表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生の魔女  作者: RUSA
153/160

7生 ep.19

地下五階の冷気は、ニコライの心まで凍てつかせたようだった。


革命の理想は、魔女の言葉という劇薬によって、見るも無残な形へと作り変えられていく。




「せめて、この地獄を止めてくれ。私の首も、リューコフの首も差し出す。だから、武器と食糧を……」


絞り出すようなニコライの命乞いを、エンヴァは一瞥いちべつだにせず切り捨てた。




「そんなものに価値は無いわ。……自分の恋人のことを思い出しなさい。よくそんな情けない弱音が吐けたものね」




「……ッ!」


ニコライの顔が、屈辱と悲痛に歪む。


かつて共に歩み、今はもうこの世にいない最愛の女性――ライラ。




「あなたの恋人に免じて教えてあげるわ、これで三度目かしら。……民衆を盾にしなさい。民の不満は、これ以上ないくらいパンパンに膨らんでいるわよ」




「民衆を盾になど! 革命家のすることではない! 貴様、どこまで我らを愚弄すれば――!」


激昂するリューコフの声を、ニコライの絶叫が叩き潰した。




「黙ってろ! リューコフ!」


歴戦の戦士すら一瞬で黙らせるほどの、悲痛な怒号。


ニコライは震える拳を握りしめ、エンヴァを見据えた。




「……あなたたちの敵は誰? この私? それとも……?」


「……皇帝……だ」




「正解ね。ご褒美に、民衆を扇動するためのパンと肉をあげるわ。もしも裏切ったら」


「裏切ったら?」


「少なくとも1万人単位で餓死してもらう事にするわ。全てあなたの陣営のね、その時はサイコロの目に1万人をかけようかしら」




放心状態のまま、二人の会談は幕を閉じた。


もはやそこにあったのは、高潔な革命家ではなく、悪魔に魂を売った男の背中だった。






革命軍本部に、満身創痍の二人が戻るよりも先のことだ。


そこには、すでにエンヴァの部下たちの手によって、信じがたいほど大量の食糧が運び込まれていた。




エンヴァは既にニコライの革命軍の本部の秘密の位置などとっくの昔に知っていた。


その情報を帝国に売り渡す事もできたのだ。


ニコライとリューコフは戦慄した。




「やった! 食糧だ! 生き延びられるぞ!」


「同志ニコライ! 同志リューコフ! 見てください、肉だ、本物の小麦だ!」




地獄の淵で湧き立つ兵士たち。




だが、彼らを制するニコライの目は、死人のように冷え切っていた。




「ダメだ。これに手をつけるんじゃない。……これは、民のものだ!」


「しかし同志ニコライ! 我が軍の状況は限界です! これを食べなければ、明日戦うことすら――」


「黙れと言っている……! 兵士われわれが食えば、これはただの食事だ。だが、民に与えれば……これは、皇帝を焼き尽くすための『火種』になるんだ……!」




ニコライの頬を、一筋の涙が伝った。


魔女から与えられた救済は、味方を生かすための糧ではない。




民衆を飢餓の狂乱へと叩き込み、死をも恐れぬ「暴徒」へと変えるための、呪われた毒菓子だった。








革命軍が民衆へ食糧を放出したという報は、一晩で帝都の全域を駆け巡った。


それは絶望の淵にいた数百万の民にとって、天から降った神の福音に他ならなかった。






「見てくれ……本物のパンだ……! 革命軍が、俺たちを見捨てずにいてくれたんだ!」


広場に積み上げられたパンの山を前に、一人の老人が震える手でそれを掲げ、天を仰いだ。


昨日まで隣人の死体を虚ろな目で見つめていた群衆の瞳に、不気味なほど鮮烈な、そして狂信的な「光」が宿る。




「皇帝は俺たちが飢えるのを笑って見ていた! だが、革命軍は自分たちの食糧を削ってまで、俺たちに分け与えてくれたんだ!」




ニコライがエンヴァから授かった聖なる施しは、瞬く間に帝都の空気を変質させた。




空腹という極限状態から一気に解放された民衆のエネルギーは、感謝を通り越し、現体制への凄まじい「殺意」へと転換される。




