エピソード1-1
日々が限りのないほどに、退屈だった。
魔王軍の現幹部であるライラックはため息をついた。彼の私室となっている東の第一棟には秘密取引で手に入れた人間領の物品がいくつも転がっている。
本来ならばライラックは死罪となる。人間の作成したものは使ってはならない。そんなくだらないルールがこの魔族領に存在しているからだ。にも拘わらずライラックはその権限と、自身の”魔法”によってそれらをひた隠しにしてきた。彼の特筆すべき魔法力がなければ、今頃牢屋行きだ。
「俺が人間だったら、果たしてこんなにも退屈しなかったのか」
壁に問いかけてみても、帰ってくのは沈黙のみ。そのことがまた、ライラックのため息を加速させる。
人間になってその素晴らしい文化に触れることを夢見た。俺が、この棟に隠し持っている以上の楽しみがやってくるのではないか。それはいったいどんな感じのするものなのだろう。想像するだけで楽しかった。
あふれるような本の数々を想像する。人間領には活版印刷という技術があり、紙とインクさえあればいくらでも本を作り出せるらしい。ライラックがいま持っている三冊の本なんて、人間たちにとってみれば簡単に生み出すことが出来るのだ。
レコードと呼ばれる音楽装置を想像する。それは円盤だ。だが音楽を再生することが出来る。最高の演奏をとっておいて、いつでも好きなタイミングで聞ける。
そうして何より、迷宮と呼ばれる未知の洞窟。ここを探索したかった。いったいどんな草が生えているのだろう。動物たちはどのようにして生きているのだろう。育った凶暴な動物を、シーカーと呼ばれる者たちはどうやって狩るのだろう。興味は尽きない。
想像はライラックを少しだけ退屈な日常から遠ざけてくれる。
でも少しだけだ。
扉が、がこ、という音を立てて開いた。姿を現したのは使いのバラスだった。
「会議の準備が出来ました。中央棟にご移動ください」
妄想にふけっていたライラックは、一気に現実へと引き戻される。カラフルな本は消え去り、素晴らしい音楽の数々はなりを潜めた。洞窟は立入禁止の札が立てられてしまった。
日常の影がぐうんと伸びてきて、ライラックをとらえた。
「ライラック様?」
「悪い、少しぼーっとしていた。すぐ向かう。先に行っていてくれ」
バラスが出て行ってから、人間領にどうにかして行けないか考えた。実を言うと人間領にいくだけなら、簡単にできる。
魔族側と人間側をちょうど挟むようにして流れる、ラルゥ運河。このだだっ広い河さえ超えてしまえば人間領だ。
だが問題は渡った後にある。
ライラックは耳の上に伸びた、一対の角をなでる。自身の頭と同じくらいの、角はまごうことなき魔族の証明だ。低級な魔族だと角が小さく、帽子なんかで隠すこともできる。しかしライラックのものほど、大きく、それでいて太いと隠すことはまず不可能だろう。
魔族の中でもかなりの力を持ったライラックだがそれでも人間領の”勇者”と呼ばれる存在には勝てない。ライラックを小指の先でいなしてしまうような魔王を、封印して見せたのだ。彼が立ち向かったところであっけなく殺されるのがおちだろう。
何度かこの角を切り落とそうとしたことがあった。だがダメだった。魔族の角はその大きさによって強度が変わる。ライラックほどの角を切り落とすにはそれこそ勇者か、最低でも勇者の剣が必要だった。
ライラックは重い腰を上げる。
しょうがない。会議に向かおう。あまり気は乗らないが。
◇
「ライラック、遅いぞ。どれだけ待ったと思っている」
会議室に入るなりどすのきいた声が飛んできた。声の主はバルトス。魔王軍幹部の事実上ナンバーワンだ。
ライラックはすでに嫌な気がした。入ってすぐこれだ。退屈を加速させる潤滑油とはまさしく彼のようなことをいうのだろう。
「10分じゃないか、こんなのは遅刻に入らないね」
適当に流して席に着く。ライラックの席は棟と同じ方角の東にある。会議室には窓がいくつかあったが、いつもカーテンが閉じられている。日光が入れば多少はましになるのにな。
「チっ、いちいち癪に障る野郎だ」
「まぁ、えぇんちゃう。今に始まったことやないんやし」
そういうのはアンタレスだ。糸目の彼は、ふー、と息つき、足をテーブルの上に乗っける。その所作は人を馬鹿にしているように見える。彼はもともといたずらが大の好物なのだ。
「お前もだぞ、アンタレス。テーブルから足を下せ」
「堪忍してや、この姿勢じゃないと頭回らんねん。それとも、そこの人間ボケと同じように会議中ずっと呆けとこか?」
なんて言って細い目をさらに細める。
「そういう話ではない。会議へ取りくみ方の問題だ。なぁ、ベレス」
「…時間のムダ。早く始める」
ベレス、と呼ばれた少女は机の上にかろうじて目を出した状態でいう。こわもての三人と違ってどことなく可憐だ。
