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らいらいは、未来の自分から渡された紙を、両手でそっと持ち上げた。
紙はふつうの紙に見えた。
白い。少しだけあたたかい。
なのに、近づけると、かすかに音がした。
さわ……
さわ……
と、まだ生まれていない言葉たちが、紙の中で寝返りを打っているみたいだった。
「読むのか」
未来のらいらいが、静かに言った。
「うん」
「たぶん、それはまだ書かれていない。だけど、お前が読むことで、初めて書かれる」
「どういうこと?」
「そのままの意味だよ。未来ってのは、たまにズルい」
らいらいは眉をひそめた。
未来の自分は、ちょっとかっこつけた顔をしていた。
なんか腹が立つ。
自分の顔なのに腹が立つ。
「その顔やめろ」
「どの顔だ」
「未来っぽい顔」
「曖昧すぎるだろ」
そんなやりとりをしながらも、らいらいは紙の端をつまんだ。
ぺらり。
開いた瞬間、真っ白だったはずの紙の中央に、黒いインクがじわりと浮かび上がった。
最初の一文字は――
『ら』
次に、
『らいらいは、この先で一度だけ、自分の名前を忘れる。』
らいらいの喉がひくっと鳴った。
「え?」
未来のらいらいは黙っている。
文字はさらに続く。
『忘れた瞬間、世界は少しだけ静かになる。』
『笑い声の形をした雲が止まり、』
『道ばたの自販機が哲学をやめ、』
『信号機が赤青黄ではなく、ためらい、決意、二度見で光り始める。』
「なんだその信号機」
「わりと困るぞ、それ」
未来のらいらいが真顔で補足した。
真顔で補足されると、妙に本当っぽい。
紙の文字は止まらない。
『だが、その静けさの奥で、まだ書かれていない続きの言葉が、お前を呼ぶ。』
『その言葉は、お前のものなのに、まだお前自身も知らない。』
『だから、次に出会う三つの声のうち、ひとつだけを信じろ。』
『一つ目は、懐かしい声。』
『二つ目は、うるさい声。』
『三つ目は、お前そっくりなのに、お前ではない声。』
らいらいは紙から目を離した。
「ちょっと待て。怖いこと書いてあるんだけど」
「うん、未来はだいたい怖い」
「しかも“うるさい声”ってなんだよ」
そのときだった。
部屋のすみで、カタカタカタカタッ、と妙な音がした。
振り向くと、さっきまで何もなかった場所に、古びた小さな机が現れていた。
その上に、赤い電話が一台だけ置かれている。
昭和っぽい。
やたら昭和っぽい。
でもコードがない。
コードがないくせに、妙に「かかってきますよ?」みたいな顔をしている。
そして案の定、鳴った。
ジリリリリリリリリリリ!!
うるさい。
めちゃくちゃうるさい。
配慮ゼロの着信音だった。
「二つ目の声、これじゃないか?」
未来のらいらいが言う。
「まだ声じゃない、音だろ!」
「でもだいぶうるさい」
紙を見ると、さらに新しい文字が浮かんでくる。
『電話に出るな。』
らいらいは一歩下がった。
すると次の瞬間、電話が自分で受話器を持ち上げた。
「もしもし!!!!」
受話器の向こうから、ものすごく元気な声が飛び出した。
「まだ読むなって言ったのに読んだな!!!!」
らいらいは飛び上がった。
「うわっ!」
「誰だよお前!」
「未来のもっと先から来たお前だよ!!!!」
「声がデカすぎる!!」
未来のらいらいが、横でため息をついた。
「ほら来た。うるさい声だ」
電話の向こうの“もっと先のらいらい”は、やたら勢いよくしゃべり続けた。
「いいか!! その紙の最後まで読むな!!
最後まで読むと、お前は次の扉を開ける前に、ひとつだけ大事なことを知ってしまう!!」
「大事なこと?」
「そうだ!! 知るには早すぎる!!
早すぎる知識は、たいていちょっと変なテンションを呼ぶ!!
そして変なテンションで決めた選択は、たいていあとで“なんであのとき俺あんな自信満々だったんだ”になる!!」
妙に説得力があった。
未来のらいらいも腕を組んでうなずく。
「それは本当だ。未来のお前、数回それで転んでる」
「何回?」
「かなり」
「かなり!?」
紙にはまだ先がある。
けれど、文字は今、途中で止まっていた。
まるで、らいらいが次にどうするか待っているみたいに。
そのとき、部屋の奥の白い壁に、細いひびが走った。
ぴしっ。
ひびはゆっくり広がり、そこから淡い光が漏れ始める。
そして光の中から、かすかな声がした。
「……らいらい」
懐かしいような、
遠い昔に聞いたような、
でも思い出せそうで思い出せない声。
らいらいは、息をのんだ。
机の赤電話はまだ叫んでいる。
「そっち見るな!! 順番がある!! 順番って大事!!
カップ麺だって三分待つだろ!!
未来も少し待て!!」
「例えが急に生活すぎるんだよ!」
未来のらいらいは紙を見つめたまま、低い声で言った。
「さあ、どうする。まだ書かれていない続きは、お前が選んだ瞬間に形になる」
白い壁のひびの向こうからは、懐かしい声。
赤電話の向こうからは、うるさい未来。
そして手の中には、まだ最後まで読んでいない紙。
らいらいの指先に、じんわり汗がにじんだ。
未来は、待ってくれない。
でも、言葉は待っている。
その不思議さが、少しだけおかしくて、
少しだけこわくて、
それでも、らいらいは笑ってしまった。
「やっぱ未来って、めんどくさいな」
すると紙のいちばん下に、最後の一文だけがふっと浮かんだ。
『めんどくさいからこそ、続きになる。』
1. 紙の最後まで読んで、知るには早すぎる未来の言葉を読む
2. 赤い電話に出て、うるさい未来の自分の話を最後まで聞く
3. 白い壁のひびに近づいて、懐かしい声の正体をたしかめる




