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エピソード1-4

「迷宮といってもここは本当の迷宮じゃないの」


少女に連れられて、やってきた場所はドーム型の小スペースだった。通路の時と違って、ライラックが立ち上がっても十分なほど天井は高い。膝の心配はしなくてもよさそうだった。


ライラックが座っているのは、服が積まれた箱の上だ。お世辞にも座り心地が良いとは言えないが、通路のじめっと湿ったところよりはましだ。少女は少女で自分のベットみたいなものを持っていた。ライラックは残念ながら使わせてもらえなかった。


ドームのてっぺんにはランタンが煌々と光っていた。ガス式で少女がベット近くのスイッチを押すと消したり、つけたりできる。


「迷宮って拡大するのよ。ここはもともと古代の用水路だったの。300年くらい前のものかな。でも今は迷宮に飲み込まれてる」


「俺が知ってる迷宮はこんなのじゃないぞ。もっと広いし、モンスターもいないじゃないか」


「あなたが言ってるのはもっと奥の迷宮。浅いところは大体こんなもの。ここはたまたま水路と合体して形を保っているけれど、普通の迷宮なんてろくに歩けたものじゃないわ」


「よく知っているな」


「人間だもの。あなたよりはましね」


少女はくつくつと笑った。


「私はカレン。あなたは?」


「ライラックだ」


「ライラックね。聞きたいことは山ほどあるわ。でも、そういうのは一旦抜きにして助けてくれてありがとう。お返しってほどではないけれど、ここでかくまってあげるわ」


先ほど、”助けなんて必要ない”と言っていた少女の姿はどこへやら。きりっとした表情のカレンは、きっぱりとそういって見せたのだ。


「じゃ、ここでの生活について。いくつか知ってもらうことがある」



「まずは食べ物」


「これは?」


一言でいうならば、透明なリンゴ。形と色はリンゴのようなのだが奥が透けて見える。手に取ってみると予想通り、プルプルと柔らかい。


「ここでの主食。あんまり味はしないけれど、栄養にはなる。かじってみてよ」


恐る恐る、歯を立ててみる。すると手のひらの果実は水風船のようにぱぁんとはじけた。果実に顔を近づけていたライラックはもろに果汁の一撃を食らう羽目になった。それも顔面全体に。


「あはは。さぷらーいず」


濡れた子犬のように、髪が垂れたライラックを見て、カレンはひとしきり笑った。


ライラックはむっとした視線を向けるばかりだった。


「ほんとはこう管から中身を吸うのよ。試してみて」


カレンがするように、天井に張り付いていた茎の部分をすう。警戒心たっぷりだったが今回は大丈夫だったようだ。口の中に甘酸っぱい液体が入ってきて、ライラックの頭痛が和らいだ。


体全身に波打つような感覚。血液の流れを知覚するような。そんな感覚。ライラックには覚えがあった。


魔族領で出回っていたポーション。その魔力回復ポーションがこれと同じような感覚だった。もっとも味でいうなら雲泥の差がある。ポーションの苦みはこの世のものとは思えなかった。それでも効果だけは有用だったから、事あるごとに飲む必要があった。50年前にスクロールが出回った時、”これでポーションを飲まなくていいのか”と安堵したことを覚えている。


「この実を私はパルの実って呼んでる。いつの間にか生えているから気にせずどんどん食べちゃっていいわよ」


カレンはそう言ってもう二つほどすった。通路の奥にはまだまだパルの実が生えていた。確かにこれなら食料に困ることはなさそうだ。


「水はここにながれているのを飲む」


「こいつを? 濁ってるぞ」


確かに、通路の端には腕ぐらいの水路が通っていた。しかしそこを流れる水はお世辞にも、飲める色をしていなかった。泥水の上にさらに廃棄油をかけたみたいな。吐しゃ物をかきまぜた上で、煮込んだような…。これ以上形容するのはよそう。余計に飲みたくなくなる。


カレンはその水ともつかない何かをすくって、飲んで見せた。”ね、大丈夫でしょ?”というような顔をむけてみせた。ライラックはためらったが、意を決して水をすくい、飲んだ。変な味がすることはなかったが、あの濁っているのを自分が飲んだという事実に吐き気がした。


「魔族って全員あなたみたいなの?」


「俺みたい?」


「そう、なんだか繊細で、ちょっと間抜けな感じ」


「さぁな。人間にいろんなのがいるように魔族にもいろいろなのがいる。変に規則に厳しいやつだったり、糸目の方言を使うやつだったり、何から何まで素性の分からないやつまでいる」


カレンの瞳がまっすぐとライラックに向けられる。


「人がいたら誰構わず殺す。男は串刺しにして、女は犯す。子どもは食べる。笑いながらね。それが私たちの魔族っていうイメージ」


「そんなことはしない」


「でしょうね。私もあなたが人を殺すところが想像できないや」



「王! 王! これを見てくだされ。凄い成果ですぞ」


その男は王室に駆け込んできて、だしぬけにそう言った。


男の勢いある姿勢に王と呼ばれた人物は全く動じなかった。退屈そうにハンコを押す手は、みじんも迷いがない。代わりに、そばにいた執事兼王宮補佐係のマルクがこちらを振り向いた。その皺が刻まれた顔は明らかな嫌悪感を醸し出していた。


