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らいらいは、未完成管理係の消しゴムを追いかけるふりをしながら、ふっと足を止めた。
白い廊下の角。
照明の届かない、わずかに青い影が、壁の根元に薄くたまっている。
その影だけが、さっきから妙に呼吸しているみたいだった。
らいらいはわざと大げさに咳払いすると、逃げかけている消しゴムの背中に向かって言った。
「よーし、今からおまえを真正面から捕まえるぞー」
すると消しゴムは、
「ひっ、真正面は弱いんです! 真正面はやめてください!」
と、意味のわからない悲鳴を上げて、近くの書類棚の裏へもぞもぞ隠れた。
そのすきに、らいらいはそっと身をかがめ、壁の下の影にだけ小声で話しかけた。
「……なあ。おまえ、さっきから見てるだろ」
影は動かない。
らいらいはさらに声を落とした。
「消しゴムには聞かせたくない。あいつ、すぐ丸くなって転がって逃げるし」
すると影が、ぴくりと震えた。
どうやら“転がって逃げる”で笑いをこらえたらしい。
らいらいは、その反応を見逃さなかった。
そのまま近くにあった巨大な消しゴム型の備品箱の裏へ、するりと身を隠す。
見た目は完全に「備品と一体化した不審者」だったが、今はそれどころではない。
消しゴムは棚の裏から顔を出し、ぶるぶる震えている。
「ど、どこ行ったんですか、らいらいさん……! こわいんですけど……! 追う側が急に消えるの、ルール違反です!」
「静かにしてろ」
「言い方が強い!」
らいらいは消しゴムを手招きして近くまで呼び、巨大な消しゴム備品の陰に一緒にしゃがませた。
ふたり……いや、一人と一個は、ほぼ床に貼りつくような姿勢になる。
そのまま、らいらいは影に向かってささやいた。
「正体を全部は言わなくていい。ヒントだけくれ」
しばらく沈黙が落ちた。
遠くで紙が一枚、勝手にめくれる音がする。
廊下の蛍光灯が、じ、じ、と小さく鳴った。
やがて影の中から、声とも息ともつかないものが返ってきた。
「……おまえは、もう会っている」
らいらいの眉が、ほんの少し動く。
「どこで」
「言葉の、続きを探した場所で」
その瞬間、消しゴムが横で「ひぇっ」と変な音を出した。
「おまえ、何か知ってるのか」
らいらいが横目で見ると、消しゴムは全力で首を横に振った。
いや、首はないのだが、消しゴム全体で横振りを表現していた。
「知らないです知らないです! ぼくはただの未完成管理係です! 未完成を管理して、完成したら寂しくなるだけの普通の係です!」
「普通の係の説明としてだいぶ重いな」
影が、今度は少しだけ濃くなる。
まるで、壁の向こうから誰かが近づいてきたみたいに。
「そいつは……」
影が言いかける。
だがその瞬間、消しゴムがなぜか足元でつるっと滑った。
「わあああ! 床が筆圧ゼロ!」
どんっ、と備品箱にぶつかり、
上に積まれていた古いメモの束が雪崩のように落ちてきた。
ぱさぱさぱさぱさっ。
らいらいの頭にも、消しゴムにも、影の上にも、無数の紙片が降り積もる。
その中の一枚が、らいらいの膝にひらりと落ちた。
そこには、たった一行だけ書いてあった。
「忘れた誰かは、消されたのではなく、おまえが続きを言うのを待っている」
らいらいがその文字を見た瞬間、壁の影がすっと揺れた。
今度は、はっきりと人の輪郭に近い形になる。
肩の線。
髪のような揺れ。
そして、懐かしいのに思い出せない立ち姿。
消しゴムは半泣きでらいらいの袖を引っ張った。
「ら、らいらいさん……あれ、たぶんヒント出しすぎです……! 本来は三段階ぐらい引っ張る予定だったやつです……!」
「おまえの職場、演出会議が細かいな」
「未完成の世界は段取りで保ってるんです!」
影はその言葉に、少しだけ笑ったように見えた。
そして、かすれた声で最後にこう言った。
「次は、おまえの方から思い出せ」
その直後、廊下の壁に一本だけ、細いひびが走る。
ひびの向こうには、白ではない色があった。
夕焼けみたいな橙色と、古いノートの紙みたいなやわらかい金色。
そこだけが、別の記憶につながっているみたいだった。
らいらいは膝の上の紙を握りしめたまま、静かに立ち上がる。
逃げ腰だった消しゴムも、なぜか今はその横で小さく息をのんでいた。
「……続きを言うのを待ってる、か」
すると消しゴムが、おそるおそる言う。
「たぶん……あのひびの向こうに行けば、思い出せるかもしれません。でも」
「でも?」
「思い出すってことは、向こうもらいらいさんを思い出すってことです」
「それの何がまずい」
消しゴムは真顔みたいな角度になった。
「場合によっては、いきなり泣かれるか、怒られるか、抱きつかれるか、名札を返せって言われます」
「最後だけ現実的だな」
ひびの奥の光が、またひとつ脈を打つ。
忘れた誰か。
待っている続き。
そして、まだ口にしていない言葉。
らいらいは、ひびの前へ一歩進んだ。
1. ひびの奥へ入って、忘れた誰かと正面から会う
2. 落ちてきたメモを全部集めて、先に“続きを言うための手がかり”を探す
3. 消しゴムに「名札を返せってどういうことだ」と問い詰める




