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エピソード1-2

船は、人間が航海に使っている蒸気船というものだった。木造船よりもしっかりしていて、大きさもそこそこだったので転覆の心配はしなくてもよさそうだ。それに船頭もしっかりとしている。


「ふぅん、角を切り落として、ね。無茶だねぇ。いろんな人を見てきたけれどこんなのは君が初めてだ」


船頭の少年、リックは舵を巧みに操縦しながら言った。河には奇妙な魔力溜まりがいくつもあって、下手な操縦をするとすぐさま方向感覚を失ってしまう。飛竜に乗って人間領に向かわなかったのはこの魔力だまりが関係している。


その点、リックは魔族であるというのに魔力に翻弄されず、航海を続けている。しゃべりながら。


ライラックの方はというと何とか、寝転がらないように耐えている状況だ。


「幹部を君呼ばわりとは、なかなか肝の据わった少年だ」


「これは本当の年齢じゃないんだよ。もっと長く生きている。魔法で成長を抑えているだけ」


「なぜ?」


特に、魔族は肉体が全盛期になると勝手に成長を止める。身長も、筋肉も、魔力量も。もし少年のままでいる魔法をライラックが知っていても使わないだろう。


そのような経緯もあってライラックはこの少年船頭の事を不思議に思った。


「特に意味はないのかもしれない。でも君にも分かるようになる。人間領に行くんだからね。意味のないことに、意味があるってことにさ。みなよ。もうぼちぼち人間領だ」


視点をあげると目と鼻の先に、陸地が見えた。その木々の感じといい、砂の感じといい。魔族領を出たときと何にも変わらなかった。方向感覚を失っていたのもあって、ぐるりと回って戻ってきたのではないかなんて錯覚にかられた。


剣と、スクロールの入ったポーチをもって、新天地へと足を踏み出す。俺はとうとう人間領にやってきたのだ。百年夢見た、その場所に。


リック船頭が遠く離れていくのを見守ってから、ライラックは河岸を旅立つ。目指すは人間領の中でも特に発展している場所。迷宮都市と呼ばれる、クリークの街だ。



ライラックが人間領にやってきたという実感を得たのは森で夜になった時だった。


魔族領の森には魔物と呼ばれるモンスターが跋扈している。一体、一体はそれほど強くない。だが彼らの本質は数にある。どれだけ同胞が殺されようとも、牙をむきたてて、あるいは爪をきらめかせて襲ってくるのだ。幹部の中でも結構力を持ったライラックですら嫌煙する野宿だ。一般の魔族は森の中で夜を迎えたとき、そこで命を落としたのと等しい。


それが人間領はどうだろう。恐ろしいほど静かだ。ただただ火を焚いているというだけなのに、動物は全くやってこない。日が暮れてから、一応剣を構えた自分が滑稽に思えるほどだ。


人間領にやってきてから、驚きの連続だった。さっき上げた魔物のこともそうだ。


まず人。リック船頭に分かれを告げてから、今の場所にやってくるまでに三人ほど出会った。二人が行商人で、一人は旅人だった。彼らは押しなべてライラックに好意的だった。特に、クリークの街を目指していることを話すとその傾向は強まった。


魔族領ではこんなことはあり得なかった。外からやってくるものは取り分け警戒される。どんな魔法を持っているか分からないし、何よりよそ者に親切にして、裏切られたとき割を食うのは自分だからだ。


魔族という自分主義な種族だからこそ、こういうことが起こるのは当然と言えるだろう。だから初めは戸惑った。人間の方がやけにフランクなので三人めで多少は慣れたが。


次に魔力。人間領は魔力が薄かった。氷の基礎魔法を数発撃っただけで魔力切れになるだろう。もっとも角を切り落とした今のライラックに魔法が使えるかどうかは分からないところではあるが。


それから、大体二日ほど北に歩いた。すれ違う人が露骨に多くなってきて、広大な小麦畑が見えたところで、その門が遠方に存在感を示した。


「あれが、クリークの街か」


クリークの街。ライラックが隠し持っていた本の中で、その名前が出てきたときから。彼はこの町に心を奪われていた。


小高い丘の上からは民家や棟、人間が作り出した文明が子細に見えた。まるで自分が開拓者になったような気分だ。魔族はこんな光景を果たしてみたことがあっただろうか。あんな閉鎖的な空間で、娯楽も少ない場所で。


いや、魔族領のことを考えるのはよそう。もう角を切り落としたんだ。


まだ距離があるというのに、その圧倒的な存在感を誇る城壁。はるか昔にきずかれた壁は迷宮から湧き出るモンスターをとどめておく防衛ラインとして機能していたらしい。


今ではその大きさと古代の建築物という事から、観光客の見物対象となっている、そう本に書かれていた。門が近くなってくると城壁の上に人が立っているのが見えた。


街の中には想定していたより簡単に入ることが出来た。


迷宮都市という事もあって、腰に差した剣は調べられることはなかった。懸念していたスクロールについても衛兵たちには粗雑な芸術作品にしか見えなかったらしい。そのおかげで用意していた言い訳の数々はついぞ使われることはなかった。


