第60話 十四日間の死闘
「遅ぇ! ハンマーの振りがコンマ一秒遅ぇんだよ! 呪いの波長が逆流して鉄が死んだだろうがッ!!」
ドゴォォォォンッ!!
狂腕のバルゴが振るった巨大な鉄槌が金床を叩き据え、爆発的な衝撃波が工房内に吹き荒れた。
「ガハッ……!?」
テオの小柄な身体が吹き飛ばされ、魔力結界の壁に激突して床に転がる。口の中に鉄の味と、むせ返るような血の匂いが広がった。
「ゲホッ、ゴホッ……! す、すみません……もう一度、やらせてください!」
廃棄層の最奥。外界から完全に隔離されたバルゴの工房での修行(地獄)が始まってから、すでに三日が経過していた。
テオの全身は煤と油で汚れ、両手は水ぶくれが破れて皮が剥け、包帯代わりの汚れた布からは常に血が滲んでいる。だが、休むことなど許されなかった。
工房の中央で燃え盛る「紫色の炎」。それは薪や石炭ではなく、廃棄層の淀んだ瘴気そのものを燃料として燃える、狂気の極地とも言える魔力炉だった。立っているだけで精神が削られ、少しでも気を抜けば呪いに飲まれて発狂しかねない極限の環境。
「いいか、人間のガキ。ドワーフの純鉄技術ってのはな、ただ硬い鉄を打つんじゃねぇ。鉱石が本来持っている『脈』を読み、そこに魔力を叩き込んで強制的に従わせるんだ」
バルゴは義腕から蒸気を噴き出しながら、ドロドロに溶けた赤黒い『呪鉄の塊』をトングで掴み出した。
「だが、魔族の死骸や瘴気を帯びた禁忌の素材は、普通の鉄とは反発のレベルが違う。生半可な力で叩けば、逆にこっちの魂が食い破られる。……見てろ」
カンッ……! カァァァンッ!!
バルゴが鉄槌を振り下ろすたび、紫の炎が生き物のようにうねり、呪鉄から凄まじい怨嗟の声のようなノイズが響き渡る。だが、バルゴの圧倒的な腕力と、寸分の狂いもない魔力の打撃が、その呪いを一切の妥協なく「圧縮」し、ねじ伏せていく。
「圧倒的な力と熱で、呪いそのものを金属の檻に閉じ込める。これが、世界から弾き出された異端の技術だ。……お前が直そうとしてるそのスライムの核、それと同じ理屈で『瘴気反転』の機構を組み込むんだろうが。なら、魂を削って叩け!!」
「はいッ!!」
テオは折れそうな足に鞭を打ち、自らの身の丈ほどもある重いハンマーを握り直した。
四日目から八日目にかけて、二人は「新生アマル」の核の設計と鍛造に没頭した。
バルゴの純鉄技術による強固な檻。そこに、テオが持ち込んだ「軟性素材による魔力クッション機構」を融合させる。しかし、二人の理論は幾度となく衝突した。
「馬鹿野郎! この歯車の噛み合わせじゃ、瘴気を反転させる瞬間の負荷に耐えきれず、スライムの核ごと爆発するぞ!」
バルゴがテオの描いた設計図を破り捨てる。
「違います! 剛性だけで反発しようとするから砕けるんです! ドワーフの基準で考えないでください! アマルのスライム細胞は、衝撃を『受け流す』性質がある。だから、逆位相の魔力を発生させる瞬間だけ、この純鉄のギアの間に『0.05ミリの遊び』を持たせるんです!」
テオも一歩も引かなかった。
相手は伝説の鍛冶師であり、自分など足元にも及ばない大天才だ。だが、「アマルを直す」という目的においてだけは、テオもまた狂気に近い執念を燃やしていた。目上の相手だろうが、胸ぐらを掴み返す勢いで怒鳴り合った。
「……ハッ。0.05ミリの遊び、だと? そんな精密なブレを、瘴気の暴走の中で制御してみせろってのか。人間の手で」
「やります! 僕の指が全部砕けても、絶対に組み上げます!」
バルゴはテオの血走った目を見つめ返し、やがてニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「……上等だ。もし0.06ミリでもズレたら、お前をこの紫の炉に放り込んでやる」
十日目。
テオの両手はもはや感覚を失い、魔力で無理やり神経を繋いで動かしている状態だった。
しかし、金床の上には、完成した『新生アマルの核』が鈍い光を放って鎮座していた。ドワーフの純鉄と、軟性のクッション機構が奇跡的なバランスで融合した、呪いを喰らって反転させる「究極の防壁」の心臓部だ。
「……よくやった。スライムの核は完成だ」
バルゴは短くそう告げると、工房の奥から厳重に封印された黒い木箱を運び出してきた。
「いよいよ、メインディッシュだ」
木箱が開かれると、工房内の温度が急激に下がり、紫の炎が恐怖に怯えるように揺らいだ。
中に入っていたのは、ルシアの「折れた黒狼の破片」。そして――見る者すべての精神をかき乱すような、漆黒の瘴気を高密度で放つ、心臓のような形をした「特級呪物の鉱石」だった。
「バルゴさん、それは……!?」
「昔、俺が廃棄層の最奥で掘り当てた、神代の魔族の血をたっぷり吸った『暴食の呪鉱石』だ。どんな魔力も、光すらも喰らい尽くす最悪のバケモノさ」
バルゴは機械の義腕を軋ませながら、その呪鉱石と、黒狼の破片をトングで掴み、紫の炎が燃え狂う炉のド真ん中へと放り込んだ。
ゴォォォォォォォォォォッ!!!
