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転生の魔女  作者: RUSA
152/163

7生 ep.18

帝都の街灯が弱々しく揺れる午前三時。


静まり返った闇を切り裂くように、二人の影がエンヴァの拠点へと辿り着いた。




かつて燃え盛る理想を掲げていたその瞳は、今や深刻な欠乏と疲労によって、泥のように濁っている。




「エンヴァ様は……どちらにおいでだろうか。私は革命軍指導者の、ニコライだ」


喉を焼くような渇きを堪え、ニコライは絞り出すような声で告げた。




その傍らに立つのは、彼の同志リューコフ。


かつては戦場の英雄として名を馳せた男たちも、今はただ、一人の少女の慈悲を乞い、夜の闇に紛れて帝都へ潜り込む「亡命者」のような佇まいだった。




革命軍にとって、エンヴァは絶対的な「生殺与奪の神」に他ならない。


彼女が法外な値段で吊り上げた食糧、武器、火薬。ニコライたちは、革命実現という悲願のため、文字通り仲間の命と財産を削りその支払いを続けてきた。




エンヴァにとって、彼らは最も忠実で、最も「身入りの良い」大顧客カモであった。




彼女の居場所を知り、直接その名を呼ぶことが許されるのは、組織の創設時から連なる古参の幹部のみである。




「明日、もう一度来い」


門前に立つアルテリの構成員が、冷淡に言い放つ。 ニコライという名が持つ政治的重みも、リューコフの武名も、この場所では一斤のパンほどの価値も持たない。




「……待ってくれ、我々は……!」


「聞こえなかったのか? 今日はもう『お休み』だ。命が惜しければ、夜明けまでどこかの裏路地で震えていろ」


鉄の門が無情に閉ざされる。




ニコライとリューコフ。




この内戦の行く末、そして人々の生死。




そのすべてが少女の匙加減一つで右にも左にも傾く不条理な現実。


彼らはこの屈辱的な夜を越え、自分たちの手から滑り落ちた「運命」を、力ずくで取り戻すための「ケリ」をつけようとしていた。




「行ってきます! お母さま!」


玄関先で弾けるような声を上げ、エンヴァはリーリャに手を振った。


隣には「帝都物流の上級役人」という肩書きを完璧に演じこなす義父が立っている。




この広く、手入れの行き届いた邸宅は、建前上は「彼が以前から所有していた財産」という設定だが、実際にはエンヴァが組織の資金を投じ、母の幸福のために用意した舞台装置の一つに過ぎない。


ここに引っ越してくる前に、3本の隠し通路を作らせリーリャに万一の事も無いよう徹底して作りこまれた邸宅である。




「ええ、気をつけてね。エンヴァ、お父様のお仕事のお邪魔をしちゃダメよ?」


「分かってるわ! 今日はお父様のお手伝いだもの!」


微笑ましい親子のやり取り。




迎えの高級車に乗り込むその姿は、絵に描いたような上流階級の「社会見学」そのものだった。


だが、重厚なドアが閉まり、車がリーリャの視界から消えた瞬間、車内の温度は氷点下まで急降下した。




「……ボス。昨夜の来訪者ですが、やはり革命軍のニコライとリューコフです。昨夜の門前払い以来、彼らは近くの宿で時間を潰しているようで」




隣に座る義父が、震える手でレポートを差し出す。




エンヴァは窓の外を流れる景色を冷ややかに見つめたまま、一言だけ返した。


「……西の8番アジトで会うわ。準備を整えておきなさい」


「了解しました。……して、彼らへの『回答』は?」




「それは彼らの態度次第よ。……ただの気まぐれでお母さまと過ごす穏やかな朝を邪魔しに来たのなら、それ相応の授業料を払ってもらわなきゃね」




十二歳の少女の瞳は、もはや母の前で見せていた愛らしい光を宿していない。


車は、平和な表通りを外れエンヴァが指定した8番アジトへと向かって、静かに加速していった。






帝都の喧騒から隔絶された、地下深く。重厚なコンクリートに囲まれた「西の8番アジト」地下5F。 目隠しを外されたニコライとリューコフを待っていたのは、煌々と照らされる白熱灯の下、贅沢な革椅子に身を預ける一人の少女だった。




「ずいぶんと御無沙汰ね、ニコライ。貴方たちが掲げた素晴らしい『革命』の進捗はどうかしら?」




なまめかしく足を組み替え、十二歳の少女——エンヴァは微笑んだ。


その所作の一つひとつには、もはや子供の幼さなど微塵も感じられない。




「……ああ、順調だ」


後ろ手に縛られたまま、ニコライは低く答えた。


その声は掠れ、瞳には隠しようのない疲労が張り付いている。




「ふん。我々が正義の戦いをしている間に、随分と肥え太ったようだな。魔女め」


沈黙を守っていたリューコフが、忌々しそうに毒づいた。


その視線は、エンヴァの滑らかな肌や衣服を射抜く。




「やめろ、同志リューコフ。彼女を怒らせて得をすることなど、我々には一つもない」


ニコライが慌てて彼をなだめる。




その必死な様子に、エンヴァは喉の奥でくすくすと笑った。


「その方が賢明ね。私の機嫌次第では、明日から革命軍への食糧供給を『完全に』絶ってもいいのよ? ……そうなれば、貴方たちの掲げる正義は、ただの空腹の叫び(ノイズ)に変わるわ」




