優秀な人から辞めていきます
獣人軍が去った街道を見送りながら、魔王はゆっくりとドワーフたちの元へ戻ってきた。
「帰ったわよ。」
「お疲れ様です。」
側近が頭を下げる。
ニックは腕を組んだまま、街道の先を眺めていた。
「……本当に。アリスを迎えに来ただけだったんだな。」
「そうみたいねぇ。」
魔王は肩を竦める。
「にしても……五千は連れて来すぎよ。」
「「「それな。」」」
ドワーフたちが一斉に頷いた。
アリスは胸へ手を当て、大きく息を吐く。
「良かったぁ……。私、給料差し押さえられるのかと思ったぁ。」
魔王はゆっくり振り返る。
「……アリスちゃん、貴女……。」
「はい?」
「今までどうやって生きてきたの?」
「気合いと、ど根性ですっ!!」
即答だった。
ヒルデは頭を抱えた。
「そこは否定してほしかった……。」
村には久しぶりに笑い声が戻った。
◇◇◇
日が西に傾きかけた頃の王宮。
重たい扉が、静かに開いた。
「ベアトリス様!ご無事でございますか!」
「……女官長?」
ベアトリスは思わず立ち上がる。
「どうしてここへ……。」
女官長は静かに鍵束を掲げた。チャリンっと金属音が鳴る。
「鍵にございます。」
「……どうやって?」
「『ベアトリス様への聞き取りは、私が担当いたします』と申し上げましたら、すんなり通りました。」
「……なるほど。」
ベアトリスは苦笑した。
「案外、単純でしたわね。」
「ええ。……それより。」
女官長は扉の外へ目を向ける。
「公爵様がお待ちです。」
「え?」
「お急ぎください。」
「まだ仕事が……。」
「もう十分でございます。」
女官長は優しく微笑んだ。
「残りは、私どもが引き継ぎます。」
そう言って、抱えていた分厚い冊子を差し出す。
「こちらがありますから。」
ベアトリスは思わず目を丸くした。
「……マニュアル?」
「公爵様がお作りになった引継書でございます。全三十七巻。まだございます。」
「……ふふ、お父様らしいですわ。」
思わず笑みがこぼれ、女官長も微笑む。
「ベアトリス様。このような形になってしまいましたこと、大変残念に思っております。
ですが……どうか、お元気で。」
しばらく沈黙が流れる。
ベアトリスは深く一礼した。
「ありがとう、女官長。どうか、皆をお願いします。」
女官長は静かに頷く。
「お任せください。
王宮の後始末は、王宮に残った者でいたします。」
ベアトリスは微笑んだ。
「心強いわ。」
女官長は一歩下がり、静かに道を開ける。
「さあ、お急ぎください。気付かれる前に。」
ベアトリスはメタルと顔を見合わせ、小さく頷いた。
もう迷いはない。守るべきものは決まっている。
王家ではない。この国で懸命に生きる人々だ。
女官長に見送られながら、ベアトリスは静かに王宮を後にした。
その背中を見送りながら、女官長は一人、小さく呟く。
「……お気を付けて。」
太陽に照らされた王宮は、いつもと変わらぬ姿をしていた。
だが、その日。獣人国はまた一人、最も優秀な人材を失ったことに、まだ誰も気付いてはいなかった。