炉が爆発的な炎を上げ、テオの肌が焼け焦げるような熱波が襲いかかる。
「いいか、テオ。ルシアとやらの剣は、確かに業物だった。だが、あれはただの物理法則に従った『ただの鉄』だ。理不尽な魔族の力や、概念的な呪いを断ち斬るには、こちらも理不尽な極致に至らなきゃならねぇ」
バルゴはかつてないほど巨大な鉄槌を両手(機械の義腕と生身の腕)で構え、テオを鋭く睨みつけた。
「極限まで呪われた素材を、極限の熱と圧力で叩き、叩き、叩き潰す。一切の不純物が消え去り、呪いそのものが限界を超えて反転した時……最も穢れた鉄は、一切の光を反射しない『純白』へと至る。それが、俺の目指した禁忌の奥義だ」
「呪いを、限界まで叩き潰して……純白に……」
テオは息を呑んだ。それは鍛冶の常識を根底から覆す、まさに狂気の理論だった。
「ボーッとしてんじゃねぇ! 炉の温度を限界のその先まで引き上げろ! 魔力が尽きても、命を燃やして鞴を吹けェッ!!」
「うおおおおおおおおっ!!!」
テオは全身の魔力を解放し、紫の炎に空気を送り込む巨大な鞴に飛び乗った。
そこからの四日間は、記憶がほとんどない。
ただひたすらに、熱と、血と、鉄を打つ轟音だけが世界を支配していた。
カンッ!! カンッ!! カンッ!!
バルゴの凄まじい連撃に合わせ、テオもまた小さなハンマーを握り、自分の担当する箇所の不純物を叩き出していく。
(もっと……! もっと熱く! ルシアくんの剣は、こんなもんじゃない!)
黒狼の記憶。王都での絶望。マイヤの料理。ステラの祈り。
すべてを魔力に変えて、テオは鎚を振り下ろした。手が裂け、血が純鉄に飛び散り、一瞬で蒸発する。
十四日目の、夜明け。
「……水だ」
バルゴの掠れた声が響いた。
テオはフラフラと立ち上がり、魔族の瘴気すら浄化する「聖水」が満たされた水桶の前に立った。
バルゴのトングに挟まれているのは、紫の炎の中から引き上げられた、白熱して太陽のように眩く輝く一本の刀身。
ジュゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!!
聖水の中に刀身が沈められた瞬間、工房を揺るがすほどの水蒸気が爆発的に噴き上がった。
数分後。蒸気が晴れた工房の中は、嘘のように静まり返っていた。
「……終わったぞ、テオ」
バルゴが水桶から引き上げたそれを見て、テオはその場にへたり込み、ボロボロと大粒の涙をこぼした。
それは、一切の穢れを知らない、透き通るような「純白の剣」だった。
最も深い呪いと瘴気から生まれたとは到底信じられない、神々しいまでの輝き。刃こぼれ一つなく、周囲の微弱な光すらも吸い込んで自ら発光しているかのような、圧倒的な美しさ。
魔族の理不尽を叩き斬るための、究極の刃がそこに完成していた。
「……バルゴ、さん……。僕たち……」
「ああ。最高傑作だ。お前というイカれた助手がいたからこそ、打ち上げられた。……よくやったな、テオ」
狂腕の鍛冶師は、不器用な手つきでテオの頭を乱暴に撫でた。
テオの十四日間に及ぶ、血と汗と命を懸けた死闘が、ここに結実したのだった。




