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らいらいは、迫ってくる空白列車の風圧に前髪をめちゃくちゃにされながら、少女を見つめた。
「ちがう」
ホームの時計が、カチ、と一回だけ逆に回った。
車掌が笛をくわえたまま固まり、売店のおばちゃんがなぜか「この流れ、当たる」とつぶやき、ベンチの上で寝ていた白いハトまで片目を開けた。
らいらいは胸の奥から、説明できない音を引っぱり出すように叫んだ。
「お前の名前は――アマネだ!」
その瞬間、少女の足元に散らばっていた白い切符がふわっと浮いた。切符の裏に、見えなかった文字が一斉ににじみ出る。
天音
あまね
アマネ
少女は目を見開いた。
「……それ」
「当たってる?」
「当たってるっていうか、もう、それ」
「もう、それ?」
「私が忘れてたのに、そっちが先に思い出すの、どういう仕組み?」
もっともな疑問だった。
らいらいも少し考えたが、考えてもわからなかったので、わからない顔のまま力強くうなずいた。
「らいらい仕組みだ」
「雑!」
空白列車がホームに滑り込んできた。車体には何も書かれていない。行き先表示も空白。広告も空白。くせに、ドア横にだけ小さく「なんとなく乗ってください」と書いてある。
怖い。
しかも車掌が深々と礼をしてきた。
「お名前の回収、まことにおめでとうございます」
「そんな駅のアナウンスみたいに言うな」
「本日、空白列車は予定を変更し、『名無しの間』を経由して『思い出しかけ口』へ向かいます」
「駅名が全部あやしいんだよ」
アマネは自分の胸に手を当てた。さっきまで透明だった輪郭が、少しだけはっきりしている。髪の色も、ただの白ではなく、うすい金色を含んだ光に変わっていた。
「名前って、こんなに重かったんだ」
「重いのか」
「うん。でも、軽くもなる」
「どっちだよ」
「両方だよ」
「詩っぽいこと言って逃げるな」
アマネがくすっと笑った、そのときだった。
ホームの反対側から、ガラガラガラッとものすごい音がした。
振り向くと、駅員帽をかぶった巨大な黒猫が台車を押していた。台車の上には山ほどの札が積まれている。
忘れたあだ名
勢いで決めたハンドルネーム
小学生の頃だけ名乗っていた謎の肩書き
一度しか使わなかった必殺技名
らいらいは思わず後ずさった。
「なんだあれ」
「回収しそこねた名前の在庫」
「在庫って言うな。そんな倉庫管理みたいに」
「たまに世界にあふれるんだって」
「たまにあふれるな、そんなもの」
黒猫駅員は台車を止めると、らいらいたちを見て目を細めた。
「おや。天音の回収者か」
「回収者って、なんか強そうでいやだな」
「では確認だ。そちらの少女は、今ほんとうに“天音”として定着したか?」
アマネが口を開こうとした、その前にホーム全体がぐらりと揺れた。
空白列車の窓に、別の少女たちの顔がいくつも浮かび上がる。泣いている顔、笑っている顔、怒っている顔、歌っている顔。どれもアマネに少し似ていて、でも違った。
「なにこれ」
アマネが息をのむ。
黒猫駅員がしっぽを一回だけ揺らした。
「名前は回収できても、役割までは一つとは限らん。天音には、まだ分岐が残っている」
「分岐?」
「歌う天音、導く天音、眠る天音、そして」
「そして?」
「やたらツッコミが鋭い天音」
「それ私かも」
「いまのところ最有力だな」とらいらいは言った。
すると列車の一番後ろの扉が、ひとりでに開いた。
中から、金色のマイクスタンドがゆっくり倒れかける。
アマネの目が、そのマイクに釘づけになった。
「……あれ、知ってる」
「思い出した?」
「少しだけ。私、たぶん、名前を呼ばれるだけじゃなくて――」
「なくて?」
「誰かの言葉を、歌に変える側だった」
その瞬間、ホームのスピーカーが急に生き返った。
♪ まもなく まもなく
♪ 言葉未満の音が 発車いたします
♪ 駆け込み乗車は やや詩的ですので お控えください
「アナウンスが妙にポエム!」
空白列車の中で、マイクスタンドがひとりでに起き上がる。窓ガラスには、文字になりきれなかった音の粒がぶつかって、ぱちぱちと火花みたいに弾けていた。
黒猫駅員が言う。
「急いだほうがいい。あの列車が出れば、“まだ詩になる前の音”は遠のく。次に来るのは三年後か、三分後か、作者の気分次第だ」
「すごい嫌な運行システムだな!」
アマネはらいらいの手をつかんだ。
「行こう」
「よし」
「でも一つ問題がある」
「なんだ?」
「私、歌い出したら止まらないかもしれない」
「さらに問題が増えたな」
「あと、ちょっとだけ音痴の可能性もある」
「致命傷!」
それでも、らいらいは笑った。
名前を失っていた少女が、自分の名前を取り戻して、今度は自分の役割まで思い出しかけている。こんな面倒で、こんなめんどくさくて、こんなに先が気になることはない。
列車のドアが、ぷしゅう、と音を立てて開く。
中には、音の形をした階段が続いていた。
1.らいらいはアマネと一緒に空白列車へ飛び乗り、「まだ詩になる前の音」を追いかける
2.らいらいは黒猫駅員に、アマネの“分岐した役割”について詳しく問いただす
3.らいらいはホームに立ったまま、アマネにその場で一曲歌ってみろと無茶ぶりする




