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転生の魔女  作者: RUSA
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6生 ep.13

新年の余韻をかき消したのは、祝砲ではなく本物の砲声だった。


雪混じりの風に乗って響くその轟音は、平和への祈りを無慈悲に引き裂き、王国の喉元へと突き立てられた。


国境を越えて侵攻してきた外国の侵略軍。


それは、利権を巡る内乱に明け暮れ、互いの足を引っ張り合っていたこの国にとって、あまりにも巨大で組織的な「死」の訪れであった。




「……信じられないわね。英雄的な将軍、ですって?」


エンヴァは、前線から届いたばかりの、血と泥に汚れた報告書を無造作に暖炉に放り込んだ。




燃え上がる炎が、絶望的な敗北の記録をじりじりと飲み込んでいく。


報告によれば、大陸随一の精鋭を自負していた王党軍は、その「将軍」が率いる伏兵によって、糸を切られた操り人形のように分断されたという。




連携を絶たれ、孤立した部隊は、まるで精密な機械で処理されるように、順番に、確実に、各個撃破されていった。




「プライドよりも命が惜しくなったのかしら。あの傲慢な王党軍が、自分たちが『汚物』と呼んでいた市民派に、泣きながら休戦を申し入れたそうよ」




エンヴァは冷え切った紅茶を机に置き、黄金色の瞳を冷ややかに細めた。




昨日まで殺し合っていた者たちが、より強大な外敵を前に、震える手を取り合って「救国」を叫んでいる。


そのあまりの変わり身の早さ、厚顔無恥な滑稽さに、彼女は失笑を禁じ得なかった。




「……泥沼の中で足を引っ張り合っていた豚たちが、狼が現れた途端に身を寄せ合うなんて。最高のお芝居ね」




彼女は窓の外、遠くで上がる黒煙を眺めながら、唇をわずかに歪めた。




「国を守る? 自由を守る? 違うわ。彼らはただ、自分たちの取り分を横取りされるのが怖いだけ。……さあ、その『英雄』様は、次にどの豚の喉元を食い破るのかしら」






だが、戦争は「特需」という名の劇薬を工場にもたらした。


「エヴァ、これ……今月の納品分に対する支払いよ。王党軍と市民軍、連名での発行だけど」


工場長としての風格を纏った13歳のクラリッサが、眉をひそめて数枚の紙切れを机に置いた。




それは、金貨の代わりとして強制的に流通させられている「軍票」だった。


「……こんな軍票を渡されてもね。ただの紙切れだわ」




「仕方ないですよ、エヴァ。王も市民も、もう金貨なんて持っていませんから。街の商店じゃ、これ一枚でパン一個買えるかどうかってところよ」






「仕入れに使おうと思ったら三割引きで買い叩かれる始末だわ。……クラリッサ、これを長く持っていてはダメ。物品の購入や資材の確保に、さっさと手放すように手配して」




「損切りね。すぐに手配するわ、エヴァ」


淀みなく答えるクラリッサの瞳には、かつての泣き虫だった少女の面影はない。


彼女は今や、エンヴァの意志を形にする、この聖域の「右腕」へと成長していた。




その時、慌ただしい足音と共に扉が開いた。




「エンヴァ様! 新しい機械が到着しました! これで織機の回転数をさらに三割上げられます!」


新たに工場主任へと抜擢されたクリフが、弾んだ声で報告を上げてくる。




元主任の少年の処刑後、その穴を埋めるように頭角を現した彼は、今や工場の技術と規律を一手に引き受ける、エンヴァにとって最も信頼の置ける「歯車」の一人だ。




クラリッサとクリフ。


二人に任せておけば、余程の事でも起こらない限り、この工場は安泰なはずだった。




王党軍も市民もこの工場の生産品がなければ戦えないのだから。


だが。




その「余程の事」は、神の悪戯か、あるいは消えゆく魔女の呪いか。


彼女たちの運命を根底から覆す激動が、すぐ隣の路地まで迫っていた。








外の世界の崩壊は、エンヴァの予想よりも遥かに早かった。


「特需」という名の熱狂は、その裏側で膨れ上がった民衆の飢えと憎悪という、制御不能な業火に変貌していたのである。




「……うるさいわね。せっかくの芽が出かかっているというのに」


工場の喧騒から切り離された中庭の片隅。エンヴァは、小ぶりな畑の中で健気に首をもたげた豆の苗に、静かに水を注いでいた。




だが、その平穏を切り裂くように、工場の高い外壁を超えて、数千人の怒号が地鳴りのように響き渡る。


「パンを寄越せ! 強欲なブルジョワめ、俺たちの血で私腹を肥やすな!」


「仕事を! 住居を! 子供たちを返せ!」


軍票という名の「絵の描かれた紙屑」で支払われる給料。




まともに家族を養えなくなった兵士や、職を失った市民たちの怒りの矛先は、皮肉にも彼らの足元を支える軍靴を縫い続ける、このエンヴァの工場へと向けられていた。




「エヴァ、状況は最悪よ……。工場の門を王党軍が固めているせいで、余計に民衆が『私たちは王の味方だ』って誤解してる。このままじゃ、暴動が起きるわ」




駆け込んできたクラリッサの顔は蒼白だった。




王党軍は貴重な軍需拠点であるこの場所を必死に守っているが、その「保護」こそが、民衆にとっては特権階級への加担に見えていた。




