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「ある男」
警備員をしている男の狭い部屋には
亀吉という名の亀がいる
転職して引越しする度に
男は亀吉を持ち歩いた
亀吉はいつのまにか
男の手の平よりも大きくなっていた
男は 人と目を合わすことができない
話しかけられれば 緊張して
吃音混じり 要領の得ない返事をする
同僚や上司からは
愚図だの役立たずだのと
嘲笑を浴びる 一緒に笑いながら
馬鹿にするなと心の中だけで叫び
コンビニで買ったビールと
するめを大切そうに口にして
このまま死ねたら幸せではないかと
夢を見る
警備の仕事でテレビ局を巡回すれば
ホラー映画のポスターに
腰を抜かしそうになり
イベント会場の人混みでは
透明人間のように素通りされる自分を
不思議に思う
ある日 男はくたびれたナイロンバッグに
亀吉をつっこんで 河原へ走った
お前なんか 何の役にも立たないくせに
お前なんか 愚図のくせに
お前なんか お前なんか
罵りながら 叫びながら
無抵抗の亀吉を つかみあげた
夜勤明け 男は眠る 壊れやすい心を
ささやかな甲羅で 護るように 丸くなって
部屋の隅には今日も 亀吉がいる




