6生 ep.20
北方の冷たい風が吹き抜ける山岳地帯の出口。
そこは、共和国の命運を懸けた最終防衛線となるはずの場所だった。
だが、そこに布陣した「エヴァ軍」の天幕の中では、およそ歴史に残る合戦とは思えない、奇妙な入れ替わり劇が進行していた。
「……ちょっと、エヴァ! 無理だって言ってるじゃない! 絶対に無理よ!」
豪華な総大将の椅子に深く腰掛け、銀髪のカツラを必死に直しながら、クラリッサは今にも泣きそうな声で絶叫した。
その顔は、極度の緊張でだらだらと脂汗が滴っている。
「大丈夫よ、クラリッサ。あなたはただそこに座って、山から発煙筒が上がったら、練習した通りに『全軍突撃』って言ってくれればいいんだから」
当のエンヴァはといえば、どこか遠足にでも行くような軽い足取りで、外套の紐を締め直している。
「いい? 幸い、この軍の将校たちは昨日までパンを焼いていたような素人ばかり。私の顔なんて誰も知らないわ。……さあ、私の代わりに『救国の聖女』を演じてちょうだい。私はちょっと……『掃除』に行ってくるから」
そう言い残すと、エンヴァは音もなく天幕から姿を消した。
残されたクラリッサに軍から次々と報告があげられる。
「総司令! 敵軍、山岳地帯を抜け、先遣隊が平原に姿を現しました!数500!どう致しますか!」
「総数では到底敵いません! 今すぐ撤退の準備を!」
「敵がまだ合流していない今が撤退する好機です!ご決断を!」
「正面から戦ってもわが軍は弱く敵は正規軍です!撤退を!」
天幕に踏み込んできた急造将校たちが、好き勝手な撤退の為の御託をまくし立てる。
(ああ、とにかくこの人達は逃げだしたいのね)
と心の中で思うが、それはクラリッサも同じ気持ちだった。
(早くこの席から逃げ出したい!エヴァは何をやっているのよ!)
クラリッサは心臓が口から飛び出しそうなのを必死に抑え、エンヴァに教わった通りのセリフを、震える声で絞り出した。
「な、なりません……。敵本体が山から出てきたところを叩くのです。首都への道を……明け渡すわけには、まいりません」
「……チッ、これだからガキは」
将校たちの舌打ちが聞こえる。
だが、その直後だった。
——ドンッ!!!!!
大地を揺るがし、鼓膜を直接引き裂くような、巨大な衝撃波が空気を震わせた。
続いて二発、三発。 それは砲声などという生温いものではない。
まるで空そのものが叩きつけられたかのような、圧倒的な「物理的な絶心」だった。
「な、何が起きた!?」
騒然とする陣中。
その時、山岳地帯の頂から、鮮やかなピンク色の発煙筒が空へ尾を引いた。
「(……今だわ。やらなきゃ、私が殺される!)」
クラリッサは大きく息を吸い込み、工場の自室で何度も練習した「エンヴァの冷徹さ」を模倣して、裂けんばかりの声で叫んだ。
「全軍突撃! 敵は壊滅状態です! 追って息の根を止めなさい! ……進まぬ者は軍法会議にて、私が直々に裁き全員ギロチン送りにしてあげるわ!」
その気迫に押され、疑問を抱きながらも歩兵隊が山道へと踏み込む。
だが、そこで彼らが見たものは、もはや「戦争」と呼べる光景ではなかった。
「……オ、オェエエエエ!!」
そこにあったのは、巨大なスクーパーで抉り取られたかのように「丸く」削り取られた地形。
そして、その窪みを埋め尽くす、文字通りの「血の海」だった。
それは何度目か前の生のエンヴァが放った魔力の塊、消滅魔法。
エンヴァにとってはただの性的な快楽の象徴。
しかし、密集陣形を敷いていた三か国連合軍はこれをまともに受け本陣ごと吹き飛ばされていた。
人であったものの手や足、胴体などの「パーツ」と内臓が、削り取られた地形の外側に幾何学的な模様を描いて散乱している。
運よく生き残った敵軍は、あまりの超常的な惨劇に精神を崩壊させ、武器を握ることさえ忘れて放心していた。
その光景を目の当たりにしたエヴァ軍の兵士達はそれを神の御業という曖昧な言葉で自分を納得させるしか無かった。
「突撃!敵を蹂躙せよ!」
中級指揮官の突撃命令によってそこへ共和国軍がなだれ込む。
それは戦闘ではなく、ただの処理と言って良かった。
戦意と指揮系統を完全に喪失した敵軍は撤退もままならず次々と素人の兵達に制圧されていく。
「……お疲れ様、クラリッサ。」
返り血一つ浴びず、目を潤ませ頬をを真っ赤に染めて。
まだ呼吸も整え直していない、どこか「スッキリ」とした表情で戻ってきたエンヴァが、天幕の裏でこっそりとクラリッサと入れ替わる。
「もう!遅いんだから!何をやってたのよ!」
「いいからさっさとウィッグを外しなさい、誰かにバレたら色々今後面倒よ。同じ手が使えなくなるかもしれないじゃないの」
「まだやるつもりなの?こんなの嫌だったら嫌よ!どれだけ緊張したか!怖かったんだから!」
「こんなの全部慣れよ、慣れ。どうせ私に逆らえっこないんだから兵士なんて全員ジャガイモと思えばどうって事ないわよ」
そんな痴話喧嘩をしながらも前線から「掃討戦の終了」を告げられると
「それでは凱旋するわ! 全軍首都へ戻りなさい!」
真紅のドレスを翻し、十五歳の総大将が勝利を宣言した。
戦闘と言われる程の戦闘は一切行われていない。
突然血の海を残して消滅した連合軍の本体、それを共和国は「天罰」と称して軍記録に残した。




