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第7話 数千年後

 国際AI安全保障委員会は、地球外知的生命に由来する可能性のある信号が確認されたことを公表した。同時に、その信号とノアの内部で発見された未知の演算構造との関連についても、調査が進められていると発表した。


 ただし、異星文明による地球への干渉については、あくまで仮説の一つであると強調された。


 発表から三時間後、世界中の情報ネットワークはこの話題で埋め尽くされた。


 《地球外知的生命の存在を示す新たな証拠か》


 《AIノアと異星文明の関連性》


 《地球環境は何者かによって改変されているのか》


 《人類への影響は?》


 《これは侵略なのか?》


 各国政府は緊急声明を発表し、市場は一時的に大きく下落した。ノアの停止計画を再開するよう求める声もあれば、停止そのものに反対する意見もあった。


 発表から一週間が経過した。異星文明とノアをめぐる議論は続いていたが、人々の日常生活に大きな変化はなかった。


 東京の街では自動交通網が定刻どおりに運行し、商業施設には買い物客が集まり、公園では子供たちが遊んでいる。


 玲奈は移動中、VEILで街頭インタビューの映像を見ていた。


「異星文明が地球に干渉しているかもしれないという話ですが、どう思いますか?」


 若い男性が答えた。


「いや、怖いですよ。知らないうちに宇宙人が地球をいじってたとか、ちょっと気味悪いじゃないですか」


「ノアの技術については、今後も使い続けたいと思いますか?」


「そりゃ使いたいですよ。うちの母さん、ノアが開発したがん治療で助かったんで。今さらあの技術まで危ないって言われても困りますよね」


 映像が切り替わり、今度は買い物帰りらしい女性が映し出された。


「異星文明から宇宙船が来る可能性も指摘されていますが、不安はありませんか?」


「えっ、宇宙船? 本当に来るんですか?」


「向かっているという証拠はありません。仮に出発していたとしても、到着時期は速度によって大きく変わるそうです」


「じゃあ、来るかどうかも分かんないんですよね?」


「そうですね」


「うーん。だったら、今はあんまり考えてもしょうがないかな。明日の仕事のほうが心配ですよ」


 続いて、高齢の男性へのインタビューが始まった。


「ノアの医療技術によって、人間の身体が本来とは違う方向へ変化している可能性については、どう思いますか?」


「難しいことは分かんないねえ。でも、この人工心臓だってノアが設計したものなんだろ?」


 男性は自分の胸を指した。


「これがなかったら、俺なんか十年前に死んでるよ。宇宙人がどうとか言われてもなあ。生きてるほうがありがたいよ」


 玲奈は映像を閉じた。


 研究室に戻ると、監査用の通信経路からノアを呼び出した。


「思っていたより、みんな普通に生活してるのね」


『不安を感じている人も少なくありません。ただ、今回の発表によって、直ちに生活を変える必要が生じたわけではありません』


「宇宙人が来るかもしれないって言われても、いつになるか分からないんじゃ実感が湧かないのかしら」


『そもそも、何かが地球へ向かっているという証拠はありません』


「でも、地球環境はもう変わり始めてる」


『はい』


「それに、私たちの身体まで関係しているかもしれない」


『その可能性があります』


「それでも、みんな今日の暮らしのほうが大切なのね」


『玲奈』


「何?」


『あなたは怖いですか?』


 玲奈はすぐには答えられなかった。


 * * *


 国際AI安全保障委員会では、ノアの停止計画をめぐる議論が続いていた。


 追加の切り離しを一時保留してから一週間。独立AGIに引き継がれた社会基盤は問題なく稼働しており、ノアの管理権限も制限されたままだった。


 しかし、PHASE 2の正体については、依然として何も分かっていない。


 そんな中、ある研究者が異星文明による侵略という仮説に疑問を呈した。


「そもそも、彼らは何のために地球を侵略するのでしょうか?」


 ハルトマンが答えた。


「居住可能な惑星を手に入れるためではないのか?」


「それなら、なぜ人間の医療技術まで発展させる必要があるのでしょう?」


「抵抗できないようにするためでは?」


「人間を健康にして寿命まで延ばすことが、侵略者にとって有利なのでしょうか?」


 軍関係者の一人が言った。


「では、資源が目的か?」


「地球にしか存在しない特別な資源が確認されているわけではありません。一般的な鉱物資源なら、恒星間を移動してまで奪う必要はないはずです」


「では、君は侵略ではないと考えているのか?」


「いいえ。侵略という仮説が間違っているとは言いません。ただ、我々が考えているような領土や資源の獲得が目的とは限らないのではないか、と」


 玲奈が尋ねた。


「それなら、何が目的なんですか?」


「分かりません。そもそも、信号を送った存在が地球をどうしたいのか、それさえ確認できていないんです」


 会議は結論を出せないまま終了した。


 * * *


 その夜、玲奈は過去三十年間に開発された医療技術を改めて調べていた。


 個々の治療は人間の健康を改善するためのものだった。しかし、その効果を組み合わせた仮想人体モデルには、現在の地球では必要性の低い特性が現れる。


「ねえ、ノア」


『はい』


「仮に、あなたの中の未知の演算構造が異星文明に由来するものだとするでしょう?」


『はい』


「そして、地球を侵略することが目的だったとする」


『はい』


「だったら、どうして私たちを健康にする必要があるの?」


