第68話 決死の再封印
ズゴゴゴゴゴォォォォォンッ……!!!!
霊山の山頂方面から、天を焦がすほどの漆黒の瘴気の柱が噴き上がった。
数百年の時を経て、エルフの村『エルトラ』を隠していた結界の蓋が吹き飛び、封印されていた「邪神の傍ら」――魔族の最高幹部が目覚めようとしているのだ。
大地が悲鳴を上げ、村の家々が激しい揺れで軋み、瓦礫が崩れ落ちる。
「終わりだ……。大悪魔が這い出てくる。エルトラは、いや、この南の辺境一帯が死の灰に沈む……!」
俺たちを囲んでいたエルフの戦士が、弓を取り落として膝から崩れ落ちた。周囲の弓兵たちも、あまりの絶望的な魔力の波動に戦意を喪失し、武器を持つ手すらガタガタと震わせている。
「諦めるなッ!!」
俺の怒声が、暴風が吹き荒れる村の広場に響き渡った。
「封印の蓋を斬ったのは俺だ! なら、完全に奴が這い出てくる前に、俺たちがもう一度『蓋』を押し込んでやる!!」
俺はステラとテオ、そしてマイヤを振り返った。
「テオ! アマルの瘴気反転機構を使って、エルフたちの結界術とリンクさせろ! 溢れ出る瘴気を逆位相で押し込めるはずだ!」
「わ、分かった! やってみる!」
「ステラはテオの魔力補佐とオーバーヒートの冷却を! マイヤ、俺たちは蓋が閉まるまで、山から溢れてくる『おこぼれ』を全部叩き潰すぞ!」
「ハッ、任せな! 専属シェフの包丁捌き、見せてやるよ!」
マイヤが不敵に笑い、自らの身の丈ほどもある巨大肉包丁を構える。
俺たちの狂気とも言える行動に、エルフの指揮官がハッと顔を上げた。
「……正気か、人間! 結界の礎である霊脈を断たれた今、たった数人で神代の封印をやり直すだと!?」
「ごちゃごちゃ言ってないで手伝え! 村を守りたいんだろ!」
俺が胸ぐらを掴む勢いで叫ぶと、指揮官はギリッと歯を食いしばり、絶望の底から己を奮い立たせるように吠えた。
「総員、結界術式を展開! 人間の小僧の魔導具に魔力を合わせろ! 死霊の森に帰りたくなければ、命を燃やせッ!!」
『ピュオォォォォォォッ!!』
テオがアマルを頭上に掲げると、漆黒のスライムがドロドロと波打ち、巨大なパラボラアンテナのような「盾」の形態へと変形した。内部に組み込まれたバルゴの純鉄ギアが、けたたましい金属音を立てて高速回転を始める。
エルフたちが必死に紡ぐ緑色の結界魔法が、光の帯となってアマルの核へと吸い込まれ、増幅され、凄まじい熱量を持って霊山から噴き出す黒い瘴気へと放たれた。ドワーフの技術とエルフの魔法、そしてスライムの特性が奇跡的に噛み合い、噴き上がる瘴気を強引に相殺・反転させていく。
だが、山頂の噴出孔からは、大悪魔の目覚めに呼応し、無数の下級魔物が産み落とされていた。
ドロドロとした黒い泥が沸騰し、そこから這い出たのは、四つん這いで骨が剥き出しになったような異形の獣たち。瘴気の塊のような奴らが、雪崩を打って村へと押し寄せてくる。
「一匹も通さねぇよッ!!」
マイヤが大跳躍し、空中で身体を捻って巨大包丁を大上段から振り下ろした。
ドガァァァァァンッ!!
唐竹割りの一撃が先頭の魔獣を両断し、地面ごと叩き割る。巻き起こった衝撃波で後続の魔獣数体が挽肉に変わるが、倒しても倒しても、黒い泥の獣は際限なく湧き出てくる。
「俺も行くぞッ!」
俺は深く息を吸い込み、丹田で練り上げた魔力を、両脚と両腕の筋肉へ向かって極限まで高密度に『圧縮』した。
ギリリッ……!!
