19.3.「君達は誰もが弁財天様を真似しないで。お腹痛いもん」
こうして『あおゆみ』での騒がしい夕食が終わりになってきた。いつの間にもう6時半になり客もどんどん多く入場した。その時、給仕さん達は厨房から軍団のように出てきて、ゆっくりと混んでいる食客達をもてなしていた。一人の給仕さんを呼び請求書を送って貰った。倉崎さんと深本さんを小田原に行きに誘った私達は必然的にこの食事を奢る。定食式を皆が二週間の異常に力を尽くした旅から復帰していることによって満場一致して一人一人が料理を一つ注文したし、支払いは余裕だね。ご飯、漬物と味噌汁という固定料理はお櫃と共にただ6厘掛かったり、作るのが時間掛かる料理は値段がより高かったりすることによって、八つのおかずに95厘、合計143厘で僅かに14銭より多く払ったのだ。
受付中のお母様に先に帰ると言った。平日なのでお父様とお母様は9時に閉店し、それから15分後に家に帰り、もう15分後に入浴するという時間割を守っている。私達は一斉お母様にお辞儀をし、『あおゆみ』を出たら二組に分け合った。『花火團』の三男子と智埼ちゃんは笠人君の家へ向かう一方、降恆ちゃん、倉崎さん、深本さんと私は私の家へ。二つの家でお風呂に入り、頭と顔を洗い、浴衣と寝間着を用意し、笠人君に薬を飲ませた後に智埼ちゃんの家に行く。倉崎さんの撮った写真は澁薙君が智埼ちゃんの派手な実験室で現像することになる。明日の正午までに出来上がるのは一番早いだという予定だ。写真家の専用ケミカルは深本さんが厚喜さんに渡されここまで持ってきて良かった。有機化合物全体は化学界に参加した誰もが作成に躊躇するし、自然に頼る方が多いね。自然ではなければ、化学工場、ないしは海外だ。厚喜さんも以前言ったでしょう、自分が使うメトールとヒドロキノンはアメリカから輸入されたと。
荷物、手帳、外套を整頓し、特に私の愛刀の『箱春』を二本掛けに置き、智埼ちゃんの家に出掛けた。渡邊家のレベルに漸近したほど四つの料理類を同時に作る竈のある台所は笠人君の家の『プライド』だとしたら、智埼ちゃんの家の『プライド』として町の清々しい幼稚達を魅力させる御伽話らしい場所となったのは炒るお茶と檜の壁の香り塗れの実験室だ。ダイヤモンドのタイルで壁、正方形のタイルで床を敷いたり、窓に紅葉模様の紅の幕が上下に紐で引かれ外の日光を遮ったり、化学式や反応式などを書く為の黒板がまだ空けていたりした。黒板の向こう側にはガラスの道具を置いた机、ケミカルをしまった戸棚と吊り戸棚や、手洗いと処分への流し台を含める実験の部分。そう、フラスコ、試験管、ピペット、ビーカー、アルコールランプ、スタンド、瓶、などなど。ケミカルは普通に基本的化学に分類され、それぞれの戸棚に『酸化物』、『酸』、『塩基』、『塩』、『金属』、『非金属』や『有機化合物』と紙片を付け区別された。アルカリ性の金属など保管の条件がより多いケミカルは暗い色の戸棚で特殊の溶媒に浸かったり空気から離れたりする。ケミカルを入れた瓶も当然に名と式を書く紙片を貼った。
家の裏から実験室の扉を開けたとは常に手袋と白衣で自分を保護する。花火の為の火薬を作成する間、智埼ちゃんも保護眼鏡を自ら作り、フレームを弾性の高いゴムから頭の後ろを締める輪形にした。掛ける時レンズを囲むゴムは目の周りの肌に一旦とくっついて眼球を守り、外す時引っ張り襟に下ろせるようになった。実験室の電気を付け、まず智埼ちゃんが手帳から黒板に現像の反応式を化合物の構造式まで詳しく書いてきた。従って、智埼ちゃんが私と倉崎さんに吊り戸棚の下のキャビネットにしまった陶製の桶を引き出し、水を注ぎ、酢酸と水酸化ナトリウムを用意して貰った。なお、見逃してはいけないのは印画紙だ。水をあまり吸わず写真を刷るのは浮世絵を書く為の和紙も出来る。暇潰しに絵を描く智埼ちゃんは楮紙と雁皮紙を倉庫に貯えている。今回は雁皮を印画に選んだ。これからちょっと困っていたことはきた、チオ硫酸ナトリウムがなかったという。だが、良いことは硫黄と亜硫酸ナトリウムがまだ切れていない。それから多分、智埼ちゃんが白濱の化学部の松山ちゃんと桐谷ちゃんに連絡し、チオ硫酸ナトリウムを追加するのを求める可能だ。化学部の部長だから。
原料が準備出来たら、電気を消し、幕をも下ろし、赤外線眼鏡を皆が掛けた。そう、深本さんも厚喜さんから赤外線眼鏡を持ってきて、今回は初めて掛けてみるとても良いチャンスだった。石油ランプの脆い灯りに比べると、赤外線で暗視することは光の介入を徹底的に摘除し、現像の効率を異常に上げるのが出来るのだ。こうやって厚喜さん達の手続きを覚えて順序に行い、ロールフィルムを全部引き抜き、メトールとヒドロキノンを混ぜて桶に注入し、露光されたフィルムを酢酸に浸し、それにチオ硫酸ナトリウムで残りの銀塩を洗い流した。
