第38話 敗北の記憶
黒い灰が、雪のように静かに降り注ぐ星無き間。
かつて兄だった肉片が完全に消滅したその空間で、ザガンは腹を抱えて大笑いしていた。
「アハハハハハッ! 傑作だ! いやあ、人間という器の脆さ、そして愚かさ! ここまで完璧な喜劇を見せてもらえるとは、辺境の計画が潰れた甲斐があったというものだよ!」
静まり返った絶望の空間に、魔族の無邪気で残酷な笑い声だけが響く。
「……ザガンッ!」
俺は折れた黒狼の柄を握り締め、震える足で立ち上がった。
全身の骨が軋み、魔力はとうに枯渇している。それでも、眼前の邪悪を前に倒れ伏しているわけにはいかなかった。
「お前が……お前がすべての元凶か。父上を唆し、ガルスをあんな化物に変え、この国をめちゃくちゃにしたのは……!」
俺の殺意を真っ向から浴びても、ザガンは微塵も動じなかった。
むしろ、面白そうな玩具を見つけた子供のように目を輝かせている。
「元凶? 唆した? 買い被らないでいただきたいね、ルシアくん。私はただ、彼らが元々持っていた『欲望』と『憎悪』の背中を、ほんの少し押してあげただけさ。国を売ったのも、息子を生贄にしたのも、悪魔の力に縋ったのも、すべて彼ら自身の意志だよ」
ザガンが一歩、俺に近づく。
それだけで、凄まじい重圧がのしかかり、呼吸すら困難になった。先ほどの悪魔化したガルスとは質が違う。底知れぬ、深淵そのもののような威圧感。
「それにしても君たちは素晴らしい。あの悪魔の暴力を前に、最後まで折れなかった。君のその瞳……たまらなく美味しそうだ」
ザガンの漆黒の外套がうごめき、巨大な影となって俺たちを包み込もうとする。
ステラが悲鳴を上げ、テオが動かないアマルを抱きしめて震えた。
俺は折れた剣を構えたが、腕に力が入らない。
殺される。
そう直感した瞬間、ザガンはふっと影を収め、つまらなそうに肩をすくめた。
「……だが、今はまだ未熟すぎる。青くて、硬くて、食べ頃じゃない」
「ふざけるな……!」
俺は血を吐くような声で叫んだ。
「俺は強くなる。この折れた剣でもう一度立ち上がって、次こそ必ずお前を叩き斬る。お前が魔族の中でどれだけ偉い存在だろうと、絶対にその首を落としてやる……!」
俺の宣戦布告を聞いたザガンは、きょとんとした顔をした後、腹を抱えて再び笑い出した。
「クックック……ハハハ! 偉い存在? この私が?」
「何がおかしい!」
「いや、すまない。あまりにも君たちが可愛らしくてね」
ザガンは薄い唇を歪め、三日月のような笑みを浮かべた。
「ところで君たち、何か大きな勘違いをしていないかい? あの程度の出来損ないの悪魔に手も足も出なかった君たちは、私のことを魔族の幹部か、あるいは魔王軍の将軍だとでも思っているんじゃないかな?」
俺は息を呑んだ。
これほどの絶望的な力と狡猾さを持つ存在が、トップクラスの魔族でないはずがない。
「残念だけど、私はほんの下っ端。魔族の中でも末端の使い走りに過ぎない『下位魔族』なんだよ」
その言葉は、俺たちの心を完全にへし折る決定的な一撃だった。
剣も盾も魔法も通じなかった悪魔ガルス。その背後で糸を引いていたこの恐るべき男が、魔族の中ではただの雑兵に過ぎないという事実。
世界は、俺たちが想像していたよりもずっと広く、そして絶望的に深かったのだ。
「フフッ、いい絶望の顔だ。だから人間は愛おしい」
ザガンは満足そうに頷くと、闇の中に溶け込むように姿を薄れさせていく。
「もっと足掻きなさい、ルシアくん。強大な武器を求め、己の弱さを呪い、血を吐きながら成長するといい。君たちが極上の『希望』を手に入れた時、私がそれを最高の『絶望』で塗り潰してあげるから」
「待て……逃げるな、ザガンッ!!」
俺の叫びも虚しく、ザガンは完全に影の中へ消え去った。
残されたのは、血と灰に塗れた星無き間と、完全に敗北した俺たち三人だけ。
俺の愛剣は砕け散り、テオの相棒は形を失い、ステラの魔法は通じなかった。
国の中枢を叩き斬るという俺たちの反逆は、何も守れず、何も倒せないまま、最悪の『敗北の記憶』として深く心に刻み込まれたのだった。




