そんなに軽い発熱如き
桂子が風邪を引いた。日頃から滅多に風邪など引かないのだが、これが所謂『鬼の霍乱』というやつだろうか。
熱はさほど無いのだが、本人はやたらと苦しがっている。
「昭夫さん、私、インフルエンザに罹ったのかしら。それともコロナとか……」
わずかな体温計の目盛りに一喜一憂し、ベッドの上で小さくなっている妻を見るたび、私は心の底で小さく息をつく。
「桂子、それくらいの熱、俺だってよく出しているよ。いちいち言わないが黙って自分で対処しているんだぞ」
「そうだったの?昭夫さん、全然わからなかったわ。対処っていうと……?」
「市販薬でだいたい熱は下がるよ。いい歳をして、そんなに騒ぐことじゃないだろう」
「そうなのね。だけど、私はいつも色々な科の処方薬をたくさん服用しているから、やたらと市販薬を飲むのは怖いわ」
「心配なら、かかりつけの内科の先生に聞いてみたらどうだ?俺はそこまでするまでもないと思うがね」
ただ、桂子は気分が悪いと言い出してからずっと咳が酷く、聞いているこちらがうんざりするほど辛そうだった。
私の冷めた視線を察したのか、桂子はとうとう我慢出来ず、かかりつけの内科に受診の電話をかけた。
「はい。……いいんですか?今から診ていただけるんですか?本当に?予約も無いのに?」
受話器の向こうに何度も頭を下げているのが背中越しにわかる。
なんて患者に親切なお医者様なんだ。こんなにも患者に寄り添う医療を提供してくださる名医はなかなかいないぞ。
桂子、感謝しろよ、お前のその我が儘に付き合ってくれる世間にさ。
桂子は、すぐに支度をすると、マスクの下からゴホゴホと地響きのような咳をしながら出掛けて行った。
数時間後、夕方もすっかり遅くなって、桂子から電話があった。
「昭夫さん、抗原検査はどちらも陰性だったわ。熱と喉と咳のお薬を処方していただけたわよ。今から帰るわね。これで安心ね」
ですます調の弾んだ声に、私は思わず眉をひそめる。
だから言わないこっちゃない。たかが微熱で、そこまで主治医の先生の手を煩わせて、桂子は何とも思わないのだろうか。迷惑をかけて平然としている図々しさには呆れるばかりだ。
自分の不安を解消するためだけに他者を巻き込むその神経。……そこまで図々しく図太く生きられるなら、何故か心の病などと言って家でメソメソしているのが不思議でならない。
桂子、その図々しさを少しは生きる方に向けて、精神的にも元気に自立してくれい。




