第69話 災禍の魔女?
霊山の頂から放たれた、次元の違う呪いの波動。
村の広場に叩きつけられた俺たちは、全身の骨が軋むような激痛と、息をするだけで肺が焼け焦げそうな高濃度の魔力酔いの中で、ただ絶望の淵に沈んでいた。
防壁の丸太はへし折れ、エルフの精鋭たちも次々と吹き飛ばされて意識を失っている。
テオは収縮したアマルを抱きしめたまま気絶し、ステラは恐怖で顔を蒼白にして震え、マイヤすらも巨大包丁を杖代わりにして辛うじて片膝をついている状態だった。
(くそっ……! やはり、ダメだったのか……! 王都で味わったあの絶望が、再び這い出てくる……!)
俺は血を吐きながらも、土煙の向こう側――広場の中央に『降臨』したであろう巨大な影を見据え、痺れる右腕で純白の剣の柄を握り直した。
両脚と両腕に極限まで魔力を『圧縮』し、刺し違えてでもあの大悪魔に一矢報いる。その覚悟を決めた時だった。
土煙がゆっくりと晴れていった先。
そこに立っていたのは、俺の想像を遥かに裏切る存在だった。
「ふぁぁぁ…………。なんじゃ、騒々しいのう。数百年ぶりに目を覚ましたというのに、もう少し静かにできんのか、お主らは」
鼓膜を破るような恐ろしい咆哮ではない。
鈴を転がすような、あどけない少女の、大きな欠伸の声だった。
そこにいたのは、身長が俺の腰ほどにも満たない、小さな少女だった。
ゴシック調の黒くフリルがあしらわれたドレスを身に纏い、背中にはコウモリのような漆黒の小さな翼。そして、銀色の長い髪の間から、捻れた二本の山羊のような角がちょこんと生えている。
どう見ても、人間の子供と大差ない「ロリチックな小悪魔」の姿だった。
だが、その小さな身体から無意識に漏れ出している魔力の密度は、俺の純白の剣すらも凌駕するほど恐ろしく、彼女がただ呼吸をするだけで周囲の空間が蜃気楼のようにグニャリと歪んで見えた。
「な、なんだ……あの子は……?」
ステラが震える声で呟く。意識を保っていたエルフの指揮官も、伝承にある恐ろしい大悪魔の姿との違いに、完全に困惑しきっていた。
「……おや?」
小悪魔の少女は、トテトテと軽い足取りで歩き出し、警戒して剣を構えたまま固まっている俺の目の前までやってきた。
そして、大きな紅い瞳を瞬かせながら、俺の持つ『純白の剣』を興味深そうに覗き込んだ。
「ほう。面白い玩具を持っておるな、人間。我輩の『呪い』と同じ匂いがするのに、なぜか一切の穢れがない真っ白じゃ。……それに、お主。さっきから無理な魔力圧縮で、腕の血管が切れかけておるぞ? 馬鹿なのか?」
敵意は、全く感じられない。
それどころか、散歩中に珍しい虫を見つけた子供のような、無邪気な好奇心だけがそこにあった。
「お前が……邪神の傍ら、魔族の最高幹部なのか?」
俺が喉の奥から絞り出すように問うと、少女は「ん?」と小首を傾げた。
「いかにも。我輩は魔王軍最高幹部が一人、フォニアじゃ。……まあ、数百年も霊山の祠に押し込められておったせいで、全盛期の『一割』も力が戻っておらん。魔力欠乏で、こんな不完全な縮んだ姿になってしもうたがな」
フォニアと名乗った小悪魔は、自分の小さな両手を不満そうに見つめ、ぷくっと頬を膨らませた。
それから、背中の小さな翼をパタパタと揺らし、ニカッと悪戯っぽく笑った。
「じゃが、お主らは面白い。我輩を封印し直そうとした心意気も、ドワーフの匂いがするその黒いスライムの盾も……そして何より、その白い剣もな」
フォニアはスッと目を細め、俺の目を見据えた。
その瞬間、彼女の瞳の奥に、深淵を覗き込むような圧倒的な「魔族」としての凄みが垣間見え、俺は背筋が凍りついた。一割の力とはいえ、次元が違う。物理的な斬撃が届く前に、概念ごと消し飛ばされる絶対的な死の予感がした。
「……お前、俺たちをどうするつもりだ」
俺が油断なく純白の剣を構え続けると、フォニアはケラケラと無邪気に笑い出した。
「案ずるな、殺しはせんよ。今の我輩は腹ペコで魔力もないし、そもそもお主らのような面白そうな玩具を壊すのは勿体ない。……しばらく、お主らについて行ってやろう!」
「…………は?」
俺の口から、間の抜けた声が漏れた。
ステラも、マイヤも、エルフたちも、広場にいる全員が「こいつは何を言っているんだ」という顔で固まっていた。
「なんだ、不満か? 我輩のような美少女にして最高位の魔族が同行してやるのじゃぞ! ほれ、案内せい! まずはふかふかのベッドと、美味い飯じゃ!」
フォニアは俺の純白の剣の刀身を指先でツンツンと突きながら、我が物顔でふんぞり返った。
絶望的な防衛戦の果てに現れたのは、世界の危機には程遠い、あまりにも規格外でマイペースな「小さな厄災」。
エルフの結界を破り、世界を脅かすはずの魔王軍最高幹部との出会いは、全く予想だにしない形で、俺たちの旅に強引に割り込んできたのだった。