綺麗になったフィルムを干しているところで、和紙を印画紙に変えるという新しい手続きを私達がした。硫酸バリウムを純彦君が擂り潰し、その粉末を雁皮紙にチーズ或いはバターみたいに塗った。これは写真の明るい部分を作るバライタ層だ。バライタの上には智埼ちゃんの手作りのゼラチン。ジェリーを作る為のゼラチンを笠人君から見習って豚の皮と骨をもうちょっと長く煮て清純さを少し上げ、実験のみのゼラチンが出来上がった。そして最後に、臭化銀の乳剤をゼラチンに塗り、乳剤でうろうろ浮く黄色い粉がゼラチンに定着され、写真を紙に刻む姿を構えた。
「わー、これは一昨日のゲームか。騒々しそうな雰囲気がしてる」、出来たばかりで放課後に届けてきた写真集を高橋ちゃんが見て感嘆した。
「黒い部分と白い部分はまだはっきり見れてるね。だから写真の景色は少しぼやけてる」と言った松山ちゃん。
「周りの人で数人は眼窩が真っ暗になってる。楽しいか喜ばしいか慌ただしいか分からないね」と述べた桐谷ちゃん。
「あたしの初めての現像経験やさかい。銀塩の乳剤とゼラチンをバライタに積み重ねてから雁皮に塗る代わりに、それぞれの層を紙に塗ったんや。これ以後数回練習して厚喜さんと直本先輩にもっと見習わなあかん」と応えた智埼ちゃん。
「でも、銀の光沢のお陰で、日没の時でも明るくなって見せた。こりゃ一番好きなの。一人の少年は相手の少年の衣を強く握って破っちゃった。お二人の何も構わずの表情はやばかったよ」と感想した高橋ちゃん。
写真集を全部見ていない私も見たかった。「どれどれ・・・ははっ、二人の口がぎゅっと噛んで目がぱっと開いてる。姉さん、どうやってそんな瞬間を撮れたのですか?」
倉崎さんが応えた。「ただの運でしかそれを撮らなかったでしょう。丸端君みたいな写真家さえ、一瞬で起こったことを写真機に写す為にボタンを丁度良く押す運に頼むと思います」
「そうですね。一秒だけをずらしたら完璧な瞬間を見失っちゃいますから」、高橋ちゃんが言って、トランプカードのように広げた写真集を並び直した。「雅實ちゃんから聞いて、厚喜さんは本当に倉崎さんに撮影を教えてたということですね。三年前、互いに連絡が切れる前に、彼はもう姉さんの後ろ姿を撮ってあげましたね。あの時は今日の同じ黄昏。白濱の屋上から見るとあの時を思い出してますか?」
倉崎さんが立ち上がり、富士山へ向かって沈む太陽を見て相模湾に振り返って答えた。「んー、いかにしてもあの時の最後の撮影しか思い出してません。小金井の黄色い畑に違って、ここの青い海は風を強く吹いて涼しい感じを。もうあの時を一生噛み締めようと思ったのに」
忘れるのではなく、倉崎さんがむしろ噛み締めようとしたね。降恆ちゃんがそう言った。「相模湾の風を食むまで苦悩を一人で抱え続ける訳ではないでしょう。『若原屋』に浴衣の姿で初めて立ち入った瞬間、その悩みを自白しちゃいました。草原と森は砂と海と同じ心を癒すの」
日向ちゃんが声を掛けた。「小田原は湘南の一部分です。湘南といえば海以外を考えられぬ。この屋上は八田蜜の屋上と一緒にこの町の一番高い所なので湘南の海が一番綺麗に見えます。それに、三年前の大海嘯で二つの屋上も漁師と住民に最高の避難所となったんです、倉崎さん」
深本さんが気付いた。「あっ、大海嘯は聞いたことあります。けど、沙也香ちゃんの家族のことに面倒して詳しく知ってませんでした」
日向ちゃんが少し頷いて言い続けた。「はい。東京までこの事件が届いたのは皮肉に小田原を全国に有名にさせてしまったんです。小田原城とか提灯祭とかもあの災いに勝たない。津波ではなく台風後の高潮による高い波の本質ですけど、上陸した時、白濱と八田蜜の地上階、海辺の家や、川辺の両側の家をさっぱり浸水させてしまい、雅實ちゃんの家と宮原家まで届き、大洪水になりました」
「チサトちゃんの家は私の家からたった一つの家並みで離れたし、写真集を持って来て海際の白濱の裏門に行ったらどれぐらいか気付いてますね、お二人。自転車に乗ったら15分ぐらい掛かりますね」と私が言った。
「うん、一つの家並みで退いたらもう2分を足すね。うちで休養中の松兼さんの自転車を日澤さんが借りて、自分の自転車を私に任せて学校に行って貰った。君と日澤さんがあんな遠くに住んでるなんてまだ洪水から逃げられなかったといって、沿岸部に高い堤防があって海からこの町を離してる為ですね」、深本さんがもっと言った。