筋繊維が鋼のワイヤーのように引き締まり、心臓が早鐘を打つ。極限まで加速した視界の中で、俺は両脚に圧縮した魔力を爆発させ、広場の石畳を蹴り砕いて魔物の群れのド真ん中へと突貫した。
狙うは物理的な肉体ではない。
腰のホルダーから「純白の剣」を引き抜く。抜刀と同時に、腕の骨がミシミシと軋むような異常な密度と重力。俺は皮膚の下の毛細血管をブチブチと千切らせながら、強引にその白刃を水平に薙ぎ払った。
パァァァァァァァンッ!!!!!
『概念を断ち割る光の刃』が、押し寄せる黒い獣たちの群れを、空間ごと真っ二つに両断していく。血飛沫すら上がらない。純白の軌跡が残った後には、存在そのものを消し飛ばされた魔物たちの残骸だけがパラパラと崩れ落ちる。
剣を振るうたびに腕の筋肉が悲鳴を上げるが、止まるわけにはいかない。俺とマイヤは文字通り血みどろになりながら、テオたちを守る防波堤となり続けた。
「熱い……! アマルが、融けちゃう……っ!」
後方で、テオが悲痛な声を上げた。アマルの純鉄ギアが限界点を超えて赤熱し、軟性素材のゲルが沸騰し始めている。
「持たせるのよ! 『絶対零度』!!」
ステラが杖から限界突破の冷却魔法を放ち、強引にアマルのコアを冷やし続ける。
「いける……! 押し込めるぞ、ルシアくん!」
テオの血を吐くような叫びと共に、アマルから放たれた極大の浄化波動が、ついに霊山の頂を覆い尽くした。
黒い瘴気の柱が、まるで巨大な蓋をされたようにズンッ!と山の奥底へと押し戻される。
空が晴れ、嘘のような静寂が戻った。
押し寄せていた泥の獣たちも、主の波動が途絶えたことで形を保てなくなり、黒いタールとなって地面に溶けていく。
「……やった、のか?」
エルフの指揮官が、膝をつき、信じられないものを見るように霊山を見上げて呟いた。
俺も荒い息を吐きながら、圧縮していた魔力を解き、重すぎる純白の剣を下ろした。両腕の感覚は麻痺し、指先から血が滴っている。
――だが、世界が安堵に包まれたのは、わずか数秒のことだった。
ピキッ……。
テオの構えるアマルの表面に、亀裂が入る音がした。
「え……?」
テオが間抜けな声を漏らした次の瞬間。
パァァァァンッ!!!
エルフたちとアマルが共同で作り上げた強固な再封印の結界が、内側から『ただのガラス細工』のように呆気なく粉砕された。
それは、結界が破られたという生易しいものではない。「大悪魔の意思」によって、虫の息を吹き飛ばすように無造作に消し飛ばされたのだ。
『ピギィィィィィィッ!!?』
限界を超えた魔力の逆流と、次元の違う呪いの波動をモロに受け、アマルが悲鳴を上げて手のひらサイズに収縮し、テオの胸元へ弾き飛ばされる。
「テオ!!」ステラが駆け寄るよりも早く。
霊山の頂から、先ほどの瘴気とは比べ物にならない――重力そのものが狂ったかのような、圧倒的で濃密な魔力の『波』が村全体を直撃した。
「ぐああぁぁっ!?」
俺たちは抗う間もなく、暴風に木の葉のように吹き飛ばされ、村の広場の地面を激しく転がった。
防壁の丸太がへし折れ、エルフたちも次々と吹き飛ばされていく。息をするだけで肺が焼け焦げそうな、高濃度の魔力酔い。
俺は薄れゆく意識の中で、土煙の向こう側……霊山の頂に君臨する、「巨大な黒い影」を見た。
俺たちの決死の抵抗すらも、神代の悪夢にとってはほんの僅かな「二度寝の邪魔」に過ぎなかったのだ。
真の絶望が、エルトラに降り立とうとしていた。