憧れのクリークの街についたライラックがまず抱いた感想が”大きい”だった。魔族領は魔王城を除いて、そのほとんどが一階建てだった。大工なんて職業はなかったし、家を建てる技術さえなかった。それが人間領だとどうだろう。4階ある石づくりの建物が当然のように軒を連ねている。


人は、半分くらいが腰か背中に剣を帯びていた。さすがは迷宮都市といったところだ。彼らは今日も迷宮に潜って、モンスターと戦い、時には命を懸けながら、大金を追いかけているのだろう。


ライラックにはその生きざまがとても素晴らしいもののように思えた。長命な魔族にとって冒険欲なんてものはほとんど存在しない。好奇心あるものは何かしら危険な場所に飛び込んですぐさま死んでしまうから子孫を残せないんだ。消極的で、リスクを避けて通るようなものたちが生き残り現状が出来上がっている。だからこそ、毎日冒険に向かうシーカーという、まったく反対の属性を持つものにあこがれを抱いたのだ。


「しかし、どこへ向かえばいいのだろう。シーカーの組合はどこだろうか」


本でいくらか知識を得ているとは言え、ライラックの知識は人間の子供にも劣る。地理関係の情報、貨幣価値なんかにはとりわけ弱い。


街を歩いている人間にどこへ行けばシーカの組合があるのか聞けばいい話なのだが、憧れの街にやってきて興奮しているライラックにはそんな考えは思い浮かばなかった。むしろ、うろうろするのも楽しい、なんて積極的に迷子になっている節さえあった。それもそのはず、魔族領にはない治水の技術、石造りの伝統感ある建物、貴重品とされていたガス灯。その全てがライラックをとらえて離さなかった。


「っ、頭が、痛い?」


後から知ったのだが、魔族領と人間領の魔力は”質”が全然違うらしい。魔族領の方は良質で、人間領の方は悪質だ。魔法を使わない人間たちは何にも感じないが、魔法が生活に結びついているような魔族はその悪質な魔力に吐き気、頭痛などの症状を覚えるそうだ。


例にもれずライラックも魔力の被害者になった。少し体調が悪いか、程度の頭痛は次第にずきずきと痛みを伴うものになった。大通りの真ん中で倒れるわけにもいかないので、薄暗い路地の裏に入った。


ライラックはただ戸惑うばかりだった。風邪なんてここ200年は引いていない。それがなぜ今に。なんて知識のないライラックは頭を押さえながら思っていた。


「よう、兄ちゃん。随分と体調がわるそうやぇ」


「ハハ、カモカモ」


その二人組は路地の暗いほうからぬっと姿を現した。一人は恵まれた体格で、一人はかなり小さかった。小人という種族が魔族領にいたがそれと比べても遜色ないだろう。


まさか、彼らがライラックを助けてくれる、なんてことはないだろう。


「あぁ、少し人に酔ったみたいだ」


と嘘をつくライラック。その言葉に、彼らは口角をにぃとゆがめて見せた。


「俺らはさ。盗賊みたいなことをやっているわけよ。盗賊ってのは例えば弱っている人間から、剣を奪ったりするわけ」


大きいほうがいう。じりじりと詰め寄ってくる感じが、まるで尋問官のようだった。幹部になる以前に一度世話になったことがあるが、控えめにいってもあれは最悪だった。


「そんな、こと言わずとっととやっちゃいましょうよ。こいつもう虫の息ですぜ」


小さいほうがこぶしを構えた。座っている場合じゃないかもしれない。


「黙れ! お前はただ俺に従っていればいいんだ」


大きいほうが小さいほうをぶった。結構な勢いだったらしく小さいほうは壁にフラフラと倒れた。”ごめん”なんて呟いているから意識はあるようだった。


「すまないねぇ。さぁ取引だ。楽しい、楽しい、取引だ。兄ちゃんの剣をいただく。その代わりに兄ちゃんは俺たちと友達だ。友達は友達を殴らない。どうだ。魅力的だろう?」


なるほど、と思った。今までライラックはその魔力によって弱さ、なんてものとは無縁だった。だから自分のやりたいようにやれたし、誰もそれを咎めなかった。


だが角を切り落として、こうも危機的な状況に陥るとその弱者の気持ちが少しだけ理解できた気がした。理解したうえで現状に逆らってみたくなった。


「断る」


大きいほうの顎にパンチを叩き込む。ごっと鈍い音がして大きい男がよろめいた。小さい方が、ぐぅん、と伸ばしてくる手を間一髪で躱す。そのスキをついてライラックは逃げ出した。角を折れ、角を折れ、走る。


角は割れんばかりに痛み始めた。もともと相当な痛みだったのに、さらにひどくなっていた。まるで角の内側をやすりでじりじりと削られているような。想像するだけでも鳥肌が立ってしまう痛みだった。もし追いかけられていなかったら、ライラックは今頃吐いていただろう。


「待てやぁ、ゴラァ!」


いくらライラックといえども角がなく、その上痛みを抱えていてはうまく走れなかった。盗賊との距離は時間を追うごとに、ちじまっていった。


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