「……王党軍のシンパ、ね。あんな負け戦しかできない無能たちと並べられるなんて、心外だわ」


エンヴァはゆっくりと立ち上がり、指先に付いた泥を優雅に払った。




「クラリッサ、備蓄庫を開けなさい。街の外にある私の農場から運び込んだ小麦、その半分を今すぐ民衆に放出するわ」


「えっ……半分も!? これからの特需に備えて、子供たちの食料としても大事なものなのに」




「いいのよ。飢えた獣に理屈は通じないけれど、餌を与えれば一時的には大人しくなるわ」




エンヴァの黄金色の瞳に、冷徹な計算が光る。


「どうせしばらくすれば収穫できるものよ、彼らが暴発する前に早く」




施しは慈悲ではない。


暴徒という名の津波を食い止めるための、最低限の「防波堤」に過ぎない。




「門の外で叫んでいる人たちに伝えなさい。『工場からの配給』だとね。……さあ、急いで。私の豆が、騒音で枯れてしまう前に」




クラリッサの指示で少年達が大量の小麦袋を倉庫から持ち出した。


「はい!一人一袋までだよ!」


「これで倉庫は空っぽだ!エンヴァ様からの施しだよ!」


多少の嘘も織り交ぜながら民衆たちに小麦の袋を配布する。




「ありがてえ! エンヴァ様は、やっぱり俺たちの味方だ!」




「そうだ、よく考えろ! あの御方は孤児や未亡人を助けてくれている聖女じゃないか! 俺たちが狙うべきは、ケチな役人どもだ!」




配給された小麦を抱え、現金な民衆たちが叫ぶ。 エンヴァは工場の高い窓から、その熱狂を冷めた瞳で見下ろしていた。彼女の傍らには、複雑な表情を浮かべたクラリッサが立っている。




「……エヴァ、本当にいいの? 小麦だけじゃなく、備蓄していた古い軍用品や、試作の武器まで彼らに持たせるなんて。あれじゃ、まるで……」




「まるで、略奪を唆しているようだって言いたいの? クラリッサ」


エンヴァは、手入れを終えた豆の苗を窓辺に置きながら、残酷なほど美しい微笑を浮かべた。




「いいのよ。あんな連中、街の外へ放り出して、どこかで野垂れ死んでくれれば『口減らし』になるわ。……飢えたイナゴには、次の獲物が必要でしょう? せめて、派手に散るための牙くらいは持たせてあげただけよ」




エンヴァの計算では、この無秩序な暴徒たちは、街の外でどこかの正規軍に衝突し、無残に散るはずだった。




だが――運命という名の歯車は、魔女の冷徹な計算さえも飛び越えて、狂ったような「奇跡」を描き出す。




数日後、戦場から届いたのは、王党軍さえも腰を抜かすような急報だった。


「ほ、報告します! 街を背に陣を敷いていた敵国の本陣の背後に、突如として正体不明の武装集団が出現! 統制も何もない彼らの突撃により、敵本陣は壊滅! 敵軍は敗走を始めました!」




それは、地図も戦略も持たない暴徒たちが、ただ「次の略奪先」を求めて迷い込んだ結果、たまたま敵軍の死角を突いてしまったという、笑えない冗談のような勝利だった。




「……嘘でしょ? あの烏合の衆が、敵国の正規軍を討ったというの?」


クラリッサが絶句する中、街の広場では、町に戻った暴徒たちの一部が誇らしげに叫んでいた。


「俺たちは、エンヴァ様の軍勢だ! 聖女の加護を受けた不滅の軍隊だ!」




王党軍は、自らの無能を棚に上げ、この得体の知れない勝利を「エンヴァ軍」による奇襲と呼び、国家の危機を救った英雄として彼女を祭り上げ始めた。




「……はぁ。本当に、調子がいい人たちだわ」


エンヴァは、届いたばかりの「救国の英雄」としての表彰状をゴミ箱へ放り込み、深くため息をついた。








「……支援を打ち切るわ。これ以上、彼らに一粒の小麦も、一振りの錆びた剣も与える必要はない」


エンヴァは執務室の机に積み上げられた、前線からの「補給要請」という名のラブレターを、無造作に床へ叩き落とした。




「いいの、エヴァ? 彼らは今や『救国の英雄』として祭り上げられているのよ。今切り捨てれば、また矛先がこちらに向くかもしれないわ」




クラリッサが懸念を口にするが、エンヴァは窓の外、解散を始めて家路につく男たちの背中を冷ややかに見つめていた。




「いいえ。彼らはもう、自分たちの手で『配当』を受け取ったわ。……見てなさい」


エンヴァの言葉通り、国境付近から戻ってきた暴徒たちは、以前の薄汚れた姿ではなかった。




敵軍の将軍を偶然にも打ち破り、敗走する正規軍を徹底的に追撃――という名の「追いはぎ」――にかけた彼らの背には、略奪した上質な毛布、銀の食器、そして敵国の補給隊や越境先での村々から奪った食料が山のように積まれていた。




「あんな連中、最初から私への忠誠なんて一欠片も持っていなかった。


……腹が満たされ、懐に戦利品が転がり込めば、わざわざ工場の高い壁をよじ登るような面倒な真似はしないわよ」




実際、戦利品に恵まれた彼らは、エンヴァに感謝するどころか、自分たちの「武勇伝」を酒場で語り継ぐことに夢中だった。


その間盛り返した王党軍と市民軍の連合軍によって異国の軍隊を国外へと押し戻す。




こうして、エンヴァは心ならずも「一声かければ」立ち上がる「暴徒」を手に入れた。

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