6生 ep.21
昨日まで断頭台の露を恐れ、重税に喘いでいた王都は、一日にして「祝祭の都」へと姿を変えた。
灰色の空から舞い落ちるのは、もはや火の粉ではない。
市民たちが乏しい蓄えの中から切り刻んで作った、色とりどりの紙吹雪だった。
「エヴァ! 救国の乙女エヴァ!!」
「我らが救世の乙女! 絶望を焼き払った真紅の守護者よ!!」
鼓膜が震えるほどの歓声が、石畳の道を埋め尽くしている。
十五歳の「総大将」を乗せた馬車が通り過ぎるたび、沿道の民衆は狂ったように花を投げ、涙を流してその名を叫んだ。
馬車の窓際、真紅のドレスを纏ったエンヴァは、優雅に笑みを浮かべて手を振り返している。
その隣では、影武者の重任を終えてようやく「本来の顔」に戻ったクラリッサが、複雑そうな表情で外の熱狂を眺めていた。
「……ねえ、エヴァ。聞こえる? 向こうの方で、事情を知っている将校たちが何か言っているわよ」
クラリッサが指差す先、凱旋列の端っこで、苦虫を噛み潰したような顔をした兵士たちが小声で毒づいていた。
「『エヴァ議員は何もしていない』『ただ壊滅して動かなくなった敵軍に、突撃の合図を出しただけだ』。彼らにしてみれば、当然の言い分でしょうね。」
だが、その否定的な声は、次の瞬間に沸き起こった地鳴りのような「エヴァ様」コールにかき消された。
一部の兵士の正論など、明日への希望を失っていた数万の民衆の「熱狂」の前では、羽虫の羽音ほどの価値もない。
「いいのよ、クラリッサ。彼らは真実なんて求めていないわ」
エンヴァは、降り注ぐ紙吹雪を指先で弄びながら美しい声で呟いた。
「重税、インフレ、連日の処刑……。暗い泥沼の中にいた彼らにとって、私は『救国の英雄』という名の、最高に眩しくて、都合の良い『話題』なのよ。……真実がどうあれ、彼らは今、この瞬間だけは『勝利』という麻薬に酔いしれて、空腹を忘れることができるわ」
「……戦争の勝利が娯楽、ね。……なんだか少しだけ、悲しいわね」
クラリッサの言葉に、エンヴァは黄金色の瞳を細めて微笑んだ。
馬車が広場へ差し掛かると、歓声はいよいよ頂点に達した。
降り注ぐ紙吹雪の中、十五歳の少女は、馬車の上から手を振ると割れんばかりの歓声が彼女を包む。
エンヴァは自らが作り上げた「英雄」という名の虚像を完璧に演じ切り、崩壊した共和国の頂へと一歩を踏み出した。
エンヴァが北方で「掃除」を終えた直後、共和国議会は奇妙な万能感に包まれていた。
「子供にできるなら、私たちがやればもっと鮮やかに勝てる」
そんな救いようのない勘違いをした一人の有力議員が、勝利からたった一か月後にエンヴァが連れ帰ったばかりの軍を強引に引き連れ、東方の要塞へと出陣したのである。
戦闘は森を挟んて行われた、敵軍は要塞守備を除くと出てきているのは全軍で3万程度だろうとタカとくくっていた共和国軍。
3万と8万ならその兵力は倍以上、強引に撃って出た議員は勝利を確信していた。
「突撃せよ!左翼騎馬隊突撃だ!」
老議員の指揮によって共和国軍の騎馬隊が敵の先鋒隊に突撃を行う。
「ハハハ! 見ろ、敵軍が逃げていくぞ! やはり我が共和国軍は無敵だ!」
東方の要塞を目前にした平原。
指揮官を気取る初老の議員は、馬上で高らかに笑声を上げた。
目の前では、騎馬隊の攻撃を受けた敵軍が、隊列を乱して森の奥へと退却していく。
「追え!逃げ回る羽虫を地獄の果てまで追うのだ!」
「閣下、深追いは危険です! 敵はまだ余力を残しているはず……まずは陣を固め、増援を待つべきかと!」
現場の叩き上げの将校が必死に諫めるが、手柄に目が眩んだ議員の耳には届かない。
「黙れ! 敵を逃がせば、私の功績が減るではないか! 第一大隊は右翼から、第二大隊は左翼から回り込め! 敵本体を挟み撃ちにし、一兵たりとも逃がすな!」
命令は下された。
だが、それが地獄への招待状だった。
八万の軍勢が二手に分かれ、本陣からも二つの大隊が敵本陣へ向かう為視界の悪い森へと踏み込んだ瞬間——四方の木々から、不気味なほど統制の取れた角笛の音が響き渡る。
「……何事だ!?」
「伏兵だ! 敵の伏兵が現れました!!」
敵将は、最初からこの地形を熟知していた。
はじめから要塞に守備など残さず、全軍で共和国軍を撃ちに出てきていたのである。
逃走は誘い。
議員が功を焦って兵力を分断した瞬間、森に潜んでいた精鋭たちがその隙間を裂くように突入してきた。
左翼は逃げる敵を議員の指示通り「地獄の果て」まで追いかけており合流する事敵わず、中央軍は敵の待ち伏せに会い動きが取れない。
突出した右翼が敵軍主力の見事な中央突破、背面展開戦術によって陣形を崩され包囲の危機にあった。
「右翼が分断されました! 左翼とも連絡が取れません!」
「敵が……敵が多すぎる! どこから湧いてきやがったんだ!!」
連携を断たれた八万は、もはや巨大な軍隊ではなく、ただの右往左往する素人の集まりに過ぎなかった。
各個撃破。
敵将の冷徹な指揮の下、共和国兵たちは次々となぶり殺しにされ、素人達の命乞いの声が森を埋め尽くした。
完敗と言って良かった、共和国軍は多大な犠牲を払い撤退した。
「……それで? その『指揮官』様は、どの面下げて帰ってきたのかしら」
王都の工場の執務室。
エンヴァは、鍋の中でコトコトと踊る豆を木匙で見つめながら、氷のような声を漏らした。
窓の外からは、敗戦の報を聞き、恐慌状態に陥った市民たちの絶叫が響いている。
「帰ってきてさえいないわ。あの議員様は、兵を捨てて真っ先に逃げ出したそうですよ」
クラリッサが、怒りを通り越して乾いた笑いを浮かべながら、報告書を読み上げる。
「八万いた兵力は、今や五万の敗残兵に。その勢いのまま、我が国の喉元である『東方の砦』はそのまま敵軍に占拠されたわ。……エヴァ、彼ら、貴女が北方であげた戦果も今回彼らに持たせた兵糧もすべてドブに捨ててくれたわね」
「……算数もできない馬鹿に、軍を任せたのが間違いなのよ」
エンヴァは鍋を火から下ろすと、黄金色の瞳を不快そうに細めたが……
一口、煮戻した豆を口に含むと、うまく煮戻されていたのかエンヴァの口角が少し上がった。
クラリッサの目にはたったそれだけで機嫌が直ったように見えた。
工場の外では、
「エヴァ様を出せ!」
「もう一度、国を救え!」
という狂信的なシュプレヒコールが、地鳴りのように工場を揺らしている。
「国が滅びるのは構わないけれど……私の豆を煮る静寂を、こうも安っぽく汚されるのは我慢ならないわね」
窓の外の市民達を眺めるエンヴァの視線は氷よりも冷たかった。




