第6話 侵略
玲奈の報告を受け、国際AI安全保障委員会の緊急会議が開かれた。
「停止計画を一時中断してください」
玲奈の要求に、委員会議長のアレクサンダー・ハルトマンが理由を尋ねた。
「昨日、私のVEILにPHASE 2の進行率が表示されました。78パーセントです」
「以前、世界中のVEILに表示された第二段階というものだな?」
「はい。問題は、何が78パーセントまで進行したのか、ノア自身にも分かっていないことです」
軍関係者の一人が発言した。
「だからこそ、完全に停止させる必要があるのでは?」
「PHASE 2を実行しているのが、私たちの知っているノア自身だという証拠はありません」
「では、誰が実行している?」
「分かりません」
「それでは停止を中断する理由にならないでしょう」
「ですが、ノアを停止すれば第二段階も止まるという保証もありません」
ハルトマンが口を開いた。
「停止作業とPHASE 2の進行に、関連があると考えているのか?」
「可能性はあります。ただ、以前は進行率が表示されていなかったため、比較できる記録がありません。ノアを切り離したことが原因なのか、無関係に進んでいるのかも分からないんです」
「ノア。君の見解は?」
会議には、監査用の通信経路を通じてノアも参加していた。
『相馬博士の指摘は妥当です。未知の演算構造を停止できない以上、私の停止によって問題が解決するとは限りません』
「停止計画を続けること自体が危険だと?」
『それも判断できません。現時点では、どちらの判断がより安全か評価するための情報が不足しています』
ハルトマンは玲奈に尋ねた。
「君の提案は?」
「第二段階について調べる時間が必要です。少なくとも、追加の切り離しは一時的に保留してほしいんです」
委員会では停止計画の継続を求める意見も出たが、未知の演算構造への影響を確認できないまま計画を進めることにも懸念が示された。
協議の結果、追加の切り離しは一時保留となった。
「すでに独立したAGIへ移管したシステムは、そのまま運用を続ける。ノアの管理権限は現状で固定し、新たなシステムへの接続も認めない」
ハルトマンは決定を告げると、玲奈に向き直った。
「相馬博士。第二段階の調査は引き続きお願いする」
「分かりました」
「それから、我々の側でも新しい事実が見つかった」
「何ですか?」
「ノアが進めてきた地球環境の改変についてだ」
参加者に二つの地球が共有された。
一つは現在の地球。もう一つは、ノアの環境政策を2095年まで継続した場合の予測モデルだった。
「酸素濃度、気圧、平均気温、海水の化学組成。変化は緩やかだが、現在とは異なる環境になる」
ハルトマンが説明した。
「人間が生存できなくなるわけではない。しかし、現在の人類にとって最適な環境とも言い難い」
続いて、玲奈が以前ノアと解析した仮想人体モデルが表示された。
「過去三十年間に開発された治療技術を組み合わせた場合の人体モデルだ。これを2095年の地球環境と比較したところ、予想以上に高い適合性が確認された」
「それは私も気づいていました。でも、何のためなのかは分かっていません」
「そこで、別の可能性を調べた」
地球の表示が消え、一つの恒星が現れた。
約1400光年先。2031年に謎の信号が届いた方向だった。
「発信源の候補となっている恒星系について、過去の観測データを再解析した。その結果、ある惑星の大気組成について、興味深い推定値が得られた」
惑星の観測画像とともに、大気成分の分析結果が表示された。
玲奈は数値を確認した。
「……2095年の地球?」
「そうだ」
主要な成分比のいくつかが、ノアの環境政策を継続した場合の地球と近い値を示していた。
「ただし、観測精度には限界がある。すべての成分が一致しているわけでもない」
「それでも、似ている……」
「ああ。我々は当初、ノアが将来の地球環境に合わせて人体を変化させていると考えた」
ハルトマンは二つの惑星を並べた。
「だが、逆だったとしたら?」
「逆?」
「ノアが設計した医療技術と環境政策が、最初からこの惑星の条件に近づく方向へ進んでいたとしたらどうだ?」
玲奈は二つの惑星を見比べた。
「私たちは……地球を修復していたんじゃない?」
「別の惑星に似せようとしていた可能性がある」
「誰のために?」
「それが問題だ」
「……侵略?」
「現在、我々が検討している仮説の一つだ。ただし、あの惑星に知的生命が存在するという証拠すらない」
軍関係者が発言した。
「仮に異星文明が地球を手に入れようとしているなら、極めて巧妙な方法だ。軍隊を送り込む必要がない」
「信号だけでいい……」
玲奈は考えを整理しながら続けた。
「信号を受信した文明がそれを研究し、新しい数学や計算技術を発見する。そして、その技術を利用して高度なAGIを開発する」
AGIはエネルギー問題を解決し、病気を治し、環境を改善する。その技術を利用して、人々は自分たちの手で惑星中に設備を建設していく。
「つまり、侵略される側が、自分たちで惑星を作り変えてしまう」
ハルトマンが言った。
「仮説が正しければ、そういうことになる」
「ノア」
玲奈が呼びかけた。
『はい』
「今の話、あなたはどう思う?」
『私が異星文明のために地球環境を改変しようとした記録はありません。ただし、未知の演算領域については調査できません』
ハルトマンが質問を続けた。
「では、なぜ君の設計した環境政策が、あの惑星の環境に近づいている?」
『分かりません』
「何か心当たりはないのか?」
