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エピソード1-3

焦燥、焦燥、焦燥。追われている。つかまるとどうなる? 分からない。想像したくもない。


大通りへと続く最後の直線が現れた。それはまさしく希望の光そのものだった。


しかし同時に、男たちに見つかった。


背後から”居たぜぇ”という薄ら寒い声が聞こえた。


そんな時だった。ライラックの上がった息に隠れて、金属と、石がこすれる音がした。振り返る。先まで道だった部分が盛り上がっている。いや、マンホールだ。マンホールが、持ち上げられている。少女によって。彼女とライラックの目があった。それはたぶん、数世紀は見ることはないであろう、奇妙な出会いだった。


ライラックは一瞬追われていることも忘れて、少女を見つめた。凍えるようなブルーの瞳が、ライラックをとらえて離さなかった。少女の瞳には宝石よりも尊い何かがあった。


「あー! カレンですぜ。兄者、ほらあの髪!」


盗賊たちも少女の存在に気が付いた。少女はすぐさまマンホールの中に隠れようとするが、盗賊の方が一瞬早かった。大きいほうがマンホールを蹴り飛ばし、小さいほうが少女の髪をぐっとつかんだ。少女の顔が苦痛にゆがむ。何か言っている。でも建物で幾度も反響された少女の声は、ライラックにはよく聞こえない


…。


ライラックと盗賊は少女を挟み込むような位置関係だった。そうして、ライラックの後ろには大通りがある。人の往来が盛んで、衛兵なんかもいるだろう。


盗賊たちの意識は完全に少女に向いている。ライラックが逃げ出そうとも盗賊たちは彼を追いかけはしないだろう。


少女を犠牲にして、大通りに逃げる。最も合理的な選択だ。


そもそもここで少女を助けていったい何になる。あの少女は自分に利益をもたらしてくれるのか。そんなことはないだろう。見るからに薄汚れた服を着ている。髪もぼさぼさだ。あまり、食事ができていないのか、腕は細い。あの少女が王族で、ライラックに金一封を送ってくれるなんてことは万が一にもあり得ないだろう。


少女には悪いが犠牲になってもらおう。頭の中ではそう考えていた。ライラック自身そうするつもりだった。魔族は他者を助けない。手を差し伸べない。自分さえよければ他人がどれだけ苦しんでいようとも構わない。それが魔族という種族だ。


だが、ライラックはどうだろう。

角を切り落とした魔族は果たして魔族と言えるだろうか。


ライラックの足は、路地の方へとむけられていた。ライラック自身にも説明がつかない感情が腹の中に渦巻いていた。その感情はどうしようもないほどにライラックを支配し、制御権を完全に奪い去ってしまった。先ほどまで彼らから追われていたというのに


「そいつを離せーーー!」


勇者の恐怖も忘れて、角の痛みも忘れて、ライラックは風魔法を使った。


たちまち路地裏に、台風顔負けの暴風が吹き荒れた。盗賊の内、少女をつかんでいた小さいほうはそれをもろに食らって、地面にたたきつけられた。


「魔、魔族だ」


遅れてやってきた頭痛はライラックを絶叫させるほどのものだった。痛みにたえかねたライラックは地面を転がり、頭を石畳にたたきつけた。


まるで雷にでも打たれたような痛みだ。痛みは絶え間なく全身を駆け巡り、終わりのない苦痛が始まった。角がない状態で魔法を使った代償は酷い。


「は、はは。ついてるぜ。魔族の兄ちゃんにマンホールの盗人、カレン。国王に突き出せば、懸賞金は俺のもんだ」


大きな方の盗賊の勝ち誇ったような笑い声が路地裏に響いた。


「なぁ、カレン。なんとか言えよ。っていねぇ!?」


髪をつかまれていた少女は、小さいほうの盗賊がクッションになっていたおかげで、ほとんどダメージを負っていなかった。彼女はすぐさまライラックのもとに駆け寄って、彼をぐっと抱きかかえた。


「ちっ、逃げられると思ってんのか!」


ライラックの頭痛は収まることを知らず猛獣のように暴れまわっていた。そんな中でも少女の声は不思議とはっきり聞こえた。


「なぁ、あんた。なにかあるでしょ。とっておきが。でないと私ら共倒れよ!」


そうだ。俺は少女を助けようとしたんだ。


ライラックの痛みがすこしだけ引いていく。もう一発なら。打てるはずだ。


「すぐそこだ。まってろ金、金、金」


「はやくしろぉー! あんた死にたいわけ!?」


魔力を集める。普段からやっていることを繰り返すだけだ。何も特別なことはいらない。ただ魔力を飛ばせばいい。


ライラックの手のひらから、冷気が漏れ出す。たちまちそれは氷塊となって盗賊へと飛んでいく。氷塊は盗賊にあたると一気に広がった。路地裏すべてを埋めつく勢いだ。氷の侵食は4階建ての建物を優に超える。ちょうど、大通りにライラックを抱きかかえたカレンが現れたところで氷の侵食は止まった。そのころ路地裏には小さな雪国が誕生していた。


