エピソード1-5
「魔族、確かに魔族といったな」
「えぇ、言いました。魔族です」
ベースとのアイコンタクトを躱したのち、王はなおも床に腰をつけている執事に向き直る。
「兵を集めろ。人間領に魔族なぞ言語道断。すぐいけ」
「は、ハッ」
執事は腰の事なんて忘れたみたいにすぐ立ち上がった。そうして転ぶように王室から出ていった。
ベースは執事が去ったのを見届けた。その後王に一例をして口をひらいた。
「さらに報告があります。こちらをご覧ください」
ベースは紳士服の胸ポケットからハンカチを取り出すように紙を取り出した。広げられたその紙には、模様が描かれていた。紫色の太陽。その外側に同じく紫色の円が、二つ。円と太陽は槍のようなものでつながれている。
その紙をみて王は少なからず動揺する。でもその感情の機微は表立って出てはこない。
「スクロール」
「魔族が落としたものです。あと8枚ほど同じものがあります」
「スクロールを持ってこれるとなると、かなり高位の魔族だ。これは」
王はしげしげとスクロールを眺めたのち、ベースの肩に手をおいた。
「ベースよ。私はお前を信頼している」
「ありがたき幸せ」
「だからこそ今回のことを任せようと考えておる。何としても魔族をとらえるのだ。よいか? 何としてもだ。失敗は許されない」
「えぇ、えぇ。分かっております」
「もしかすれば、研究員が魔族を見つけるかもしれん。ベースにはそれまで然るべき場所で待ってもらう」
「ええ」
ベースは一回転をして王室の扉に手をかけた。でも思い直してやめた。
「王、一つ頼みがあります。子ヤギを一頭、いただけませんか。出来れば右の角がないやつがいい」
◇
「本はないのか?」
「あるわけないじゃない。あんな重いだけのやつ。一体何の役に立つのかしら」
その答えはライラックにとって予想外のものだった。人間の書く本、とりわけ冒険譚などの類は人間のことをまったくと言っていいほど知らないライラックでも楽しめるものだ。だから誰でも本の一冊くらいは持っている物と思っていた。
ライラックが半分迷宮に埋まった地下にやってきてから早2日が立とうとしていた。
二日過ごしてみた感想はとにかく退屈の一言に尽きた。本もなし。音楽もなし。実は腹は膨れるが、あまりおいしいとは言えない。其のうえ、ライラックは通路をうろうろすることを禁じられているのだ。暇でない方がおかしい。
カレンは、では一体どのようにして暇をつぶしているのかというと、睡眠だった。この二日間彼女はほとんどの時間を寝て過ごしていた。あまりに長く眠るものだから心配になって一度肩をゆすって起こした。するとカレンはめんどくさそうに”まだ、眠いのよ”といった。
いくら人間について疎いライラックであってもカレンの睡眠時間が異常なことぐらいは分かった。けれどもいったい何がカレンをそこまで眠らせるのか、分からなかった。人間でありながら、魔族や魔法についての研究をするようなはぐれ者がいたら原因が分かるのだろうか。もっともそんな人間はいないだろう。何せ魔族と人間の確執は1000年にも渡るのだ。ライラックが生まれる遥か昔から人と魔族は相いれない存在だ。
この閉鎖的空間で、これといった暇つぶしがないと、浮かんでくるのはろくでもない思考ばかりだった。例えば、角を切り落とさずに、人間領に入れたのではないか。とか。何故あのタイミングで魔法を打ってしまったのだろう。とか。人が少ないところに行けばよかったのではないか。とか。そういう後悔ともつかない考えが、ふっと現れては煙のように姿を消した。
人間が好きだった。人間が生み出す文化、本、音楽。ありとあらゆるものが好きだった。それはライラックにとって改めて確認するまでもない事実だ。しかし、実際こう娯楽のない人間領にいると、どうしても魔族領にいたときと比べてしまう。あの薄暗い棟の中の方がまだライラックを楽しませてくれるだろう。憧れの迷宮はすぐそこにあるというのに。
「迷宮?」
ライラックの頭で、考えがまとまる。そうだ。俺は迷宮を探索しに来たのだ。だが、もちろん通路を当てもなくさまよっていればカレンの警告どおり戻ってこれなくなるだろう。そうなってしまえば地上には戻れない。マンホールを見つけれるのはカレンだけなのだ。ならどうやって迷宮を探索するべきか。答はじつに近い場所にあった。
「大穴だ。縦にまっすぐ降りるなら迷うわけがない」
初日から分かっていたことだが、カレンが主食にしている実。こいつには魔力の回復効果がある。それもかなりの回復量だ。中位のスクロールと同じくらいではなかろうか。
