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転生の魔女  作者: RUSA
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7生 ep.3

かつて、前世のエンヴァの共和国が議会の決定によって攻め込んだ「東の大国」の首都。


首都を囮にして共和国の侵略を止めたあの場所にエンヴァは生を受けていた。


しかしエンヴァは今の所それを知る由も無い。




この帝国は今、緩やかな死に向かっていた。




インフレーション——庶民の間でその言葉自体を知る者は少ないが、現実は残酷だ。




わずか一年で物価は三倍に跳ね上がり、貨幣という名の紙切れは、暖炉の焚き付けにもならないほどに価値を失っている。




母リーリャが、男たちからの対価を現金ではなく、パンや干し魚といった「現物」で受け取っていたのは、生きるための本能的な知恵だった。




明日には価値が半分になる紙幣より、今日胃袋を満たす黒パンの方が、この街ではよほど信頼に値するのだ。




(……それに、そもそも『公的な救済』なんて、私たちには届かないものね)




帝政を敷くこの国において、国民であることを証明する「戸籍」は、パンよりも得がたい特権だった。




リーリャ自身、両親に捨てられた孤児であり、この国の帳簿にその名は記されていない。


当然、娘であるエンヴァも、この世に存在しない「透明な人間」だ。




戸籍がなければ、政府からの配給も、正式な職も、そして人としての権利すら与えられない。




今二人が身を寄せているこの場所も、法的には「居住地」ではなく、ただの「廃屋」に過ぎなかった。


この崩れかけた屋根の下に住み続けるために、リーリャは大家に対しても現物で「家賃」を支払い続けている。


文字通り、自らの命と時間を削り、まがいもののパンへと換え、それをさらに住処へと換える。




リーリャが常に極限の貧しさに身を置いているのは、怠慢のせいではない。




この帝国の構造そのものが、彼女のような「記録なき者」を、底なしの泥濘へと突き落とし、二度と這い上がらせないようにできているからだ。




(……なるほど。なら、まずはこの腐った国そのものから書き換える必要があるわね)


エンヴァは、隣で浅い眠りにつく母の、あばらが浮いた細い肩を見つめた。




戸籍がないのなら、作ればいい。


配給がないのなら、奪えばいい。


住処が廃屋なら、この帝国そのものを、自分たちの「庭」に作り変えてしまえばいいのだ。






母リーリャが本日3人目の客を取り疲れ果てて眠りに落ちた後。




五歳のエンヴァは、音もなく廃屋を抜け出した。霧に包まれた夜の街は、幼い身軽な身体にとって、格好の偵察場だった。




路地裏の奥、湿った石畳の上でエンヴァが出会ったのは、自分と同じような境遇の孤児たちだった。




しかし、煤に汚れ、飢えを隠さない彼らにとって、エンヴァの雪のような白い肌と、魔女の残滓を宿した美しい銀髪は、あまりに場違いで、眩しすぎた。




「おい、いいもん見つけたぜ……」


下卑た笑いを浮かべた少年たちが、獲物を取り囲むハイエナのように距離を詰めてくる。




「『大人ごっこ』をしようぜ。まずはその服、全部脱げよ」


幼い欲望と残酷さが混ざり合った言葉。


エンヴァの母であるリーリャの早すぎる出産もこの「大人ごっこ」の産物である。


当時11歳、娯楽に飢えた少年達は5歳の少女に対しても歪んだ欲望を向けていた。






だが、エンヴァの黄金色の瞳に映るのは、恐怖ではなく、救いようのない稚拙さへの憐憫だった。




「……あら、そんなに急いじゃって。もっと『お作法』を教わらなかったのかしら?」




エンヴァが低く、囁くように呟いた瞬間。


地面から黒い蛇のような『茨』が這い出し、少年たちの足首を無慈悲に締め上げた。




「ぎああああっ!? 痛え! 外れねえ、なんだこれ!」


太く長いトゲが柔らかな皮膚を貫き、汚れた石畳に赤い血が滲んでいく。




少年たちがパニックに陥り、必死に茨を引き剥がそうとするが、もがけばもがくほどトゲは深く、骨に届くほど食い込んでいった。




「あら? どうしたの? クスクス……。そんなに暴れたら、トゲが折れて体の中に残ってしまうわよ。早く外して綺麗な水で洗わないと、傷口が腐って足を切断することになるわね」




