決着
「累、もう一度、空き地を調査する。支度しろ!
礼子はここでこの街の古文書をあたれ。
何かあればすぐに連絡しろ」
「はい!」っと礼子と私は背筋を伸ばした。
その瞬間先輩は、風のように消えた。
礼子はキーボードを叩いた。
「もう大丈夫なのか?」
礼子は画面から目を離さず、タタンッとキーボードで返事をした。
思わず口角が上がる。
私は、床に散らばる御札を病室のテーブルに並べ、部屋のドアを開けた。
すると礼子は、急に顔を上げる。
「ありがとうございました。
──ところで累さんって、いつ寝てるんですか?」
その言葉が、妙に引っかかった。
……最後に眠ったのは、いつだったか。
思い出せない。
私は首を振り、その思考を無理やり押し込めた。
腹部を擦る。
もうそこに、痛みはなかった。
──空き地に足を踏み入る。
そこは以前より、地面が妙に柔らかい気がした。
音が吸い込まれるように消えていく。
視線の先には先輩が地面をそっと眺めて立っていた。
その足元には大きなスコップがひとつ置いてある。
「累。ここを掘れ」
先輩はあごで私に指示するとスコップに視線を落とした。
先輩には、頼み方やねぎらいを勉強してもらいたいものだ。
私はスコップを手に砂利をめくった。
カツン。
しばらく掘りすすめるとスコップは何かにぶつかった。
周囲を掘りすすめると土に紛れた焦げ茶色が姿を現した。
それは、巨大な木の根だ。
表面は木のはずなのに、どこか湿って見えた。
まるで脈打っているかのように。
御神木。
それはここに埋まっていた。
「それが核だ」
先輩は空き地に何かを描いていた。
「……こっちの相手は、俺が引き受けてやる」
視線を上げると、いつの間にか黒い染みが周囲に滲んでいた。
先輩は手首に数珠をはめた。
カチ、カチ、と乾いた音が鳴る。
珠同士がぶつかり合い、わずかに空気が震えた。
「掘る手を止めるな」
先輩は一歩前に出る。
黒い染みが、じわりと足元へ滲んできた。
「こいつらは“形”を持たない。
だが、境界を与えれば縛れる」
先輩は指で数珠を弾いた。
チン、と澄んだ音が響く。
その瞬間、地面に赤く円が浮かび上がる。
「音は、輪になる。
輪は、内と外を分ける」
黒い染みが円の外側で蠢く。
侵入できない。
「つまり──」
先輩は小さく息を吐いた。
「ここは、もう“内側”だ」
黒い染みが一斉に膨れ上がった。
御神木の根は少しずつ顕になっていく。
ザクッと掘るたびに薄い木片がこぼれ落ちる。
それはまるで、鱗のように見えた。
掘る音に混じって、先輩の低い声が、一定の間隔で空気を打つ。
ふと、どこかの記憶が脳裏をよぎる。
「──ここはもうだめだ!お前は先に行け」
先輩が私を追いやる記憶。
それは背中を熱くさせた。
忘れていた記憶。けれどそれがいつのことなのかを、思い出せなかった。
「……くっ」
先輩の声が途切れる。
ぶわりとした寒気が襲い掛かる。
でも、決して振り返らない。
それが、先輩との約束。
そう心の奥底に刻まれていた。
ガリッ。
突如として御神木の根は硬くなった。
スコップが跳ね返される。
何度突いても効果がない。
まるで、これ以上触れるなとでも言うように。
急に凍てつく風が喉を締め付けた。
スコップを握る手に力が入らなくなっていく。
まだ昼間だというのに、薄っすらと影が地面に落ちた。
リンッと先輩の数珠の音が鳴った。
そのとき、御神木からほのかに温もりを感じた気がした。
私はスコップを振り上げた。
「先輩!鳴らせてください」
じり、と先輩の足が地面を蹴った。
私もそれに合わせて跳躍する。
カツーン!
リーン!