ライラックは散らばっているごみの中からなんとか破れていない袋を見つけ出し、いっぱいに実を詰めた。腰に剣が刺さっているか確認して、もう一度袋に穴が開いていないか入念に確かめた。
ライラックが準備にいそしむ間もカレンは眠り続けた。
◇
改めて、大穴の前に立つと、寒気がした。穴の底は暗闇が果てしなく続いているように思えた。それは深海のような、強大な自然を前にしたときの感情を自然とライラックに抱かせた。大した準備はしていないが引き返せないほど、入念に準備をしたような気分になった。
「降りるぞ…」
風魔法を、足場を作るみたいに使う。路地裏で盗賊を退けたときは魔力をそのままぶつけるだけだった。だが今回のように自分を浮かせるとなれば繊細な魔力操作が必要となる。風魔法を使う魔族で、自分を浮かせることが出来るのは天才、と呼ばれる一握りのものたちだけだ。
だが、ライラックにとっては簡単な事だった。
いつものように魔法を使い、頭痛がしたら実を飲む。下につく頃に腹がタプタプになっていないといいな。なんてことを思った。
さすがに真ん中は暗すぎたので壁に手を当てながら、降りた。幸運なことに壁にもツタが生えており、ライラックがなでた部分は魔力球が飛び出し、あたりを照らした。
上を見ると、もう随分下まで来ていた。天井部分がかなり小さく見えた。そこはまだだろうか。
と、思っていたら、風魔法がぐうんと跳ね返った。地面がある証拠だ。落下の速度を抑えるために強めに魔法を使う。
風が大穴の底を駆け巡る。シダに隠れた魔力球が一気に飛び出て、たちまち昼間ともとれるくらいに明るくなった。
穴の底は、ひらべったかった。治水施設を迷宮が侵食してると聞いていたから、水が溜まっているかと思ったがどうやらそういうことではないらしい。
「モンスター。小さいな」
水のようで、ゆっくりと、牛輔のようなスピードでライラックの方へと近づいてきていた。モンスターが通った後にはそのモンスターの破片らしきものが残っていた。
スライム、と呼ばれるモンスターだ。
ライラックは剣を振り上げ、スライムをぶった。べちょ、という音がして、スライムは大穴の壁にたたきつけられた。青いインクをぶちまけたような模様が壁に出来上がった。スライムはその後また、集まって襲いかかってくるなんてことはなかった。死んでいる様だ。
ライラックが感じたのは途方もない空虚さだった。
あこがれていたはずの迷宮。あこがれていたはずの冒険。手に汗にぎる攻防。命をベットして大金を稼ぐシーカーたち。
でもそれらは所詮、ライラックの想像でしかなかった。現実は目の前に広がっている。大穴の底に誰も手に負えないようなモンスターはいない。ただ、のろまなスライムが一匹いるだけだ。
俺はいったい何をしに来たのだろう。自問ばかりが激しく渦巻く。
少し時間をとって、上へと帰ることにした。もしかしたら、何か隠されたギミックが在るかもしれないと、期待した時間だった。けれども、もちろんそんなことは起こるはずもなく。ライラックは実を飲み干して、魔法を使う。
「とりあえず、この大穴は”落胆”という名前にしよう」
上へ戻って、通路へ器用に入る。実は袋の半分くらいになっていた。
魔法を使ったら眠くなった。眠ろうと思って、カレンがつくってくれたベットに入る。
規則正しい、寝息が聞こえない。ランタンを挟んでカレンは反対側のベッドにいるはずだ。今もまだ眠り続けているはずだ。ライラックは起き上がってランタンをつける。
カレンはいなかった。そこには白衣をまとった、60前後の男性がうずくまっているばかりだった。
◇
プライドはないつもりだった。研究を続けてきた10数年で誰かと競ったことなど一度もない。ただ興味の赴くまま間に。ただ資材のあるがままに。ただ、王のために。研究を続けてきた。
だがいつの間にか、自分の中に”王直属の研究者”というプライドが付きまとっていた。思い返せば、いったいそのことを何度吹聴したことか。下っ端研究員たちに。あるいは下町のバーで。
こんかいのことでハルト研究員は完全に頭が冷えた。研究成果を部屋から持ち出し、家に戻って細々とでもいいから研究を続けよう。もう長らく家族にも会っていない。息子たちはいったいどうしているだろうか。
資料を箱に詰めて、裏口から出てい行こうとするとき衛兵の会話が聞こえた。
「100万!? 王から!?」
「声がでけぇっての」
王宮へ続く橋を守る二人組の衛兵だった。ハルト研究員が足を止めたのは彼らの会話に王という単語が出てきたからだ。ほとんど反射的に身を隠して、顔だけつらりとのぞかせて、その会話に聞き耳を立てた。