盗賊は巻いた。しかし、事態は。


「魔族よーーーー!」


だれかが叫んだ。それを合図にして、その場にいた人間たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。すぐにライラックと少女のもとには人一人いなくなった。


「なによ、魔族の一人ぐらい…」


カレンはそう言いながら意識のなくなったライラックを引きずるようにして運んだ。



目を覚ました時、ライラックは自分がどのような経緯で倒れていたのか思い出せなかった。


ただ何らかの使命感と、達成感。それから後悔の感情だけがあった。


ずきん、と頭が痛んだ。そういえば額のあたりが冷たい。手で触れてみるとその感触がタオルであることが分かる。だんだん、ライラックの記憶は戻ってくる。


そうだ。魔法を使ったんだ。少女のために。二回も。


その彼女はいったいどこへ行ってしまったのだろう。


ライラックはあたりを見回した。近くに少女の姿は見えない。そこにあったのは緑の生い茂った通路と、水路、それからゴミの数々だった。壁面はレンガで構成されている。相当古いものなのだろう、ひび割れたり、かけたりしていた。


天井はライラックにとっては低いものだった。アーチ状になっている一番高い部分でもライラックはか噛まなければならなかった。


通路は一本道で、シダが茂っているほうと、そうでない方があった。ライラックはシダの少ない方へ進むことにした。


歩いていると地面から緑の光が飛び出した。それはまるで蛍のようだった。そうしてこの光はライラックにとってなじみ深いものだった。


「魔素球、人間領に?」


魔素球。魔素がある一定以上の密度に凝縮されるとできる光の球だ。放っておくと消滅するか先ほどみたいに植物にくっつく。


魔族の一般認識で言えば人間界に魔素球は存在しない。人間が魔法を使えないのもこの魔素球が存在しないからと考えられていた。しかし現実として目の前には魔素球が存在している。魔族の認識と現実のすり合わせを行っていると目の前に少女が立っていた。


少女は両腕を胸の前で組み、眉間を寄せてこちらをじっと見つめた。


「なんで、助けたの?」


少女はぽつりとそうつぶやく。


ライラックの中に答えはない。彼自身なぜ彼女を助けたのか分からないのだ。

ライラックが黙ったままでいると少女は詰め寄った。


「私一人でもなんとか出来た。変に目立つと困るの」


少女はライラックの横を通りすぎた。そうして奥へ歩いていく。


「ま、待て」


奥へ行こうとする少女の肩を引き留める。強引なやり方に少女の機嫌はさらに悪くなったようだ。


「ここはいったいどこなんだ?」


少女は話すのが面倒だというように首をグルンと一回転させた。


「迷宮よ。あなたそんなことも知らないの?」


少女の言葉にライラックはただ目を白黒させるばかりだった。迷宮はライラックにとって人間領に来た目的そのものだった。


「迷宮、ここは迷宮なのか?」


「だ、か、ら、そう言ってるじゃない」


ライラックの顔にほんのりと笑顔が浮かぶ。ここが迷宮。俺がずっと夢に見た迷宮。達成感だとか、感動だとかそんなものは一切やってきていなかった。それもそのはず、目覚めたら夢がかなって魔族の幹部になっていました、なんて言われてもむなしいだけだろう。だからそんな実感なんてものは後回しだ。


ライラックは走り出した。そうしたい気分だった。ここのところ走ってばかりだな。なんて心の中で苦笑しながら。


「待ちなさい! あ、ちょ。早っ」


中腰だというのに驚くべき速度が出た。少女を置き去りにして先ほど、ツタが生えていた方へぐんぐん進む。探求心という名の存在がライラックに体力を与え続けていた。ツタが何度も足に絡まったが今のライラックにとってさしたる障害ではなかった。


ただ迷宮に来たという喜びをかみしめていたかった。


「あぁ、楽しいな。何十年ぶりだろう」


「ちょっと待ちなさいって!」


ライラックの右腕を少女が強引に掴む。


「何するんだ。邪魔するな」


「よく見て!」


ライラックの半歩先。そこにあったのは先も見えない暗闇だった。あまりの暗さにライラックは一瞬で冷静になった。さっきまでツタが茂っていたり魔力球が飛んでいたりしたがそこから先には本当に何もなかった。


ライラックの足元のレンガが一つ崩れた。幸い、ライラックは無事だったがレンガは暗闇の中へと落ちていった。音はしなかった。そこがあるならぶつかって音がするはずだ。


そこで初めてこの先にあるのは想像もつかないほど巨大な穴であることが分かった。迷宮は時として、非現実的なものを現実に持ち込む。だから迷宮内では常に慎重に行動することが求められる。ライラックの脳内でかつて何度も読み返した本の内容が現れてくる。


「話をきいて。怒鳴ったのは謝るから」


少女にそういわれてライラックはただ”あぁ”とだけ返した。

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