置いた。

「……俺の方こそ、すまない。頭じゃ分かってても、お前に攻撃が向かうと、どうしても身体が力んじまう。……お互い、染み付いた癖を抜くのは時間がかかりそうだな」

俺が強がって笑って見せると、ステラはさらに顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。


だが、この過酷なダンジョンは、傷ついた二人が慰め合う時間すら与えてはくれなかった。


ズゥゥゥゥンッ……。


突如、空気が凍りついた。

今まで群がっていた蜘蛛の魔獣たちが、何かに怯えるように蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

代わりに、縦穴のさらに奥底から、とてつもなく「重く、冷たく、そして深い悲しみ」を帯びた魔力が這い上がってきた。


「……なんだ、今の魔力は。魔獣じゃない……もっと、明確な意志を持った『誰か』……?」

俺は震える腕で再び純白の剣を構え直した。


暗闇の奥、ヘドロのように堆積した瘴気の海から、ズズッ、ズズッと足音を立てて『それ』が姿を現した。


「……あ、ああ……」

ステラが、恐怖を通り越して、哀れみのような声を漏らす。


そこに立っていたのは、人間の形をしていた。

だが、その肉体は世界樹の黒く腐った根と完全に融合し、半ば樹木と化している。かつては美しかったであろう銀色の髪は泥にまみれ、長く尖った耳を持つその横顔は、千年の呪いに侵されてドス黒く変色していた。


身に纏っているのは、ボロボロに朽ち果てたエルフの古代装束。

そしてその手には、世界樹の枝から削り出されたであろう、強大な魔力を帯びた巨大な長杖が握られていた。


『……燃える。……森が、燃えている……』


その口から紡がれたのは、掠れた、泣き声のような言葉だった。

千年前、リフィアの炎から世界樹を守るために、自らの命を引き換えにして呪いを引き受けた『古代エルフの英雄』。その魂が、星の毒に完全に飲み込まれ、森に近づくすべてを「炎を放つ外敵」と見なす哀しき防衛機構バケモノと化してしまっていたのだ。


「……来るぞ。こいつは、今までの雑魚とは次元が違う……!」

俺の警告と同時。


『……外敵は、森の土に還れ……!!』


亡霊が長杖をドンッ!と地面に突き立てた瞬間。

俺たちの足元の巨大な根が爆発的に隆起し、鋭い木槍の嵐となって俺とステラを下から串刺しにしようと襲いかかってきた。


「くそぉぉぉぉぉッ!!」

俺は限界を超えた右腕に三度、強引な魔力圧縮を叩き込み、純白の剣で木槍の嵐を薙ぎ払おうとした。


だが。

ガキィィィィィィンッ!!!!


「なっ……!?」

俺の全力の一撃は、亡霊が展開した「幾重にも圧縮された古代の緑の結界」に完全に弾かれ、純白の剣がバチンッと跳ね返されてしまった。

(概念を斬る刃が、弾かれた……!? いや、違う! 剣の重さを活かしきれていない、力任せの俺の未熟なスイングが、純白の剣の威力を殺しているんだ!)


「ルシアくん!!」

ステラが俺を庇おうと前に出て、ありったけの魔力を込めて炎を放つ。

しかし、古代エルフの英雄は虚ろな目でその炎を見つめると、ただ長杖を一振りしただけで、周囲の瘴気を操作し、ステラの炎を一瞬で「凍結」させて粉々に砕き散らしてしまった。


『……弱き火よ。消え去れ……』


圧倒的な、力の差。

俺の力任せの物理攻撃も、ステラの未熟な魔法も、千年の呪いを凝縮した古代エルフの魔法バケモノの前には、赤子のように無力だった。


隆起した世界樹の根が、俺たちの四方を完全に囲い込む。

退路は断たれた。俺の右腕はすでに限界を超え、ステラの魔力も底を尽きかけている。


絶対的な絶望の暗黒の中で、俺たちは千年の亡霊が振り下ろす死の宣告を、ただ見上げることしかできなかった。

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