出る杭は打たれるか(?)
台風が近づくある晩、桂子がまた突然、声を荒らげた。
「あらぁ?……あれー?、な、何よこれ!」
また始まった。今度は一体、何に怯え、何に怒っているのか。俺は重い腰を上げて桂子の部屋へと向かった。
「桂子、何がどうしたんだ?」
「昭夫さん、私の『タグ』が変わっているのよ」
「タグ?……タグって、何のことだ? 服のタグか?」
「違うわよ。私、趣味でWeb小説を投稿しているんだけど……」
「Web小説?」
それは初耳だった。まさか、そんなことをしていたとは。
どうして俺に黙っていたのだろう。いつもは一から十まで俺に依存し、隠し事などできない性質の妻なのに。その小さな違和感が、胸の奥に冷たい澱のように溜まっていく。
「これ、どういう意味なのかしら。他人が勝手に私の作品のタグを書き換えるなんて……。わけがわからないわ。まさか、これって嫌がらせ? 私を監視している誰かの仕業じゃないの!?」
桂子の目が泳ぎ始める。放っておけば、またいつもの被害妄想の泥沼に引きずり込まれる。
「一応、AIにやり方を聞いて、自分以外は触れないように設定したけれど……。ねえ、何でこんなことが起きたのかしら。怖い、怖いわ……」
「桂子、もういいじゃないか。たかが素人の書いた小説だろう? 誰もわざわざ嫌がらせなんてしやしないさ。もう誰も触れないようにしたんだろ? だったら、これ以上気にしても仕方がない。ほら、もう薬を飲んで寝なさい」
俺は、なだめるように、突き放すように言った。コールセンターの件以来、俺には他人の被害妄想に付き合ってやるほどの心の余裕は一滴も残っていないのだ。
「そうねぇ……。でも、ちょっと思い当たったんだけど」
桂子は急に声を潜め、不気味なほど大真面目な顔で俺を見た。
「これ、私の才能への嫉妬かもしれないわ。ほら、出る杭は打たれるって言うでしょう?」
「……っ」
俺は言葉を失った。また突拍子もないことを。面白い冗談のつもりなのだろうか。お前のような初老の、精神的に不安定な主婦の、しかも誰も読まないような小説に、一体どこの誰が嫉妬するというのだ。
「冷静になりなさい、桂子。……いや、しかし、笑えないジョークだな」
俺の冷ややかな声に気圧されたのか、それとも新しい投薬が効いてきたのか、桂子はそれ以上騒ぐのをやめ、大人しくベッドに入った。ひとまずは安心だ。良い傾向だと思いたい。
深夜、寝入った桂子の寝顔を、俺は暗闇の中でじっと見つめていた。
(しかし、よくもまぁ……出る杭は打たれる、なんて言葉が出てきたもんだ)
誰も読まない三文小説。誰にも相手にされない哀れな妻。
そして、世間から理不尽に打たれ、二度と立ち上がれなくなった本物の「出た杭(俺)」。
その対比の滑稽さに、俺は胸の奥からせり上がってくる、どす黒い笑いをこらえることができなかった。