エンヴァは優雅に歩み寄り、泣き叫ぶ少年たちの顔を覗き込んだ。


その顔には、月光を反射する冷徹な笑みが浮かんでいる。




「……さて。お話を聞かせてくれるかしら? 場合によっては、その茨を外すのを手伝ってあげなくもないけれど」




命の危機を感じた少年たちは、震えながら自分たちの内情を吐き出した。




新聞売り、花売り、劇場の場所取り、靴磨き……。




日々を繋ぐための、泥を啜るような労働の数々。




「どれもなんとも地味ね。もう少し、まともな仕事はないのかしら?」




エンヴァが退屈そうに問いかけると、リーダー格の少年が顔を引き攣らせて答えた。




「……美味しい仕事は、全部アルテリ(少年ギャング)が独占してるんだ。俺たちみたいな孤児が、各地で徒党を組んで縄張り争いをしてる。……警察に金を払って見逃してもらって、スリや強盗、闇市の転売……全部あいつらのシマなんだ!」




その言葉を聞いた瞬間、エンヴァの瞳に宿る知略の火が、鮮やかに燃え上がった。




(組織的な略奪に、公権力との癒着……。なるほど)




「なんだか、それが一番手っ取り早そうね」


五歳の少女は、満足げに口角を上げた。




かつての帝国も、最初は小さな知略の積み重ねから始まったのだ。


月明かりの下、エンヴァは足元で震える少年たちを見下ろしていた。解放された茨の跡からは、情け容赦ない「服従」の証が刻まれている。




「まずは貴方たちの住処に連れて行ってもらえるかしら? 丁度いい袋があれば良いのだけど」


エンヴァの言葉に、恐怖で顔を強張らせた少年が声を荒らげた。




「ど、どうする気だよ! お前!」


「せっかく遊んであげたのだから、お駄賃くらいは貰って帰らないと。さもなければ……そこの野犬と貴方たちの『大人ごっこ』をさせるわよ」




エンヴァが細い指先を踊らせる。




すると、闇の中から飢えた野犬たちが、まるで操り人形のように姿を現した。


唸り声を上げる獣たちは、茨に足をもつれさせ四つん這いになっている少年に、じわりと馬乗りになる。

犬のよだれが少年の顔にかかる。

馬乗りになった犬は少年の上でハッハッハと荒い息をかける。



「ヒィ!や! やめさせてくれ! なんでも言うこと聞くから!」


「お前ら! ありったけのパンを持ってこい! この女、本当にヤバい!」




少年たちは這うようにして住処へと走り、命乞いをするように袋いっぱいの黒パンを詰め込んで持ち帰ってきた。




「これで勘弁してくれ! 悪かったよ! 謝るから!」


「そお? 悪いわね、ありがたく頂いていくわ」


袋を肩に担いだエンヴァは、クスクスと笑いながら闇に消えた。




廃屋に戻ると、そこには不安げに待つ母リーリャの姿があった。




「どうしたの! こんなにたくさん!」


「なんだか街で偉い人とお話をしていたら、買ってくれたの」




エンヴァは天使のような無垢な微笑みで嘘を吐く。




幼い頃から搾取され、人の悪意にしか触れてこなかった十八歳の母は、その言葉を疑うことさえしなかった。




「そうなの……この街にも優しい人がいるのね……」




リーリャの目に、溜まっていた涙が溢れ出す。




「ねえ、一緒に食べましょうよ、お母さま」


「うん、うん……ありがとう、エンヴァ」


それからの七日間、エンヴァは半ば強引に母を説得し、夜の仕事を休ませた。




奪い取ったパンを分け合い、共に眠る一週間。




栄養が行き渡り、少しだけ血色の戻ったリーリャの横顔を見つめるエンヴァの瞳には、かつての魔女の冷徹さは消え、深い情愛が溢れていた。



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