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らいらいは、光る床の上にそっと右足を乗せた。


その瞬間、びっくり館ぜんたいが


ぷるん


と一回だけ揺れた。


地震みたいでもなく、雷みたいでもなく、

まるで巨大なプリンが「いま誰か乗った?」と首をかしげたような揺れだった。


次の瞬間、廊下の左右に並んでいた肖像画たちが、いっせいに目を開けた。


「来たぞ」

「来たね」

「来ちゃった」

「足音がちょっと主人公っぽい」

「でも少しだけ寝不足の歩き方だ」

「わかる」


らいらいは立ち止まった。


「しゃべるなよ、絵なのに」


すると、いちばん端にかかっていた、ひげの長い王様っぽい絵が、むっとした顔で言った。


「逆に聞くが、しゃべらない絵のほうが失礼ではないか」


「それは知らないけど、すごい理屈だな……」


そのとき、床に浮かんでいた金色の文字が、ふわりと形を変えた。


すすめ


すすめ


すすめ


だが気をつけろ


この先には

笑ってはいけない部屋がある


らいらいは眉をひそめた。


「笑ってはいけない部屋?」


すると館の奥から、ぼふん、と変な音がした。


続いて、


ぱふっ

むにゅっ

ぺちん


みたいな、まったく緊張感のない音が連続で聞こえてきた。


「嫌な予感しかしないな……」


らいらいが進むと、廊下のつきあたりに、赤い幕のかかった大きな扉があった。

扉には銀色のプレートがついている。


そこには、きれいな字でこう書かれていた。


笑ってはいけない部屋

ただし少しくらいならいい


「どっちなんだよ」


思わずつっこんだ瞬間、扉が自動で開いた。


中はまるい部屋だった。


天井はやたら高く、壁には無数のラッパ、たいこ、くつした、スプーン、なぜか大根が飾られている。

部屋の中央には、黒いマントを着た小さな人物が立っていた。


その人物は、ゆっくり振り向いた。


真っ白な仮面。

長いマント。

そして頭の上には――


ぷるぷる揺れる豆腐が乗っていた。


「……」


「……」


「……なんで豆腐?」


らいらいがそう言うと、仮面の人物は低い声で名乗った。


「我が名は、しずかなる恐怖……沈黙の執行人……トーフェン伯爵……」


言い終わる前に、頭の豆腐がつるんと滑って床に落ちた。


べちゃっ。


沈黙。


部屋のすみで、ラッパがひとつだけ


ぷすっ


と鳴った。


らいらいは口を押さえた。

危ない。

かなり危ない。


トーフェン伯爵は震える手で豆腐を拾い上げ、何事もなかったように頭に戻した。


「……今のは儀式だ」


「絶対ちがうだろ」


「ともかく、ここを通りたければ試練を受けてもらう」


「試練?」


「そうだ。お前には、三つの笑撃に耐えてもらう」


「笑撃って言っちゃってるじゃん」


伯爵が指を鳴らすと、部屋の壁がごごごと動いた。

そして一枚の幕が上がる。


そこには、小さな舞台があった。


第一の笑撃、と書かれた札が降りてくる。


舞台の上に現れたのは、一羽のカラスだった。

ただし普通のカラスではない。


なぜか蝶ネクタイをつけ、

なぜか二本足で立ち、

なぜかやたら渋い声で歌い始めた。


「寝れねえカラスがァ……

歌ってやがるゥ……」


らいらいの肩がぴくっと震えた。


しかもカラスは歌いながら、妙に情感たっぷりに片翼を広げる。


「夜の電線、俺のステージ……

月も見てるぜ、コンビニ帰りの風……」


「だめだ……」

らいらいは口を押さえた。

「なんでそんなに上手いんだよ……」


トーフェン伯爵が叫ぶ。


「笑うな! まだ第一だぞ!」


ところがそのとき、舞台袖から小さな拍手が聞こえた。


ぱちぱちぱち。


見ると、さっきまで壁に飾られていた大根が、いつの間にか客席に並んでいた。

しかも全部、妙に真剣な顔でカラスの歌を聞いている。


「観客が大根なのはずるい!」


らいらいの腹筋が危険だった。


だが、なんとか耐えた。

ぎりぎり耐えた。


トーフェン伯爵は悔しそうにうなった。


「ふん……では第二の笑撃だ」


再び指を鳴らす。


今度は床から、鏡が一枚せり上がってきた。

そこに映ったのは、らいらい――ではなかった。


