070●アビスの風
馬の足音が、乾いた礫を掻いた。
薄雲の向こうで朝の光が揺れ、砂漠の色がゆっくり変わっていく。
手綱を握りながら、前を行くブリッツの背中をじっと見ている。
戦闘の腕は疑いようがない、寡黙な男。
きっとひとりで行くつもりだったんだろうな。
声をかけても、彼は振り返らない。
ただ淡々と馬を進める。いつもの背中だ。
あの金属片、‘厄介モン’を手に取り、ブリッツはずっと見つめていた。
何かを思い出そうとしているみたいに。
あの表情が気にかかって、胸の奥のざわつきがどうにも消えない。
「このあたりだと、長老は言っていたわよね。」
馬を止め、地形を見渡す。
地図では谷だった場所なのに、今はなだらかな砂原にしか見えない。
・・・なのに。
風が、吸い込まれていく。
‘吹く’んじゃない。
‘向こうに引かれていく’感じ。
背筋がぞくっとした。
「ねえ、変じゃない? 風が・・・・」
言い終える前に、ブリッツは馬を降り、そのまま歩きはじめた。
ああもう・・・無視するんだから。
慌てて馬を降り、彼を追う。
砂原の縁に足を踏み入れた瞬間・・・
足裏だけが前に滑った。
平地のはずなのに、勝手に‘下り坂’になる。
膝がぐらつく。ちょっ、なによ、これ・・・!
体を起こしたとき、耳の奥で金属が軋むような音がした。
ギィ・・・ン・・・。
風じゃない。もっと深い、地の底のどこかから響いてくる音。
ここが、厄介モンの‘捨て場’?
砂原は静かだ。
けれど、空気は確かに中心へ吸い込まれていく。
砂粒が細い糸になって流れているのが見える。
まるで地面全体が沈んでいるみたいだ。
その時、視界がざらついた。
遠くが霞むのではない。
視界が、薄紙をめくるように歪む。
砂の色が淡くなり、馬の影が揺れた。
そして・・・
ブリッツのすぐ横に、誰かが歩いていた。
影だ。
なのに、影じゃない。
形が定まらず、風になびく布みたいに揺れる。
だけど、確かに‘足音’が聞こえる。
誰?
思わず立ち止まる。
影はゆっくり進み、やがて薄く消えた。
幻・・・だよね。
でも、体の震えが止まらない。
ただの幻にしては、生々しすぎる存在感だった。
ブリッツは、それに気づいていないのか。
それとも、見えていて、無視しているのか。
どちらなのだろう?
風の奥で、声がした。
ー・・・戻れなくなるぞ。
耳に届くのではない。
風の底に沈んでいる声。
誰の声か分からないのに、背筋が冷たくなった。
ブリッツが立ち止まる。
前を見据えたまま動かない。
気づいたの?
気づいてないの?
彼の横顔には、何の感情も浮かんでいなかった。
この場所は、おかしい。
‘厄介モン’のせいなの?
地下にどれだけ埋まってるの?長老たちは、どれほど捨てたのだろう?
息を整える。
「行くなら行くわよ。ひとりで危ないところ行かせたりしないんだから。」
返事はない。
でも、ブリッツの肩が、ほんのわずかに揺れた。
わたしたちは沈む砂原の中心へ。
‘厄介モン’の眠る穴だった場所へと歩き続ける。
理由なんてどうでもいい。
あんたが行くなら、わたしも行く。
置いていかれるつもりはない。彼が、ブリッツが行くんだ。
わたしも絶対、ついて行くんだ。