白い光が、散る。
御神木は、
応えた。
視界が白に染まった。
──空を泳ぐ焦げ茶色の大きな魚。
その魚は空から街を見下ろし、ときより心地よい音を降らせた。
ボーン。ボーン。
その音は闇を照らし、人々は柔らかく微笑む。
その魚は、荘厳にそびえ立つ御神木の周りを、美しく泳いだ。
──その光景を見上げる男がひとり。
赤い鳥居と重厚な社。
その狭間で魚を見つめている。
その顔は先輩に、似ていた。
どこからか太鼓の音が空を打つ。
横笛の音色が流れ込む。
その男は人差し指と中指を顔の前にかざし、目に力を込めた。
すると、ふわりと複数の人が現れた。
ある者は太鼓を叩き、ある者は横笛を吹く。
そして、ある者は音に合わせて、舞った。
社の床を足袋で踏み、心地よい音を立てる。
木の音色を彩るように、優雅にステップを踏んでいた。
空を泳ぐ魚は、じっとその光景を見つめていた。
そして、尾びれを空に立てると、
──その足に沈んだ。
白が剥がれる。
視界が現実へと引き戻される。
そこは真っ暗な闇。
黒い染みは群がり、空を閉ざしている。
「累。御神木を鳴らせ!」
先輩の声が闇の中にこだまする。
私は、あの音を思い出す。
ボーン。
あの、街を包んでいた音。
そして──革靴を、御神木に乗せた。
──カツン!
その瞬間、白い光が周囲を解き放った。
黒い染みは、音にほどけるように崩れていく。
その中心に、少年は立っていた。
「やっとだ」
少年は、ゆっくりと笑った。
「あはは。ずっと待ってたんだよ。
音が戻るのを」
ぶわり、と。
少年の足元から黒い染みが溢れ出す。
空の光が歪む。
「……これでまた、遊べる」
私は一歩踏み出した。
「お前の作った黒い染みは、もう祓った。
お前に何ができる?」
少年は首を傾げ、くすりと笑う。
「あはは。やっぱり鈍いなあ」
その瞬間。
黒い染みが、空から街へと降り注いだ。
「……なに」
崩したはずの闇が、また満ちていく。
少年はくるりと回り、両手を広げた。
「ねえ、なんで地縛霊がここにいるか、考えたことある?」
私は睨みつける。
人の未練がそこにあるからか……いや。
先輩の口から言葉が漏れた。
「……御神木、だな」
少年の頬が緩む。
先輩は続けた。
「縛ってたんじゃない。
天に逝くまえに“叶えたかった”んだ」
静寂。
そして──
少年は、楽しそうに肩を震わせた。
「はは……ははははは!」
顔を上げる。
その目は、どこか冷えていた。
「そう。正解」
少年は足元を軽く叩いた。
「この街、全部“根っこ”で繋がってるんだよ」
黒い染みが、じわりと地面を這う。
「願いをさ、叶えなくちゃ護ってるって言えないでしょ?」
一歩、こちらに近づく。
「だから”まだ”の人間を、逃さないようにしてるんだ」
指先がかすかに震えた。
「ずっとここにいられるように。
願いが、いつか叶うように。
僕はその人たちと、もっと遊びたいんだよ」
私は歯を食いしばる。
「街の外に連れて行くつもりか……」
少年は一瞬だけ、表情が消えた。
「あなたたちがやらなかったら、誰も外に出られなかったんだ」
風が止まる。
その顔に、笑みが戻る。
黒い染みが、再び少年の元に集まっていく。
「そのために、あなた達に力をあげたんだ。
動けるように、壊せるように」
空を見上げる。
「この街だけじゃ、もう飽きちゃったからね」
私は息をのんだ。
祓ったはずの地縛霊たち。
溶かしたはずの黒い染み。
──違う。
「……外に出しただけか」
少年は嬉しそうに笑った。
「そういうこと」
そして、静かに言う。
「叶わないまま終わるくらいなら、
終わらない方が優しいでしょ?」
言葉が、一瞬だけ胸に刺さる。
「それは……」
否定しきれなかった。
その隙を、先輩は見逃さない。
暴風のように踏み込み、拳を突き出す。
「甘い!
人を殺めることを、誰も望んでなどいない」
拳が触れた瞬間──
音が、消えた。
先輩の手が、黒く染まる。
「あはははは。
当たり前のことを言わないでください。笑っちゃいますよ」
先輩の拳は、まったく通らない。
黒い染みが、すべてを受け止めている。
ポコン。
スマホが鳴った。
礼子からのチャット。
私はそれを見て──理解した。
画面には、短くこう書かれていた。
『“外”に見せてください。
観測されれば、“意味”が変わります。
そこ、見えてます!』
……そうか。
恐怖は、閉じた中で膨らむ。
だが──見られた瞬間、それは“演出”になる。
私は小さく息を吐いた。
「先輩!無駄だとわかっていても、手を止めないでください。
それが、この場を“明るくする”」
礼子。
あとは頼んだ。
こっちは本気になれば、それでいい。
カツン!
革靴を鳴らす。
乾いた音が、空き地に広がる。
先輩は、少年に向けて何度も拳を打ち出す。
しかし、そのすべては弾かれる。
「先輩、まだ舞えます」
私はわざと、響くように言った。
一瞬。
先輩の肩が、ぴくりと動く。
──乗った。
「累!鳴らせ」
その声に、迷いはなかった。
私が応えると知っている声だった。
カツン!
