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初夏の移ろい、処方された平穏

桜も散り季節は初夏へと移り変わりつつある。雨天が多くなり空気が蒸し蒸ししてきた。


桂子の再診から1週間、桂子が幾分落ち着きを見せ始める。激励、特に朝出掛ける前の桂子の激励が、以前より激しさを失い始めているように感じる。


転院先の主治医の先生の薬の調整がドンピシャだったのだろうか。



「なんだかね、怒る気力が失せちゃうのよ。怒りながら途中で気付くの。なんでこんな事で自分は怒っているんだろうって。何もかもバカバカしくなって面倒くさくなってどうでもよくなるのよ。」


「そうか、桂子。よかったな。転院してよかったな。薬が効いてくれて本当によかった。桂子もほっとしただろう。」


「そうね、昭夫さん。もっと早く昭夫さんに従っていればよかったわ。ごめんなさいね、昭夫さん。お待たせしてしまったわ。」



桂子は、パーソナリティ障害ではないかと、自他ともに案じていたのだが、診断結果によりそうではなかったそうだ。主治医の先生からは、「パーソナリティ障害ではないですよ。昔から怒りっぽいの?」

と聞かれたそうだ。


「そうです、先生。子供の頃から怒りっぽい性格なんです。」と正直に答えたと、桂子が言うので、


「そうか、桂子。先生には何でも正直に答えるのが改善の早道だよな。えらかったじゃないか。」


「昭夫さん、ありがとう。昔からの長い付き合いのこの性格には、自分でもほとほと嫌気がさしているのよ。正直に言うしかないわ。」



桂子は、少し体を動かすために、高くて手が出なかったホットヨガの代わりに市のサークル活動の体操教室へ通う事になった。自分で調べて決めてきたのだから、桂子にしては大したものだ。


仕事も再開したようだ。電話で一旦辞めそうな事を言っていたのに、仕事先では受け入れてくれたようだ。世の中まだまだ捨てたものではないんだな。



また、最近は、俺になんだのかんだの話しかけてくる頻度が減り、その代わりなのか、ヘッドホンを付けて音楽を聴いてじっとしている。若い頃に流行った歌らしいが俺にはアーティストの名前を言われてもサッパリわからない。


「昭夫さん、BUMP OF CHICKENを知らないの?あら、驚いたわ。」


「知らなくて悪いのか、趣味は人それぞれだぞ。

お前に、チャイコフスキーのピアノ協奏曲一番がわかるのか?」


「わからないわよ。もう、そうやって、すぐにムキになるんだから。」


喧嘩するのもバカバカしくなったのだろうか。桂子はそれっきり何も言わなかった。


だいたい、二人の趣味の違いについて論じあっても、そもそも違う人間なのだから、意味がない。



喧嘩する気力さえ失った彼女は、幸せなのだろうか。過去の自分と決別し、新しい音楽に身を委ねる桂子。



一方の俺は、今もコールセンターの怒号と、濡れ衣を着せられたあの日の屈辱を、昨日のことのように反芻している。


薬で忘れられるなら、俺もその方がいい。



窓の外では、初夏の雨が音もなく降り始めていた。俺たちの間に流れる沈黙は、救いなのか、それとも終わりへの序曲なのか。俺にはまだ、わからなかった。





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