6生 ep.19
激動の時代、王都の経済の何割かはすでに彼女の掌の上にあった。
国家が「理想」を失い、物理的に解体されていく中で、エンヴァはさらにその支配を強めていく。
投資、投資、投資。
事業を拡大する度に富がエンヴァの元に集まり得た余剰金で更に「現物」である旧貴族や教会の持つ領地を買いたたく。
彼女にとって、この国の崩壊は悲劇ではない。
新しく、より巨大な「庭」を造り上げるための、更地化に過ぎなかった。
エンヴァが着々と国家を「更地化」し、帳簿上の支配を固めていたその時。
外側から、エンヴァの庭を土足で踏み荒らそうとする巨大な影が差した。
北方から押し寄せる、三カ国連合軍。その数、実に十万。
彼らが交わした盟約はシンプルで残忍だった。
「共和国を地図から消し、その肥沃な国土を三等分に分かち合う」。
対する共和国の防衛力はこれまでの内政の混乱により、見るも無残な状態だった。
北方連合十万の進撃、東方の五万。
数字が残酷に共和国の寿命を削り取る中、議場を支配していたのは「死」を待つ敗北主義だった。
だが、その重苦しい空気を切り裂いたのは、これまで議会の隅で「物言わぬ象徴」として、あるいは「便利な資金源」として扱われていたはずの少女――エンヴァの、あまりに場違いな鈴の音だった。
「……それで、誰が最初に白旗を振るか相談は済んだのかしら?」
凍てつくような、けれど甘美な声。
誰もが耳を疑い、顔を上げた。
そこに座っていたのは、議会の末席で退屈そうに爪を眺めていたはずの、真紅のドレスを纏った少女――エンヴァだ。
彼女の隣には、どこか面白そうに唇を歪めるフリーダが影のように寄り添っている。
「エ、エヴァ議員! 冗談を言っている場合では……! 北方連合十万が国境を突破し、東方の要塞には五万の伏兵が控えている。我が軍の八万は、ただの『案山子』に過ぎないのですよ!」
一人の議員が、泡を食って叫んだ。
対するエンヴァは、優雅に足を組み、椅子の背もたれに深く体を預けた。
黄金色の瞳が、議壇に広げられた地図を、まるで「不採算部門のリスト」でも見るかのように冷ややかに射抜く。
「ええ、知っているわ。算数くらいは私にもできる。……つまり、このままでは一週間以内に、この豪華な議事堂は異国の馬小屋に変わるということね。せっかく綺麗に掃除させたのに、台無しだわ」
鉄の匂い。
絶望の匂い。
国家という名の砂上の楼閣が、今まさに崩れ落ちようとしている。
「ねぇ、フリーダ」
エンヴァは、隣で退屈そうに指先を遊ばせていた「もう一人の魔女」に、今日のおやつの相談でもするかのような軽い調子で声をかけた。
「……少し、派手にやっても構わないのかしら?」
その問いに、フリーダは黄金の瞳を細め、王都を覆う重苦しい空を眺めた。
彼女の唇には、すべてを達観したような、あるいはすべてを焼き尽くす準備が整ったような、不遜な笑みが浮かんでいる。
「『お姉さま』がいらっしゃったらどう考えるかはわからないけど」
一瞬考え言葉を続けるフリーダ。
「いいんじゃない? もう『隠れて生きる』なんて時代でもないと思うし。何より……」
フリーダは視線を戻し、エンヴァの真紅のドレスと、その奥にある譲れない「聖域」を見透かすように告げた。
「この国がなくなって、あなたの豆を煮る場所が奪われる方が一大事なのでしょう?」
クククと笑いながらエンヴァの目を見る。
「……そうね。私の大切な鍋をひっくり返そうなんて、万死に値するわ」
エンヴァとフリーダの視線が重なり、議場を支配していた「政治」や「戦略」といった低俗な言葉が、音を立てて消え去った。
二人の魔女の間にあるのは、自分たちの平穏を邪魔する「雑音」を排除するという、至極単純な合意。
「決まりね。……議員の皆様、一つだけ教えてあげるわ」
エンヴァは立ち上がり、絶望に震える大人たちを見下ろした。
「数で勝てないのなら、数という概念そのものを消してしまえばいいのよ。」
「どういう意味だ!」
「子供は引っこんでいろ!」
「……騒がしいわね。そんなに逃げ支度が忙しいのかしら?」
怒号と悲鳴が渦巻く議場に、凛とした、けれどひどく場違いな声が響き渡った。
十五歳。
少女と呼ぶにはあまりに鋭く、女と呼ぶにはまだ硬い蕾のような美しさを湛えたエンヴァが、ゆっくりと立ち上がった。
「私が、出陣するわ。」
一瞬の静寂。
その後、議場は爆発したような失笑と罵声に包まれた。
「ハハハ! お嬢ちゃん、今なんて言った!? おままごとの時間じゃないんだぞ!」
「気がふれたか! 八万の素人軍勢で、十万の精鋭に勝てるとでも思っているのか!」
「子供は黙って、家でお人形で遊んでいなさい!」
飛んでくる罵声を、エンヴァは黄金色の瞳で冷ややかに受け流す。
その隣で、黄金の瞳を愉しげに細めたフリーダが、扇を広げるように口を開いた。
「あら、良いんじゃないかしら? エヴァ議員がやるって言っているんだもの。それとも……ここに座っている立派な『大人』の中に、彼女以上に指揮を執る勇気のある御仁はいらっしゃるのかしら?」
フリーダの視線が議場を舐めるように動く。
さっきまで吠えていた議員たちが、一斉に目を逸らした。
負け戦が決まっている戦場。そこへ赴くということは、死ぬか、あるいは敗戦の全責任を背負わされることを意味する。
「……誰もいないの? 自分の財産を海外へ逃がす算段で忙しいのは分かるけれど、少しは格好をつけたらどうなの、こんな健気な女の子が戦場に立つって言ってるのよ?」
フリーダの追撃に、議場は水を打ったように静まり返った。
議員たちの脳裏には、醜悪な計算が弾き出される。
(……そうだ。この娘を『総大将』という名の生贄に捧げればいい。負ければ子供の無鉄砲のせいにできるし、万が一時間を稼いでくれれば、その間に我々は逃げ切れる)
「……賛成だ! エンヴァ議員に全軍の指揮を託そう!」
「異議なし! 救国の乙女よ、期待しているぞ!」
手のひらを返したような拍手の嵐。
エンヴァは、自分を死地へ追いやることで安堵している大人たちを見下ろし、口角をわずかに釣り上げた。
「決まりね。……クラリッサ、準備を。今日からこの国は、私の『庭』になるわ」
数日後。
「国民総動員法」によって掻き集められた、震える八万の農民兵を含めた国軍の先頭に、真紅の外套を纏った十五歳の総大将が立った。
「エヴァ軍」
——それは、滅びゆく共和国が最後に放った「毒薬」だった。