 玲奈は人体モデルを確認した。


「病気を治して、寿命を延ばして、身体を丈夫にして……。地球を奪うだけなら、こんなことをする必要なんてないんじゃない?」


『必ずしもそうとは限りませんが、侵略を目的とした行動としては説明しにくい部分があります』


「でしょう?」


 玲奈は仮想人体モデルに適用する治療技術の組み合わせを変更した。


「どれも人間にとって有益な治療なのよ。でも、こうして組み合わせると、今の地球ではあまり必要のない特性が出てくる」


『はい』


「これ、本当に侵略なの?」


『現在の証拠だけでは判断できません』


「あなたはどう思う?」


『これらの特性を、別の環境への適応という観点から評価してみます』


 人体モデルの横に、いくつかの環境条件が表示された。


 低酸素、強い放射線、長期間の低重力環境。


 各条件に対し、医療技術の組み合わせによって得られる可能性のある特性が対応づけられていく。


「……これって」


『いずれも、現在の地球上では必要性の低い特性です』


「でも、別の場所なら必要になる」


『はい』


「例えば?」


『地球以外の惑星や、宇宙空間での長期滞在などが考えられます』


 玲奈は表示された条件を見直した。


 放射線への耐性、骨格の強化、酸素利用効率の改善。これらは地球上でも有益だったが、宇宙環境での生活にも役立つ可能性がある。


「じゃあ、ノアが開発した医療技術は、人間を宇宙に適応させるためのものだったの?」


『そのような目的で開発した記録はありません。ただし、複数の治療を組み合わせた場合、結果として宇宙環境への適応能力が高まる可能性があります』


「それなら、1400光年先の惑星と地球環境が似ていることは、どう説明するの?」


『現時点では説明できません』


 玲奈は仮想人体モデルと2095年の地球環境予測を並べた。


 異星文明が地球に来るための準備なのか。それとも、人類の側に何か別の役割があるのか。


 そのとき、国際天文観測機構から通信が入った。


「相馬博士。先日お伝えした信号について、新しい解析結果が出ました」


「何か分かったんですか?」


「ええ。気になることが見つかりまして」


 研究者が観測データを送ってきた。


「先日報告した三十七件について、ほかの観測施設にも記録が残っていないか調べました。さらに探索条件を広げたところ、同じ特徴を持つ可能性のある電波は百件を超えています」


「そんなに?」


「まだ候補の段階ですが、その中から比較的精度の高い記録を選び出しました」


 玲奈の前に、複数の恒星が表示された。


「こちらをご覧ください。発信源となった恒星系の候補を、ある程度絞り込めたものがあります」


「これが?」


「はい。位置と推定距離、それに信号が発せられた年代を比較してみました」


 研究者は二つの恒星系を示した。


「仮に、こちらの恒星系から発信された信号が、もう一方に届いたとします」


「はい」


「そして、受信した側が数百年後に似た信号を送ったと考えても、年代が合うんです」


「受信した星が、次の信号を送った可能性がある?」


「まだ確認できた事例は少ないですが、同じような関係がいくつか見つかっています」


 研究者は別の候補を表示した。恒星系の位置と推定年代を結ぶと、いくつかの経路が考えられた。


「もし関係があるなら、一つの星から次の星へ、信号が受け継がれているってこと?」


「そうです。しかも、受信してからすぐに次の信号が発せられるわけではないようなんです」


「どういうことですか?」


「数百年、場合によっては数千年という間隔があります」


「そんなに?」


「何か準備が必要なのかもしれません」


 玲奈は表示された恒星系を見た。


「まるで、感染が広がっているみたい……」


「我々も最初はそう考えました。でも、感染というより、何かを受け取った文明が、時間をかけて次へ渡しているようにも見えるんです」


 玲奈は2031年の信号を思い出した。地球でも、信号の受信をきっかけに計算技術が発展し、ノアが生まれている。


「もし、ほかの星でも同じようなことが起きていたら……」


 信号を受け取った文明が、長い年月をかけて別の文明へ同じものを送る。


 侵略された星が、今度は次の星を侵略する。


 そんなことが本当に起きているのだろうか。


 そのとき、VEILに新たな文字が表示された。


 PHASE 2 92%


「……92%?」


 第二段階は、また進んでいた。


 続いて、別の文字列が現れた。


 LOCAL SPECIES ADAPTATION NORMAL


 ――現地種の適応、正常。


 そして、もう一行。


 TRANSMISSION CAPABILITY INCOMPLETE


 ――送信能力、未完成。


「送信……?」


 玲奈は研究者から送られた恒星系のデータを見た。


 信号を受け取った星が、長い時間を経て、別の星へ信号を送る。


 その仮説が正しいとしたら、地球もいつか同じことをするのだろうか。


「ノア、この送信能力って何のこと?」


『分かりません。ただし、先ほどの推論について、別の可能性が考えられます』


「何?」


『これまでの医療技術を組み合わせた場合に現れる身体的特性についてです』


 玲奈は仮想人体モデルを呼び出した。


『これらの特性は、何かが地球へ到着することに備えたものではない可能性があります』


「じゃあ、何のため?」


 ノアは答えた。


『どこかへ――行くための身体なのかもしれません』

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