表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生の魔女  作者: RUSA
122/159

6生 ep.29

翌日の王都は、抜けるような青空に恵まれていた。




変装用のフードを深く被ったエンヴァと、その後ろを歩くクリフ。




二人の目の前には、かつての「革命政府」時代の血生臭い停滞が嘘のような、活気溢れる市場が広がっていた。


帝国の物流網は完璧に制御されている。




各地の新鮮な産物が滞りなく集まり、人々は明日への恐怖ではなく、今日食べるパンの香りに胸を躍らせていた。




「……いい匂いね。革命軍が広場でワーワー騒いでいた頃は、こんなに美味しそうなパンの香りはしなかったわ」




「そうですね。あの頃は、毎日ギロチンの鐘が鳴ってましたからね」




クリフが差し出したのは、露店で買った焼き立てのパンに新鮮な野菜と、肉汁滴る厚切りの肉を惜しみなく挟んだサンドイッチだ。




エンヴァはそれを一口、満足そうに頬張った。




「(……信じられない。あの『魔女』と呼ばれた彼女が、今はこんなに幸せそうにサンドイッチを食べている。この平和を、豊かな食卓を、彼女が独りで作り上げたんだ……!)」


感極まったクリフが、思わず熱を込めて呟いた。




「エヴァ様。本当に……感謝しています。貴女がいなければ、この国は今頃、瓦解して他国に切り売りされていたはずだ」




「……大袈裟よ、クリフ」


エンヴァは口元のソースを指先で拭うと、フードの奥の黄金色の瞳を細めた。




「別に私は何もやっていないわよ。ちょっとだけ、暴徒を扇動して、無能な連中の椅子を蹴飛ばしただけ。……平和なんて、単に『その方が儲かるから』維持しているだけの、副産物よ」


「……そういうところが、貴女らしいですけどね」


クリフは苦笑した。




だが、ふと風に煽られてフードが捲れた瞬間、その隙間から覗いたエンヴァの横顔に、彼は息を呑んだ。




十七歳。




成熟し始めた美しさと、透き通るような肌。


光を孕んだシルバーヘアが、春の陽光に愛されるように輝いている。




「(……綺麗だ。神格化された銅像なんかより、今、目の前で笑おうとしている彼女の方が、ずっと、ずっと……!)」


じっとエンヴァの横顔を見つめているクリフに


「……何、クリフ? その目、まさか私に恋でもしているのかしら?」


「あ、いえ!はい! そんな! めっそうもございません!」


見透かしたようなエンヴァの言葉に、クリフは心臓が跳ね上がり、しどろもどろになって後退りした。顔は耳の付け根まで真っ赤だ。




「ふふっ。冗談よ。……でも、そうね。例の肌着……まだ流通はさせていないけれど、あれは元々、貴方の出したアイディアだったわね。工場主任として、よくやってくれているわ」




エンヴァは一歩踏み込むと、戸惑うクリフの腕に、自分の腕を不意に絡めた。


彼女の控えめな胸から伝わる柔らかな感触と体温。




「ご褒美をあげるわ。今日は一日、私の『ショッピング』に付き合いなさい。荷物持ちも、支払いの計算も、全部任せるわよ?」




「え、エヴァ様……!? 腕、腕が……!」


「……何? 嫌なの?」


上目遣いで覗き込む、小悪魔のような微笑み。


その圧倒的な美しさと、不意に見せる「普通の少女」のような仕草に、クリフの思考回路は完全に焼き切れた。




「(……もう、どうにでもなれ! 報酬がこれなら、一生分の労働だって安すぎる!)」


顔を真っ赤にしたまま、操り人形のように歩き出すクリフ。


そんな彼を、エンヴァは楽しそうに引き連れて、色鮮やかな市場の奥へと消えていった。






市場での奔放な休日を終え、膨れ面で「どうして私も連れていってくれなかったんですか!」と詰め寄るクラリッサを、


「次は貴女の規格サイズに合う特大のケーキを買ってきてあげるわ」


「私のサイズって何ですか!」


と騒ぐクラリッサをなだめすかし……。




ようやく訪れた独りの夜。




エンヴァは自室の天蓋付きベッドに身を横たえ、銀色の髪をシーツに散らして天井を見つめていた。


静寂の中、不意に脳裏をよぎったのは、昼間のクリフの真っ赤な顔——ではなく、幾つか前の前世で出会った一人の少年、セトの面影だった。




「……ふふっ。あの子も、本当に固くなって……かわいかったわね」


唇から零れたのは、数百年を隔てた愛おしさ。




かつて、エンヴァは町で売られていた奴隷であったセトを開放し、自らの「所有物」とした。


彼女の導きによって、名もなき少年はやがて一国の「王」へと登り詰めた。




そして、彼を玉座に据え、すべての盤面を整えたあの日。


エンヴァは、これまで自分が行ってきた献身の対価として——あるいは、忠実な所有物への「ご褒美」として、自らの身を彼に与え彼の子を産むことを決めたのだ。




王宮の奥深く、重厚なとばりに守られた寝所。




そこに招かれた「王」の顔は、およそ一国を統べる者のそれとは思えないほど、情けなく、震えていた。


「エ、エンヴァ様……! 本当によろしいのですか? 本当に、私のような者が、貴女に触れても……本当ですか!」


「いいから、黙っていらっしゃい。貴方は私のもの、そして私は今、貴方に『報酬』を与えると決めたのだから。」




跪き、今にも泣き出しそうな顔で自分の手を取ったセト。


あの時の、指先から伝わってきた狂おしいほどの熱と、自分を仰ぎ見る忠実な犬のような瞳。




あの夜の記憶は、今でもエンヴァの魂に焼け付くように残っている。


それは愛という甘い言葉では括れない、支配と従属が溶け合った、彼女だけの秘かな蜜月。




「(……そうか。私、あのセトと、今のクリフを重ねていたのかしら)」


昼間、からかうように腕を組んだ時の、クリフの狼狽うろたえぶり。




耳まで真っ赤にして、壊れ物を扱うように自分を意識していたあの気配。


それは、かつて「王」という名のエンヴァの奴隷だったセトが見せたものと、驚くほど似ていた。




「……十七歳、ね。」


エンヴァは月光に照らされた自分の指先を見つめ、小悪魔のような、それでいてどこか遠い目をした微笑を浮かべた。


帝国を買い叩き、神として君臨する魔女の心臓が、過去と現在を結ぶ奇妙な鼓動を刻んでいた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