第55話 鉄クズの閃き
廃棄層の夜は、文字通り死と隣り合わせだった。
淀んだ瘴気が肌を刺し、紫色の毒水が鉄を溶かす異臭が絶え間なく鼻を突く。
「ゲホッ……ハァ、ハァ……ッ」
テオの防毒面のフィルターは、すでに限界を迎えつつあった。浄化用の炭が瘴気を吸い尽くして黒く変色し、呼吸のたびに喉の奥がヒリヒリと焼け付くように痛む。
彼の足元には、無数のひしゃげた歯車と、焼き切れた導線が散乱していた。
(駄目だ……。ドワーフの純鉄ギアじゃ、瘴気の不規則な魔力波長に耐えきれずに砕けちゃう。もっと……もっと柔軟に魔力を受け流す『遊び』の機構が必要なのに……)
泥とオイルに塗れた手で、テオは額の汗を拭った。
徹夜の作業で視界はぼやけ、指先は鉄屑で無数に切り裂かれて血が滲んでいる。だが、彼の目は結界の外から見守る俺たち――そして、壊れたアマルを想って、決して光を失ってはいなかった。
(柔軟に……受け流す……。そうか、硬い鉄で無理やり押さえつけるから反発して砕けるんだ。アマルが物理攻撃を吸収するように、魔力の衝撃を『吸収』して分散させる層を挟めば……!)
テオは弾かれたように立ち上がると、深緑の魔光灯を手にゴミ山を漁り始めた。
彼が引きずり出してきたのは、先ほど倒した融合獣の残骸から漏れ出していた「赤い肉腫の粘液」と、廃棄された「耐熱ゴム管」だった。
「テオのやつ、気でも狂ったのか!? 瘴気の塊を直接機構に組み込もうとしてるぞ!」
マイヤが結界の中から身を乗り出して叫ぶ。
だが、テオの顔つきは完全に『職人』のそれに没入していた。
彼は赤い粘液をゴム管に流し込み、それを純鉄の歯車と魔力炉心の接続部に、まるでクッションのように何重にも巻きつけていく。地上の錬金術の知識と、ドワーフの機械工学、そして魔物の生態を組み合わせた、完全に規格外の荒業だ。
カァン……、カァン……。
やがて、遠く上の街から、朝を告げる巨大な鐘の音が廃棄層まで低く響き渡った。
「……時間だ」
工房の結界が揺らぎ、紫色の炎を背負ったバルゴが、ゆっくりと姿を現した。
機械の義腕から蒸気を吐き出しながら、彼はテオが徹夜で組み上げた「それ」を見下ろした。
純鉄のギアの間に、醜く蠢く赤いゴム管が這い回る、あまりにも不格好で異端な機械。
バルゴは鼻で笑った。
「ゴミ山漁って、さらに醜いゴミを錬成したか。こんなもんが、あの猛毒の炉心を浄化できると……」
「動きます」
テオは血の滲む手で、旧式魔力炉心の起動レバーをガコンッ!と力強く押し込んだ。
ギュイィィィィン……ッ!!
炉心が不気味な紫色の光を放ち、周囲の濃密な瘴気を猛烈な勢いで吸い込み始める。
ドガガガッ!と内部で凄まじい魔力の反発が起き、純鉄のギアが悲鳴を上げた。
「危ない、テオ!!」
俺が叫んだ瞬間――。
ギアの間に挟み込まれた赤いゴム管のクッションが、ドクン、ドクンと脈打ち、まるで生き物のように膨張と収縮を繰り返して魔力の暴走を完璧に「吸収」し始めたのだ。
プシューーーッ……。
数秒後。炉心の排気口から吐き出されたのは、致死の瘴気ではない。
俺たちの頬を撫でたのは、清涼な風。不純物が一切取り除かれた、澄み切った「純粋な魔力の風」だった。
「なっ……」
バルゴの唯一残った左目が、驚愕に見開かれた。
「ドワーフの剛健な純鉄技術に、魔物の粘液による『軟性の緩衝材』を挟み込みました。これで瘴気の暴走波長を相殺し、安定して反転させることができます」
テオはフラフラと立ち上がり、バルゴを真っ直ぐに見上げた。
「……あなたの技術を、僕に教えてください」
静寂が包む廃棄層に、テオの真摯な声だけが響く。
バルゴはテオの顔と、不格好に脈打ちながら空気を浄化し続ける機械を交互に見つめ――やがて、天を仰いで大爆笑した。
「ハァーーッハッハッハッ!! 傑作だ! 機械の神聖なギアの間に、魔物の肉液をぶち込むたぁな! 俺を追放した頭の固い老害どもが見たら、泡を吹いて気絶するぞ!」
バルゴは豪快に笑いながら、機械の義腕でテオの頭を乱暴に撫で回した。
「合格だ、クソガキ。お前のそのイカレた発想と執念、気に入ったぜ」
「本当、ですか……っ!」
テオの顔に、パァッと安堵と喜びの光が広がる。直後、徹夜の限界を迎えた彼は、糸が切れたようにその場に崩れ落ち、深い眠りに落ちていった。
「……やれやれ。とんでもない弟子を拾っちまった」
バルゴはテオを軽々と担ぎ上げると、俺たちの方を振り返った。
「おい、そこの人間ども。このガキは今日から俺の工房で預かる。剣と盾を最高のモンに仕上げるまで、最低でも二週間はぶっ通しで鍛え上げるからな。お前らは邪魔だ、上の街で適当に時間を潰してこい」
俺たちは顔を見合わせ、深く頭を下げた。
テオの執念が、ついに異端の天才鍛冶師の心を動かしたのだ。