鏡の中には、王様みたいな服を着て、無駄に堂々とした一匹のハムスターがいた。

しかも玉座に座っている。


「我こそは、ハム帝である」


「誰だよ!」


「小さき者を笑うな。小さいからこそ、だいたいのすき間に入れる」


「妙に強そうな思想!」


ハム帝はさらに続けた。


「お前の心には、今、三つの迷いがある。

ひとつ、進むかどうか。

ふたつ、信じるかどうか。

みっつ、あの大根は食べられるのかどうか」


「最後だけ俗すぎるだろ!」


らいらいはついに吹き出した。


「ぶっ……ははっ!」


その瞬間、部屋じゅうのラッパが一斉に鳴った。


ぱぱぱぱぱーーーん!


トーフェン伯爵が両手を上げる。


「笑ったな! 笑ったぞ! 試練失敗――」


だが、その途中で天井から金色の紙吹雪が降ってきた。


おめでとう

今の笑いは合格です


「合格なのかよ!」


「なにぃ!?」


伯爵も仮面の下でたぶん素で驚いていた。


壁の文字が、またふわりと並び変わる。


本当にだいじな者は

笑いを失わない

びっくり館は

泣き顔より

笑い顔のほうが好き


らいらいは、さっきまでのおかしさの奥に、少しだけあたたかいものを感じた。


すると部屋の中央に、光の階段が現れた。

階段の上には、小さな鍵が浮かんでいる。


銀色でも金色でもない、

朝露みたいに透き通った鍵だった。


トーフェン伯爵は、今度はちゃんと豆腐を押さえながら言った。


「それは、ひらきの鍵だ」


「ひらきの鍵?」


「閉じた扉を開く鍵ではない。

閉じた心を、少しだけ開く鍵だ」


さっきまで妙なやつだったのに、急にいいことを言うので、らいらいは少し戸惑った。


「お前、もしかして最初からただの変なやつじゃなかったのか」


「失礼な。私はかなり変なやつだが、それだけではない」


「そこは認めるんだな」


らいらいが鍵を手に取ると、鍵の中に小さな声がした。


ちいさく笑え

やさしく進め

世界はたまに意味不明だが

それでもおもしろい


その言葉と同時に、部屋の奥の隠し扉が静かに開いた。


向こうには、夜空のように暗い通路がまっすぐ伸びている。

だが暗いだけではない。

ところどころに、小さな光が浮いていた。


星――に見えたが、よく見ると全部、ちいさなメモ帳だった。


空中に無数のメモ帳が浮かび、

ぱらぱらと勝手にページをめくっている。


「次は……なんの部屋だ?」


トーフェン伯爵は低い声で答えた。


「記録の回廊だ。あそこでは、忘れた言葉たちが漂っている」


らいらいの胸が少しだけ高鳴った。


忘れた言葉。


落としてしまった思い。


どこかへ行ったはずの、でも本当はまだ消えていないもの。


通路の奥から、かすかに声がする。


跳ねるような、

笑うような、

それでいて少しさみしい声だった。


らいらいは、ひらきの鍵を握りしめ、暗い通路へ一歩踏み出した。


その瞬間、うしろでトーフェン伯爵が叫ぶ。


「待て!」


らいらいが振り向く。


伯爵はまじめな声で言った。


「もし途中で、しゃべるメモ帳に出会っても、あまり全部を真に受けるな」


「なんで?」


「メモ帳はすぐ話を盛る」


「人より信用できないな」


「あと、たまに自分を詩人だと思っている付箋もいる」


「かなり面倒くさそうだな……」


らいらいは苦笑しながら、こんどこそ記録の回廊へ進んだ。


闇の中で、最初のメモ帳がふわりと近づいてくる。


そこに書かれていたのは、たった一行。


きょうの君は

昨日の君より

ちょっとだけ主人公


らいらいは、その言葉を読んで、

なんだか少しだけ、背筋が伸びた。


そして、さらに奥へ進んだそのとき――


回廊の最深部で、

巨大な本棚の影が、

ゆっくりと動いた。


次の瞬間、低く静かな声が響く。


「来たか、らいらい。

ならば返してもらおう。

この館に預けられた、君の“まだ言葉になっていない言葉”を」


空中のメモ帳たちが、いっせいにページをめくる。


ぱらららららっ、と。


記録の回廊の奥で、

なにか大きなものが目を覚ました。


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