だがライラックは彼女の本当の実力を知らない。というより何も知らない。どこで生まれたのか、何歳なのか、どのくらい魔力が使えるのか。角はほかの幹部と比べると小さい部類にあたる。だが、ベレスも幹部だ。相応の魔法を使えるのだろう。
ベレスの一言を受けてバルトスが咳ばらいをする。
「昨日見つかった、”聖剣”。こいつをいったいどう取り扱って行けばいいのかについて、幹部で相談する」
ライラックは息をぴたりと止める。聖剣。いま確かに聖剣と言った。普段は会議なんて適当に話を合わせているだけのライラックは珍しく、身を乗り出す。
「んー、普通に地下牢に封印でいいんとちゃう。勇者にさえこいつが握られんかったらえぇ訳やし」
「今はとりあえず、第八牢に封印してある。だがもっと確実性が欲しい」
その後もバルトスとアンタレスがメインで話し合い、ライラックは時々相槌を打った。彼らの会議の内容はほとんど頭に入ってこなかった。
ライラックが考えていたことはただ一つだけだ。
聖剣で角を切り落とせば、人間領に行くことが出来る。胸の内側からあふれ出るワクワクを抑えるのに苦労した。
◇
人間領に向かう準備は大体終わった。魔剣と顔変えのスクロール10枚。ほどほどの食料、水、飛竜の手配。ライラックの権限をもってすればどれも簡単な事だった。
残るはこの二本の角だけだ。
東棟から本殿へと続く長い通路は、ライラックの緊張を高めるには十分だった。牢獄の封印を解き、あまつさえ聖剣を使用する。まごうことなき法律違反だ。厳罰の対象だ。ばれれば火あぶりだろう。もっとひどければ封印を絡められて、1000年幽閉されるかもしれない。そう思うと心臓が不規則な音を立てた。
通路の曲がり角をしきりに警戒しつつ、本殿地下へ入る。
か細い蝋燭の光を頼りに、壁面に書かれた文字を読み取る。
「第八牢」
封印はかかっていたがなんてことはない。バルトスの部屋から事前にキーを盗み出しておいた。几帳面な彼の性格のおかげでとても探しやすい。これで封印開錠のパターンは数兆から一気に数十に減らせる。
憧れの人間領に行ける。ただそれだけを考えて開錠作業に取り掛かった。ものの10分で牢は開いた。
「これが、聖剣か」
聖剣、と聞くと石に刺さっているイメージがあった。封印されていた聖剣は無造作に壁に立てかけられていた。それもそうだろう。聖剣という名前の通りこの剣は”魔”を斬る。魔族たる我々は聖剣の近くにいるだけで消耗する。低級の魔族なら、近くにいるだけで吐くことだろう。
「俺の角を斬ってくれよ?」
聖剣はゴツゴツしていて握りにくい。そうして体の中からなにかがすぅーっと流れ出ていく感覚がった。これが多分魔力だろう。
左手に応急処置の回復スクロールを持つ。
斬る。今から。俺の2本の角を。痛むだろう。回復スクロールは気休めにしかならないかもしれない。人間界でどう生きていけばいいのだろう。今の生活は惜しくないか。
なんて、不安はワクワクにすべてかき消された。ライラックの中で、角は長年をともにしたもの、というよりも邪魔なある種の障壁のように思えた。
息を整えて。振り下ろす。
「ッッッッッ!」
角が焼けるようだ。鉄板をグリグリと押し当てられているような。体の内側から火であぶられているような。いかんともしがたい痛みだった。
ライラックは回復のスクロールがあることも忘れてうずくまる。それでも声だけは必死に殺す。角を落としたことが幹部にバレたら殺される。
少しして、回復のスクロールがあった事を思い出す。左手の握力によってクシャクシャになったそれを開いて、使う。
痛みはたちまち引いていく。ライラックはふぅと一息ついた。
「さぁ、人間領にいこう。楽しみだ」
□
予め飛竜を用意しておいたので移動はスムーズだった。顔替えのスクロールを使っているので幹部だとバレることはない。それでも魔族の中で角がないというのは目立つ。ライラックは包帯を巻いた上からフェドラーを深く被った。
死霊の森をこえ、アンデットの墓場を超え、第二回人魔大戦が勃発した平原をこえて、やってきたのはラルゥ河の縁だ。
改めてみても広い。海水が潮によって流れ込んでくるから、微かに海の匂いがした。飛竜からおりたった場所は丸っぽい石がゴロゴロと転がっていた。よくよく目を凝らすと、河の先にぼんやりと明かりが見えた。あれは人間の明かりなのだろうか。
事前に連絡をとっていた渡し人は一体どこにいるのだろう。赤色のランタンをつけているという話だった。そのとおり、赤く光っている船を見つけることができた。
「ふぅーん、魔族の幹部だ。珍しいね。お忍び?」
船頭から出てきたのは齢10程の小僧だった。
短パンに、ティシャツ。だが角は異常なまでに大きい。
ライラックはこの小僧に興味を惹かれた。




