7生 ep.7
帝都警察署。
重厚な石造りの廊下を、清らかな水色の制服に身を包んだリーリャが歩いていた。
「あ、おはようございます。リーリャさん」
「今朝届いた書類、こちらに置いておきますね。無理はしないでください、警部の身内なんですから」
すれ違う警官たちが、かつてなら目を向けもしなかったはずの「孤児出身の女」に対し、丁寧な会釈を送る。
「ええ、ありがとうございます。……ふふ、今日もお仕事、頑張らないと」
リーリャの頬には、かつてのやつれた影はない。
配給の温かなスープと、娘と囲む穏やかな食卓。
それらが彼女の瞳に光を取り戻し、あばらの浮いていた体には健康的な曲線が戻りつつあった。
事務机に向かい、ペンを走らせる彼女の表情には、ささやかな日常を謳歌する女性の、柔らかな笑顔が咲いていた。
しかし——。
その笑顔が眠りにつく深夜、五歳のエンヴァは音もなくアパートの窓から闇へと溶け出す。
「……報告を」
路地裏の奥、警察の目が決して届かない地下の倉庫街。
そこには、黒い外套を纏った「アルテリ」の少年たちが、軍隊のような規律で整列していた。かつての泥棒猫のような卑屈さは微塵もない。
「資金洗浄のルート確保、完了しました。……邪魔な警察も一人、川へ沈めてあります」
報告する少年の足元には、数箱の銀貨が積まれている。
エンヴァの黄金色の瞳は、昼間の愛らしい「良い子」の面影を完全に消し去っていた。
彼女が指一本動かせば、帝都の物価が揺れ、誰かの命が静かに消える。
「あら、そんなに震えないで?取って食いはしないわよ 」
そうは言っても組織内では伝説の狂人であり恐人でもあるエンヴァの前に立ってまともな精神状態でいられる少年は皆無だった。
深夜の静寂の中、少女のクスクスという笑い声が冷たく響く。
光の中に咲く母。闇の中で根を張る娘。
その二つの世界は、決して交わらぬまま、しかし強固に絡み合い、帝都の夜を支配し続けていた。
三年の月日が流れた。
かつての「藁のパン」を分け合っていた母娘の姿は、今や帝都の歴史の断層に深く、そして静かに潜伏している。
八歳となったエンヴァは、五度にわたる他地域の熾烈なアルテリとの抗争をすべて制し、帝都の地下社会を完全に統一した。
だが、彼女の名が表に出ることはない。
彼女は「解りやすい神輿」として一人のリーダーを据え、自らは死んだという偽情報を徹底的に流布した。
三年の時間は、人々の記憶から「恐ろしい五歳の少女」の面影を奪い、彼女を伝説という名の闇の中に葬り去るには十分だった。
「……ボス、本日の『納品』も予定通り完了しました。帝都守備隊の弾薬庫は、今や我々の製品で埋め尽くされています」
アルテリの幹部が、かつての路地裏の少年とは思えぬ洗練された仕草で、一冊の報告書を差し出す。
死を偽装したエンヴァは、犯罪収益を洗浄し、前世で培った経営手腕を惜しみなく注ぎ込んで巨大な軍需工場を立ち上げていた。
生産されるのは、最新鋭の銃火器。
その大半は帝国軍へと高値で売却され、組織に莫大な富をもたらすが、残りの三割——最高品質の「特注品」だけは、アルテリの精鋭たちの手に渡される。
彼らはもはや少年ギャングではない。
最新の装備と、訓練を施された、帝国軍をも凌駕しかねない「私兵集団」へと進化を遂げていた。
「いいわ。帝国が私たちの銃に依存すればするほど、この国の喉元を握る指は強くなる……」
八歳のエンヴァの瞳は、理知的な光を湛え、かつての魔女の風格を完全に取り戻している。
一方、二十一歳となった母リーリャは、今も警察署の事務員として、陽の当たる場所で穏やかな生活を送っていた。
娘が深夜に「死の商人」として銃の数を数えていることなど、夢にも思わずに。
「お母さまが明日食べるお菓子には、この世で一番甘い蜜を入れてあげて。……工場の硝煙の匂いは、私が全部引き受けるから」
女王は不在のまま、王座は揺るぎない。
魔女が紡いだ鋼の糸は、今や帝都そのものを吊り上げる巨大な蜘蛛の巣へと成長していた。




