第72話 エルフの宝具
エルフの辺境村『エルトラ』の最奥。
天を突くほど巨大な世界樹の根元には、何重もの厳重な魔法結界が張られた「大扉」が存在していた。その前に立つだけで、扉の向こう側から漏れ出す重圧で呼吸が浅くなる。
「……ここが、世界樹の深淵迷宮への入り口」
俺は息を吐き出し、張り詰めた空気の中でその巨大な木の扉を見上げた。
「皆様。我がエルフ族の千年の過ち……その贖罪の第一歩として、我らの持ちうる最高の武具と知識を、どうかお持ち帰りください」
長老が深く頭を下げると、数人のエルフたちが重々しい装飾箱を恭しく運んできた。
箱が開かれると、清浄な魔力の光が周囲を照らし出した。
「こ、これ……僕たちが使っていいの!?」
テオが目を丸くして声を上げた。
そこに入っていたのは、淡く発光する特殊な金属のインゴットだった。
「その金属は『精霊銀』。極めて純度の高い魔力伝導率と、瘴気を弾く特性を持っています」
長老の言葉に、テオはすぐさま懐からアマルを取り出した。
「ルシアくん! これをバルゴさんの純鉄ギアに薄くコーティングすれば、迷宮内部の致死量の魔力濃度でもアマルの機構がショートしない『絶縁体』になる! すぐに組み込むよ!」
テオは一切の躊躇なく、その場で携帯用のバーナーと工具を広げ、アマルの最終調整に入った。
俺の元には、一組の『漆黒の小手』が差し出された。
古代樹の繊維を編み込み、強靭な魔獣の革で補強されたそれは、驚くほど軽く、手に吸い付くように馴染んだ。
「その小手は、装着者の余剰魔力を吸着し、筋繊維の断裂を防ぐ『魔力補正の防具』です。ルシア殿がその恐るべき純白の剣を振るう際、少しでも腕の負担を減らす助けになればと……」
「……助かる。これで、今までより数回は多く全力で剣を振れる」
俺は小手を装着した右手で力強く拳を握り込み、その確かな感触を確かめた。身体強化の圧縮に耐えうる、最高のサポーターだ。
一方、マイヤはエルフの薬草師たちを相手に、鬼気迫る表情で厨房の奥から持ち出した無数の小瓶を広げていた。
「いいか、アンタらの言う通り『世界樹の朝露』が星の生命力の極大結晶なら、それはもはや劇薬だ。そのまま口にすれば、細胞が破裂して即死する。……だから、あえて強力な『麻痺毒』を持つ魔植物の根や、粘膜を保護する『泥竜の油』を調合して、朝露の暴走を胃袋の中で強制的に中和する『下地』を作っておく必要がある」
エルフの薬草師たちが「そんな常軌を逸した調理法、聞いたことがない……」と青ざめる中、マイヤは己の包丁と幻の霊火による熱量だけを信じ、致死量のエネルギーをねじ伏せるための狂気の仕込みを続けていた。
そして、ステラ。
長老は彼女の前に進み出ると、小さな、しかし星のように眩く輝く『種』を一つ、そっと手渡した。
「ステラ殿。それは『世界樹の種子』。最下層にある祭壇を起動させ、貴女の魔力回路を昇華させるための唯一の鍵です。……しかし、どうか忘れないでください。祭壇はただ力を与えてくれる都合の良いものではない。星の歴史と同調する際、貴女の精神に途方もない負荷がかかります。一歩間違えれば、自我が森の意思に飲み込まれ、二度と人間には戻れない」
「……分かっています」
ステラの声に、震えはなかった。
王都での敗北。雪山での無力感。いつも仲間たちの背中を見ているだけだった自分が、みんなを守るための強靭な牙を手に入れる。そのための代償なら、いくらでも支払う覚悟ができていた。
「私、絶対に帰ってきます。強くなって、ルシアくんたちの隣に立つために」
その力強い眼差しに、長老は深く頷き、目を閉じた。
仲間たちがそれぞれの決意を胸に、万全の準備を整えていく中。
大扉の前に一人ちょこんと座り込んでいた小悪魔フォニアが、巨大な世界樹の根元を撫でながら、ふと、ひどく冷たい声で呟いた。
「……お主ら、エルフの爺の言葉を真に受けて『星の魔力が満ちた神秘の森』だなんて、お花畑な想像をしておらんじゃろうな?」
その声音は、いつもの無邪気な子供のものではなかった。
数万の命を塵に変え、大陸を恐怖に陥れた魔王軍最高幹部としての、底知れない深淵の響き。
「え……?」
俺が振り返ると、フォニアは赤い瞳を細め、世界樹の根に浮かび上がる黒い葉脈のような淀みを指差した。
「よく見ろ。この世界樹が吸い上げているのは、清浄な魔力だけではない。……千年前、我輩の双子の妹、リフィアがこの大陸の半分を焦土に変えたと言ったな。奴の放った『滅びの業火』は、大地を焼き、星そのものに癒えない呪いの傷を刻んだ」
フォニアは立ち上がり、巨大な大扉をコンコンと叩いた。
「この馬鹿みたいにデカい木はな、リフィアの炎で星が死ぬのを防ぐために、大地に染み込んだ数億の呪いと怨念を、千年間ずっと地底で吸い上げ、濾過し続けてきたのじゃ。つまり、この迷宮の正体は『星の毒を溜め込んだ巨大な浄化槽』じゃよ」
「浄化槽……」
俺の背筋に、冷たい汗が伝った。
「そうじゃ。最下層にある『朝露』とやらが濾過された純水だとするなら、そこに至るまでの道のりは、猛毒のヘドロが溜まった下水道を泳ぐようなものじゃ。世界樹の根に巣食う魔物どもは、千年前の妹の呪いをたっぷり吸って狂暴化した、いわば『我が妹の残りカス』。……普通の魔物と同じだと思えば、一瞬で肉塊に変わるぞ?」
フォニアの言葉が、俺たちの甘い認識を完全にへし折った。
ここは神聖な試練の場ではない。千年前の魔族の呪いが凝縮された、文字通りの地獄なのだ。
「……上等だ」
俺は純白の剣の柄を握り、口角を上げた。
「妹の不始末なら、姉のお前が道案内くらいはしてくれるんだろ?」
「はっはっは! 当然じゃ! 我輩の魔力リハビリにはちょうど良いわ!」
フォニアがいつもの無邪気な笑みに戻ったその時。
ゴゴゴゴゴォォォォォォンッ……!!!
長老たちの詠唱によって、世界樹の根元を塞いでいた大扉が、重苦しい音を立ててゆっくりと開かれ始めた。
扉の隙間から、ドス黒い瘴気と、咽び泣くような地の底からの風が吹き出してくる。
それは、生者を決して歓迎しない、死の迷宮の産声だった。
「行くぞ」
俺の短い号令に、ステラ、マイヤ、テオ、そしてフォニアが頷く。
千年の呪いが渦巻く暗黒の浄化槽へと、俺たちは覚悟と共に、その重い一歩を踏み出した。




