雨音と古いビデオテープ
再就職先のコールセンターで身に覚えのない冤罪を負わされ、事実上の解雇となってから早5年。昭夫は、昼間から薄暗いリビングで、ただ動かなくなった古い扇風機を眺めるだけの日々を送っていた。
かつての「一家の柱」としての自尊心は粉々に砕け、今や一日の大半を、同じく精神の均衡を崩しがちな妻・桂子の顔色を伺うことに費やしている。
「ねえ、昭夫さん。この映画、知ってる?」
桂子が震える手で差し出してきたのは、画質の荒れた古い録画ビデオだった。ラベルにはマジックで**『男が女を愛する時』**と書かれている。
「昔の映画だけど、メグ・ライアンがアルコール依存症の妻で、アンディ・ガルシアがそれを支えるパイロットの夫……」
画面の中で、美しくも壊れゆく妻を、夫が必死に抱きしめている。昭夫は、ブラウン管の光に照らされる桂子の横顔を見た。今の自分たちに、あまりにも残酷に重なる物語だった。
昭夫は当時、この映画を、誰かに紹介された見合い相手と一緒に観たのを思い出した。
映画を観た当時、昭夫は「愛があれば、どんな困難も乗り越えられる」と、パイロットの夫の献身に自分を重ねていた。
しかし、現実の昭夫には彼のような経済力も、揺るぎない自信もない。冤罪で職を追われた彼は、今や自分が「支えられる側」に転落しそうな恐怖と戦っていた。
劇中、治療を終えて自立しようとする妻に対し、夫が「君は僕を必要としなくなったのか」と苦悩するシーンが流れる。
「……この旦那さん、結局、自分がヒーローでいたかっただけなのよね」
桂子がポツリと呟いた言葉に、昭夫は心臓を射抜かれたような衝撃を受けた。
「助けてやってる」という傲慢さが、相手を追い詰めることもある。
昭夫は、自分が桂子の情緒不安定さを、自分の無職という惨めさを隠すための「隠れ蓑」にしていたのではないか、という疑念に襲われた。自分が彼女をケアすることで、まだ自分には価値があると思い込みたかっただけではないのか。
「昭夫さん、無理に笑わなくていいのよ。あの映画の奥さんみたいに、私、もう逃げたりしないから」
映画が終わり、砂嵐が画面を覆う。
昭夫は、震える桂子の手をそっと握り返した。
かつてこの映画を観た時、俺は「素敵な愛の物語だった。俺はこんな夫になれるのか」と、しばし考えた。
しかし今、定年後の地獄の淵に立つ二人にとって、この映画は甘いラブストーリーなどではなく、
「互いの弱さを認め、支配から脱却する」ための、痛みを伴う教科書へと変わっていた。
「……明日からまた在宅の仕事を探すよ。今、勉強していることを生かして。」
「ええ。私も、明日は少し長く歩けそうな気がするわ。」
嵐のような日々はまだ続く。けれど、古い映画が残した「愛とは、相手を支配することではなく、共に地獄を歩む覚悟のことだ」という教訓だけが、綱渡り生活を続ける二人の足元を、微かに照らしていた。