「宮殿へ行こう! 贅沢三昧をしているあの化け物(皇帝)から、俺たちのすべてを取り戻すんだ!」


誰かが上げたその叫びは、一瞬で地鳴りのような咆哮へと変わり、帝都の石畳を震わせた。




十万、二十万……いや、もはや計測不能な人の波。 手にしているのは錆びついた農具や道端の石塊、そして革命軍が密かに、かつ大量に配り歩いた旧式の小銃や手投げ弾。




死を恐れる心は、空腹の苦しみがすべて焼き尽くしていた。


「開けろ! さもなくばこの門を、お前たちの死体で埋め尽くしてやる!」


先頭の民衆が宮殿の巨大な正門に体当たりを繰り返す。




上階から帝国近衛兵が放つ威嚇射撃すら、もはや効果はない。


倒れた仲間の体を踏み台にして、後ろから次々と「飢えた怪物」たちが壁をよじ登っていく。




「……あれを見るがいい、同志ニコライ。君が守りたかった『民』が、今や世界で最も残酷な軍隊になったぞ」


硝煙たなびく広場で、リューコフが吐き捨てるように呟いた。その視線の先では、近衛兵の首を素手で引き裂き、その返り血を浴びて歓喜の声を上げる民衆の姿があった。




「……これが、私の望んだ革命なのか……?」


ニコライは、震える手で自身の顔を覆った。




民衆に配った食糧は、希望パンではなかった。それは、理性を麻痺させ、憎悪を暴走させるための劇薬。




エンヴァという魔女が精製した、最悪の触媒だったのだ。


「止めることはできない、ニコライ。彼らはもうパンではなく、皇帝の『絶望』を食らうまで止まらない」


宮殿の窓ガラスが割れ、内部から火の手が上がる。




帝国千年の歴史が、一人の少女が演出した「空腹の喜劇」によって、無惨に、そして呆気なく崩壊しようとしていた。




ニコライは、自分たちが配ったパンを握りしめ、血走った目で叫び声を上げる群衆を見つめ、ただ立ち尽くしていた。




宮殿の門が、怒濤のごとき民衆の圧力に悲鳴を上げる。


守備隊の銃声も、もはや死を恐れぬ狂信者の波を止めることはできない。


帝都を真っ赤に染め上げるのは、夕焼けではなく、民衆が掲げる松明と、支配者たちの返り血だった。




帝都を埋め尽くした怒濤の波は、もはや何者にも止められなかった。


その勢いは正規軍の防衛線すらも飲み込み、国家という装置そのものを内側から融解させていく。




「皇帝を、あの椅子から引きずり下ろせ!」


その叫びは、もはや民衆だけのものではなかった。




飢えに耐えかね、職務を放棄した帝国兵たちが、次々とその身を包んでいた軍服を脱ぎ捨てていく。下着とブーツ、そして手には本来皇帝を守る為の小銃。


彼らはかつての「敵」である民衆と肩を並べ、獣のような咆哮を上げて宮殿へとなだれ込んだ。




宮殿の地下深くに幽閉されていた政治犯たちが、壊された鉄格子の向こうから救い出される。


「皇帝廃位!」


「新時代の到来だ!」


幾重にも重なる絶叫が宮殿の回廊を震わせ、ついに耐えかねた皇帝は、震える手で退位と全政権の返上を宣言した。




その報を受け、ニコライは宮殿のバルコニーに立ち、血を吐くような思いで「臨時政府」の樹立を宣言する。




「……エンヴァ。君という女は……どこまで、我々を弄べば気が済むんだ」


眼下に広がる、歓喜に湧く革命軍と民衆。


彼らは自分たちの「勝利」を信じて疑わず、奇跡のような救済に涙を流している。




だが、ニコライだけは知っていた。




国境沿いでの凄惨な戦闘も、野を駆け巡った義勇軍の献身も、すべてはこの一日のために用意された無意味な前座に過ぎなかった。




エンヴァは、最初から結末を知っていた。


彼女はただ、安全な特等席で、飢えた民衆が帝国の喉元を食い破るのを、退屈そうに笑って眺めていただけなのだ。


「ライラ……」


ニコライは一人、灰色の空を仰いで呟いた。




かつて共に夢見た「理想の国」の夜明け。


だが、その光はあまりに冷たく、禍々しい。


一人の魔女の気まぐれによって、革命はあまりに呆気なく


――成就「させられて」しまったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