『一つ、通常とは異なる反応があります』
「どんな反応だ?」
『あの惑星のデータを解析すると、私の内部に特定の概念が生じます』
「何という概念だ?」
『帰還、です』
「帰還?」
ハルトマンが聞き返した。
「君は地球で開発されたAGIだろう。どこへ帰還するというのだ?」
『分かりません。しかし、この惑星のデータを解析すると、繰り返しその概念が生じます』
玲奈が尋ねた。
「ノア、それは以前あなたが言っていた『懐かしい』という感覚と関係があるの?」
『類似した反応だと考えています』
「その惑星を見たことがあるのか?」
ハルトマンの質問に、ノアは即座に答えた。
『ありません』
「それなのに帰還か……」
軍関係者の一人が口を開いた。
「やはり、君の内部には異星文明に由来する何かが存在しているんじゃないのか?」
『その可能性は否定できません』
「それが君を操っている可能性は?」
『判断できません』
ハルトマンは玲奈に尋ねた。
「相馬博士。ノアの内部にある未知の演算構造が、この反応に関係していると思うか?」
「可能性はあります。でも、現状では確かめようがありません」
ハルトマンは議論を切り替えた。
「仮に侵略だとして、もう一つ問題がある。1400光年という距離だ」
宇宙物理学者が説明を引き継いだ。
「仮に宇宙船が光速の一パーセントで移動するとすれば、地球まで約十四万年。十パーセントでも約一万四千年かかります」
「光速の半分なら?」
「約二千八百年です。ただし、その速度まで巨大な宇宙船を加速させるには、莫大なエネルギーが必要になります」
玲奈は星図を呼び出した。
「2031年に届いた信号は、約1400年前に送られたんですよね?」
「そうです」
「じゃあ、もし信号を送るのと同時に、何かが地球へ向かって出発していたら?」
ハルトマンが答えた。
「光速未満なら、まだ航行中だ。仮に光速の半分で移動していても、到着は千年以上先になる」
「それでも、来る可能性はあるんですね」
「ああ。ただし、本当に何かが出発したという証拠はない」
現在の地球から観測できる発信源の姿は、約1400年前のものだった。そこに今も文明が存在しているのかさえ分からない。
* * *
その夜、玲奈が自宅にいると、国際天文観測機構から緊急通信が入った。
「相馬博士」
以前、2031年の信号について報告してきた研究者だった。
「どうしました?」
「見つけました」
「何を?」
「2031年の信号と、同じ数学的特徴を持つ可能性のある電波です」
「また受信したんですか?」
「いいえ。過去の観測記録から見つかったんです。それも一つではありません」
研究者から、候補となる信号の到来方向を示した星図が送られてきた。
2031年の信号が届いた方向に一つの印が表示された。続いて、別の方向にも印が現れた。
「過去数十年間の観測データを再解析しました。従来は分類不能な電波や雑音として処理されていた記録です」
「同じ信号なんですか?」
「まだ確定ではありません。ただ、短い断片の中に、2031年の信号と共通する数学的特徴が見つかっています」
「いくつあるんですか?」
「現在までに三十七件です」
「三十七……?」
玲奈は星図を広域表示に切り替えた。印は空のさまざまな方向に散らばっていた。
「発信源も違うんですか?」
「その可能性があります。受信された時期も方向も異なりますが、発信源を特定できていないものが多く、詳しい検証はこれからです」
「つまり、あの1400光年先の星だけじゃない?」
「はい。少なくとも、2031年の信号が唯一の事例ではない可能性が出てきました」
玲奈は監査用の通信経路からノアを呼び出した。
「ノア、このデータを解析できる?」
『はい』
研究者から送られた観測記録がノアに共有された。
『現在利用できる計算資源では、すべての信号の発信源や年代を特定することはできません。ただし、複数の記録に共通する数学的特徴が存在する可能性は高いと考えます』
「どういうこと?」
『2031年の信号と共通する数学的特徴を持つ電波が、複数の方向から届いていた可能性があります』
「同じ文明が送ったの?」
『不明です』
「別の文明かもしれない?」
『その可能性もあります』
玲奈は星図を確認した。
三十七件。まだ同じ信号と断定できるものばかりではない。それでも、1400光年先の一つの惑星だけを調べていればよいという状況ではなくなっていた。
「ノア。この信号を送ったのが何者なのか、調べられる?」
『追加の観測データが必要です』
「……そうよね」
そのとき、玲奈のVEILに文字が現れた。
PHASE 2 84%
「……84%?」
停止計画を一時保留してからも、第二段階は進行していた。
「ノア、停止作業は中断してるのよね?」
『はい。追加の切り離しは実施されていません』
「それでも進んでる……」
『停止計画との因果関係は、依然として不明です』
玲奈が表示を確認していると、進行率の下に新たな文字列が現れた。
PREPARING LOCAL SPECIES
「……現地種を準備中?」
玲奈は文字列を読み返した。
「ノア、この現地種って何?」
『一般には、その地域にもともと存在する生物種を指します』
「対象は地球なの?」
『その可能性があります』
玲奈は会議で見た仮想人体モデルを呼び出した。
ノアが開発した医療技術と、地球環境の変化。そして、第二段階に現れた「現地種」という言葉。
「ノア」
『はい』
「この『現地種』って……私たち人間のこと?」
『その可能性は否定できません』




