お気に入りカップのタブー
桂子は自分専用のマグカップを欲しがっている。
だが、その願いが叶うことは絶対にない。俺がそうさせているからだ。
「昭夫さん、私のお誕生日にマグカップをプレゼントしてくれない? 気付いたら私、いつのまにか自分のお気に入りじゃないカップばかり使ってるのよね。マグカップくらい、好きなものを使ってもいいでしょう?」
「そうか。桂子、それなら自分で好きなものを買いなさい」
「えっ……昭夫さん、プレゼントしてくれないの?」
俺だってプレゼントしてやりたいのは山々だが、それを受け入れられない明確な理由がある。
……桂子は忘れてしまったのだろうか。かつて自分の口から語った、亡き実父への懺悔を。
「桂子。亡くなったお前の親父さんに、ずっと謝りたかったことがあっただろう?」
「……え? あ……そ、そうだったわね……」
桂子は不意を突かれたように、怯えた顔をした。
親父さんは大酒飲みで、しょっちゅう実家に客を招いていたそうだ。昼夜を問わず知らない連中を連れてきては宴会を開き、朝まで居座らせることも珍しくなかったという。
人見知りの激しい桂子は幼少期からそれに耐え続けていたが、年頃になり不満が爆発したある日、父親が愛用していた茶碗を流しに叩きつけて割ったのだ。
『あんなことをしなければよかった。謝りたくても、お父さんはもう居ないのに』
結婚当初、泣きながらそう語っていた桂子の言葉を、俺は今でも鮮明に覚えている。
「桂子。親父さんに本当に申し訳ないと思っているなら、自分だけがお気に入りの食器を使って満足するなんて、やめておいた方がいいんじゃないか?」
「……昭夫さん。そうね……そうだったわね。思い出させてくれて、ありがとう」
桂子は顔を伏せ、しおらしく俺に従った。
罪悪感を正しく思い出させてやれば、妻はこうして素直になる。俺の助言のおかげで、今日も我が家の平穏は保たれているのだ。