「王は忙しいのだ。去れ!」


しわがれていたにせよ、その声はよく響いた。王宮の中ではそれほど大きな音が立つ機会はない。それだけに、新鮮な感じだ。だが男は引き下がることはない。なおも王へと近ずく。


「まぁ、お待ちください。王も、執事も、きっと驚かれる。今からご覧に入れよう」


男は意味ありげに持っていた紙袋を開く。中から魔族球が3つほど飛び出した。


「待て、何をしようとしている!」


という執事の静止も聞かず男は続ける。右手にもっていた金属の板を魔族球へと近づける。すると一つは緑っぽい色からだんだんとオレンジ色に変化した。男はにやりと笑う。


それからもう一つの魔素球にも金属を近づける。今度のものは赤色に変化した。


「この金属はオーブの力を測定することが出来るのです。これで今まで理解できなかった迷宮の構造も、モンスターの生態も…」


男はそこで話を切ることになった。王が立ち上がったからだ。


王はその大きな体を左右に揺らしながら、こちらへとやってくる。男はたまらず膝をつき、頭を下げた。


「君は優秀な研究員だ」


「あ、ありがとうございます」


男は感激のあまり、涙を流しそうになった。これで自分の5年が報われた。そんな気がした。


「そう思っていた。だがろくな研究成果を持ってこないではないか。今日限りで王宮への立ち入りを禁じる」


だから、その王の言葉を受け入れるのに、時間がかかった。たちの悪い冗談だ。


「お、王。ご冗談を。私はこれまで…」


「去れ。これは王令である」


その有無を言わさぬ威厳に、男はただ頭を下げることしかできなかった。まるでバッドエンドを迎えたような。ひどく現実的でない展開だった。男の目にはうっすらと涙さえ浮かんでいた。


男がとぼとぼ王室から出て、足音が聞こえなくなったところで執事が王に近づいてきた。満面の笑みだった。


「あの男の顔! 見物でしたな。こんな感じでしたか?」


執事は自分の顔を手でゆがめて、王に見せた。お世辞にも似ているとは言えない顔真似だ。


王はそんな執事の態度にはまったく触れず玉座についた。それから何かを思いついたように口元に手を持って行った。


「どうされました。王?」


「名前。あの男はなんという名前だったか?」


王の変化に気が付かず、なおも執事は続ける。


「あんな者の名など、王にお伝えするのも心苦しい!」


「名前。三度目は言わぬ」


しばしの沈黙。執事もようやく事の重さを理解した。彼の額にはブワッと脂汗が浮かんでいた。


「し、失礼しました。確かハルトだったと存じております」


「ハルトか、良い成果を期待しているぞ」


「王? いったいどういう…?」


その質問を遮るようにしてノックの音が3回響いた。執事は自分が抱えていた疑問を全部ほっぽり出して、くるりと振り返った。無駄に上品なタキシードが、無駄に揺れた。


「また戻ってきた! 何度言えばわかるのでしょう?」


執事が、その門を開けるより先に、来客は入ってきた。彼の予想ではハルト研究員がしょぼくれた顔で、前言を撤回してもらいに来るはずだった。それを自分が一蹴して、みせる。王の仕事をじゃまするやつらなんて塵も同然なのだ。その場で打ち首にしなった王に感謝するべきです、なんて言ってみたりして。


そんな執事の妄想は実現することはなかった。


「聞こえてますよ。執事さん。あぁ。そのように私をゾクゾクさせないでください。うっかり手が滑ってしまう。これでも抑えるのに苦労しているんですから」


比較的長身の彼は、自然と執事を見下ろす形になった。


黒色のスーツに身を包んだ、その男は執事の前にナイフを突きつけた。目と鼻の先だった。ナイフが持つ独特の冷たさが鼻先を通して伝わってきた。蛇ににらまれたカエルよろしく、執事は動くことが出来なかった。動けばきっと殺されてしまう。


「ベース、ナイフを下ろせ。王室であるぞ」


「これは失敬。このような場で。謝罪いたします」


ベースと呼ばれた男はナイフを腰に差しなおした。執事はその場にへなりと倒れた。


「ご報告があります。よろしいでしょうか?」


「申せ」


「はい。今日の11時ごろです。裏路地で突然、風が吹きました。台風の時と同じくらいの風で、近くの住民は窓が揺れるのを目にしたそうです。続いて、路地から少女と、男が出てきました。少女の髪は金色で、男の方はかなりぐったりしており、少女に寄りかかっておりました。そのあと、路地の方に向けて、男が手をむけたと思うと、次の瞬間には氷塊が現れていました。私はこの男を魔族だと考えております」


執事は、ベースの報告を受けた王が微かにほほ笑むのを目にした。


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