7生 ep.26
「増税だ。……これ以上どこを削ればいいのかなどと聞くな。削る場所がないなら、その身を削ってでも賠償金を捻出しろ」
旧宮殿の冷え切った執務室。
かつて「民の救済」を誓ったリューコフの口から出たのは、暴君すらも躊躇うような非情な宣告だった。
リューコフの手は、もはや震えることすら忘れたかのように、機械的に徴税令への署名を繰り返していた。
窓の外に広がる帝都は、かつての活気を失い、死に体の獣のように沈黙している。
失業率は天を突き、平和を求めた代償として民衆が得たのは、パンではなく「無限の負債」だった。
配給所の前では、かつて革命を叫んだ者たちが、泥水に浮いたわずかな麦の殻を巡って争い、命を繋いでいる。
「……裏切り者め」
「ニコライの方が、まだマシだった……」
路地裏で囁かれる呪詛は、冷たい風に乗って宮殿の石壁を叩く。
リューコフはそれを、魂の抜けた瞳で見つめることしかできなかった。
だが、その絶望の喧騒から遠く離れた湖畔――ベルの別荘では、くらべものにならないほどに穏やかな、別世界の時間が流れていた。
「……お母さま。少しの間、ここでのんびり過ごしましょうね」
エンヴァは、母リーリャの手を引き、美しい湖を一望できる豪華な別荘へと足を踏み入れた。
帝都が飢えと憎悪で煮え返る中、ここには澄んだ空気と、クリフが世界中からかき集めた最高級の食材、そして静寂だけがある。
「あら、素敵なところね。でもエンヴァ、お父さまのお仕事は大丈夫なの? こんなに贅沢をして……」
リーリャが心配そうに小首をかしげる。エンヴァは、天使のような微笑みを浮かべて母の肩を抱いた。
「大丈夫よ。お父さまの役所は、今この国で一番『必要とされている』もの。……少しお仕事が忙しくなるから、お母さまたちだけでも安全な場所で待っていてほしいんですって」
「私だけ……? エンヴァは一緒にいられないの?」
リーリャが不安げに眉を寄せ、愛娘の小さな手を握りしめる。
その問いに、傍らに立つ父カイルが、慈しむような笑みを浮かべて答えた。
「エンヴァはとても優秀なんだ。今は私の仕事も立て込んでいてね、彼女のような信頼できる秘書が側にいてくれないと困るんだよ。……少しの間だけ、私に貸しておいてはくれないかい?」
カイルは優しくリーリャの肩に手を置いた。
その指先は、彼女のまだ平坦な、けれど確かな温もりを宿した腹部を指し示す。
「それに、君の体の中にはエンヴァの弟か妹が宿っているんだ。今は何よりも、君たちの安全が第一だよ」
「……ええ。お母さま、今はこの国がとても大変な時期なの。私はお父さまのお手伝いをして、一日も早く、新しい家族を迎えられる平和な街にしたいのよ」
エンヴァもまた、聖母のような笑みを浮かべて母を見上げた。
十二歳の少女が語る「お父さまのお手伝い」とは、国家の食糧供給を操作し、不要な人口を淘汰し、邪魔な敵を「壺」に詰めること。
だが、リーリャにはその言葉が、健気な娘の孝行心としてしか聞こえない。
「……そうね。私がしっかりしなきゃ。それじゃ、今日のシチューは特別製にしないとね! 二人とも、元気にお仕事ができるように!」
屈託のない、太陽のようなリーリャの笑顔。
エンヴァはその眩しさに、氷のような心がわずかに解けるのを感じていた。
(……ああ、この笑顔)
エンヴァの視線が、母の腹部へと向けられる。
そこには、自分と同じ血を引く、まだ名前のない命が眠っている。
(お母さまが私を愛してくれたように。……私も、いつか生まれてくるその子に、溢れるほどの愛を注いでみせましょう。……その子が飢えることのない、誰にも邪魔されない『楽園』を用意してあげるわ……全部、お母さまの為に)
その決意は、一国の再建を誓う英雄のそれよりも遥かに固く、そして果てしなく深い狂気を孕んでいた。