カツーン!
私はリズムを刻む。
音を、広げる。
少年は笑った。
「効かないことがわからないのですか?
無駄ですよ。僕は“みんな”に守られているのです」
先輩は手にはめた数珠を鳴らす。
リーン!
それに合わせて革靴を踏み鳴らす。
カツン!
私のもとにも黒い染みは襲い掛かる。
舞うように避ける。
それだけでいい。
そのたびに音は鳴る。
「改心するつもりはないのか?」
少年は眠たそうに答える。
「何を言っているのですか?
これからが、楽しいところですよ」
私は無理やり口角を上げて、ニッと微笑んだ。
「もう少し君と遊びたかったよ」
黒い染みは身体に付着する。
そのたびに身体は重くなる。
カツン!
リン!
いくら音を奏でても、何も変わらない。
先輩は黒い染みの猛攻を避ける。
指を立て、言葉を重ねる。
「この街は、お前には渡さない」
先輩の拳は少年に届かない。
何度やっても、弾かれていく。
「先輩、今のいい感じにダサいですよ」
私は波立つ黒い染みにハイキックを入れた。
案の定、身体中に黒い染みが広がった。
「お前こそ!」
先輩と私は黒に染まっていく。
もう少しで……
黒い染みが泡立ち、先輩を打ち据える。
先輩は地面に叩きつけられた。
「くっ。やはり子供には、かなわないか」
……下手くそ。
一拍。
だが、それでいい。
私は、空を見上げた。
彼方のレンズが光る。
──配信は、繋がっている。
「この黒さが、この街の本質だ。
この街の未来は”明るいな!”」
私の声が、淡々と響く。
黒い染みは先輩と私をどぷんと飲み込んだ。
少年の笑い声がこだまする。
「あははは。なに意味のわからないことを。
あなたたち、真っ黒じゃないですか!」
少年の声は、急に小さくなった。
「……あれ、僕いま、ツッコんでる!?」
一瞬の沈黙。
黒い染みが、わずかに揺らぐ。
その瞬間。
三本の光が、空を裂いた。
病院。
学校。
寺。
それぞれの場所から、光がこの空き地へと差し込む。
「……いや、違う。違う違う」
首を振る。
「……僕はそっちじゃない。
違う。僕は、追いかける側だ」
白い光は少年の身体を、貫いた。
少年の声が、初めて揺らぐ。
「なぜだ……
なぜ、“明るい”……」
身体に付着した黒い染みは、ゆっくりと霧散していく。
私は、スマホを掲げる。
そこには、配信画面。
この街のお天気カメラは、この場所を捉えていた。
温かいコメントが、幾重にも流れる。
──笑い声。
──茶化し。
──冗談。
──軽口。
そしてツッコミ。
恐怖は、そこになかった。
礼子はスマホ越しに告げる。
「子供に勝てない大人。
そんな動画が、この街に“笑い”を生んだんです!」
その声は力強かった。
黒い染みは意味で性質が変わる。
怖がれば怪物、でも、笑えばただの現象になる。
少年の目が、見開かれる。
「なんで……
怖がってよ……逃げてよ……」
その声は、震えていた。
先輩は立ち上がり、穏やかな眼差しを向けた。
「恐怖はな──」
一歩、踏み出す。
「笑われた瞬間に、終わるんだよ」
黒い染みが、揺らぐ。
崩れる。
意味を失っていく。
「だから君は──」
私は少年をまっすぐ見た。
靴を踏み鳴らす。
カツン!
「もう、“鬼”にはなれない」
沈黙。
少年の顔から、笑みが消えた。
ポケットの中の骨が熱を持った。
これは、木魚の骨なのだろう。
周囲に白い装束を身にまとう、人々が見えた。
御神木を守るように、祈りを捧げているように見えた。
……違う。見えているのではない。
思い出している。
足袋の感触。
拍子を揃える呼吸。
音を外さないように、張り詰めた指先。
私はその輪の中に、いた。
その中で、少年だけが歪んだ表情をしていた。
「ほら、終わりだ」
軽く頭に触れる。
「もう、鬼ごっこはおしまい」
少年の声は、かすれていた。
「怖がらないなら……逃げないなら……
それ、遊びにならないじゃないか……」
少年の声は、かすれていた。
「……ずっと、待ってたのに」
小さくこぼれたその言葉は、
誰にも届かないまま、風にほどけた。
温かい風が街全体を覆った。
白い光は柱となり、
かつてそこにあった御神木の“形”を、
空に浮かび上がらせた。
ボーン。
街に、やわらかな音が広がった。