「……っ!!」


リューコフは、奥歯を噛み締めて黙り込むしかなかった。




彼の脳裏には、前線の無惨な光景が焼き付いている。


肋骨が浮き出るほど痩せこけた兵士たち。


泥水を飲んで胃を膨らませる子供たち。


そして、若者に一欠片のパンを残すため、「口減らし」と称して自ら崖から身を投げる老人たちの姿。




「正義」は、腹を満たして初めて機能する。


今の彼らにとって、目の前で優雅に足を組む少女は、救世主であると同時に、自分たちの命脈を弄ぶ最悪の死神であった。




「さあ、本題に入りましょうか。わざわざ深夜に門を叩き、縛られてまでここに来た理由を。私に一体何の用があると言うの?」




ニコライの絶叫が、地下の冷たいコンクリート壁に反響し、虚しく消えていく。


その声には、理想を裏切られた者の怒りと、あまりに巨大な「悪」を前にした者の戦慄が混じり合っていた。




「エンヴァ! 君はこの国をどうしたいんだ! 帝都を見ろ! 飢えて死んだ老人や子供の死体が、片付けられることもなく放置されている。地方の都市はもっと酷い有様だ! 君には……君には人の心が無いのか!」




縛られたまま身を乗り出すニコライの必死の糾弾。




だが、エンヴァはその激昂を、春の微風そよかぜでも受け流すように、どこか遠くを見つめて呟いた。


「ああ……そういえば、そんな街もあったわね」




彼女が思い出したのは、ある地方都市のことだ。




西の穀倉地帯。




クリフによって強引に食糧を買い占め、運び出そうとしたエンヴァの輸送隊に対し、正義感に燃える「義勇軍」が襲撃を仕掛けてきたことがあった。




その報告を受けた時、エンヴァは紅茶のカップを置くことすらなく、淡々と指示を出した。


「――全滅するまで、囲みなさい」




エンヴァの唇から零れたのは、祈りのような静かな宣告だった。




彼女の私兵集団『アルテリ』が動いた。


彼らは最新の火器を構え、街を繋ぐ街道を、川を、そして地下の運河に至るまでを、一寸の隙もなく封鎖した。




物流という名の生命線が断たれ、街は巨大な「陸の孤島」と化した。




一か月目、市場からパンが消え、人々は革靴を煮て食い、野良犬を追い回した。


二か月目、街のあちこちで「慈悲」を乞う使者が白旗を掲げて現れた。




「頼む、せめて子供たちだけでも……! 望むだけの金は払う、だから食糧を……!」




交渉の席で、アルテリの指揮官は冷徹に、エンヴァの言葉を繰り返すだけだった。




「条件などない。我々の主が命じたのは『全滅』だ。金も、降伏も、謝罪も、今の貴方たちにはそれを支払う権利すらない」




三か月目。


使者の声すら途絶えた。




街を囲う兵たちの鼻を突いたのは、硝煙の匂いではなく、甘ったるい死臭と、鉄の匂いだった。


極限の飢えは理性を食い破り、隣人は「隣人」ではなく「肉」へと姿を変えた。




ゴミを漁り、土を噛み、やがて人が人を喰らう阿鼻叫喚の地獄。


その惨劇を、アルテリの兵たちは無感情に、ただ淡々と見守り続けた。




「……そろそろかしら」


三か月の月日が流れた朝、エンヴァの許可が下りた。




重い門が内側から開かれたとき、そこに「人間」の営みは残っていなかった。




残されていたのは、うつろな瞳で骨をしゃぶる動く死体と、二度と埋まることのない「飢え」という名の呪いだけだった。


生き残ったのは、元々の人口の一割にも満たない、理性を失った影のような存在だけ。


複数の疫病が追い打ちをかけ、かつて栄えたその街は、地図から抹消され、今や死の静寂が支配する廃墟と化している。


それ以降。


エンヴァの紋章である「逆さ十字」の旗を掲げた荷駄隊を襲おうとする、命知らずな「義勇軍」が現れることは二度となかった。




「……人の心? そんな不確かなもの、三食欠かさず食べて、柔らかいベッドで眠れる人たちにだけ許された贅沢品よ。ニコライ、今の貴方にそんな余裕があるのかしら?」




エンヴァは、なぞるように自分の唇を指で触れ、冷たく微笑んだ。



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