「堤防には階段が造られて相模湾を見に人が駆け上がるのが常です。しかも、持っている広さで散歩や自転車の運転が父上に平気に許可されたんです。倉崎さんは今小田原に泊まってると、是非堤防を渡って砂浜に足踏みを付けて下さい。災害を乗り越えた地の気持ちが分かります」、日向ちゃんが頭からの思いをちっとも歪まずてっきり清々しく述べた。
「町長のお父さんがいたと言うまでもないけれど、本当に小田原がとても好きですね、日向さん」
「縁幸ちゃんは実は私達の心からの声を話す代表だからです、深本さん。幼い頃から絆を結んだ地は誰もが一生懸命大切にしない訳がありません。ただ縁幸ちゃんは私達で小田原に誰より深い絆を持ってます。あの三年前の災いでは亡くなった人、行方不明の人と怪我した人は一番増えてたし、彼女はお父さんと救命隊と一緒に人を探したり内陸への避難を命じたり病院へ連れて行ったりしてました。末っ子で当時13歳だったのに豪雨と洪水を構わず兄姉と出掛けてお父さんを手伝ってたという。お父さんの好意を得る為だと皆が初めに思ったけど、被害者への慰霊碑に刻んだ言葉を縁幸ちゃんが思い付いたことによって小田原への愛を告白したと気が変わったのです」、高橋ちゃんが説明した。
「河口の南側に置いたわね、あの慰霊碑は。八田蜜からもうちょっと東北に行って河口の砂州へ向かったらあれに会える」、綾瀬ちゃんが言って高橋ちゃんが頷いた。「弔慰の言葉は日向君がまず半紙に書き、石工さん達に適切な岩を探し表面を磨き日向君の筆跡に従って彫って貰ったということです。勿論、邦典おじさんに確認されて初めて彫りました」
「大海嘯を乗り越えた小田原人にとって9月10日の夜の出来事なんて大変なことではないと考えてます。自分を鍛える試練だけです」
倉崎さんが再び座って応えた。「そうですね、日向さん。天災に限っては誰もが辛抱しなければなりません、どうしても。どうりで君達の夏祭りは砂浜ではなく遠くの草原で開催しました。だが、大海嘯だけじゃないでしょう。日本の祭は砂浜で滅多に開かれませんから」
私が頷いた。「そういうことです。湘南には広くて坂が緩やかで砂が細かい浜辺があって日本の珍しいものですが。沖縄は皆の視野を広がらせてあげました、熱帯国らしく長い浜辺、黄色い砂や真っ青な海を持って。ただ、素晴らしい特質を持ったら必ずしも素晴らしい祭を開くとは限りません。津波じゃないと突然の台風。台風じゃないと潮。潮じゃないと、皆の海水浴と漁師の出航。天気が想定出来なくて雰囲気が元々に賑やかな海は準備時間が大変掛かるある祭に似合ってないからです」
「白濱中学校が1メートルぐらいの基礎で立ったのはその為ですか。八田蜜に着いてないけど、同じ基礎上に建てられましたね。海の予測不可能性を理解したので基礎をわざと追加したみたい」、倉崎さんが両学校の建築の独特さに気付いた。
長谷川ちゃんが声を掛けた。「はい。八田蜜は17年前落成され、白濱はそれから三年後。屋上ありの三階建てや一間高い基礎。こんな建物は田舎どころか都会でも何の為に使えば馬鹿馬鹿しいのではないかと皆がよく思ってたんです。あのとんでもないことがあって新聞に載せた時、皆は二つの学校がこういう風に建てられた理由が分かりましたよ」
松本ちゃんも話す出番を取った。「高い基礎は地にも深く刺さるのじゃ。しかもコンクリートの外観をもって水の壁に耐えられたわ」
「一周を見た時、この学校は校庭から屋上まで普通の和洋折衷ではなく、別に幾何学的で戦艦らしい建築を持ってるはずです。貴方達の制服も時代を先取りしましたね。海軍の船乗りをもとに女子学生の服装に改変して可愛い姿になりましたよ」、深本さんが応えた。
「海際なんで海っぽく着ます。実は落成から最初の五年間で校長先生は袴姿の規則を下してたけど、清朝との戦争の勝利の影響を受けて船乗りの衣に交代して『国家の誇り』を女子達に出来る限り送るようにするのです。一方、八田蜜の男達は常例の学ランの格好で授業を受けます。船乗り服は私達をもっと美しくしてます、本当に。運動したり喧嘩したりする時も綺麗ですわ」、降恆ちゃんが制服に触りながら説明した。
「家庭科の出雲紀子先生のお陰や。船乗りのズボンを折り目が次々と並ぶスカートに変えただけで流行りになったんやもん。然し、これ全国に販売すれば国の誇りを貨物にすると言われる逆効果になる恐れがあるさかい、今まで船乗り服を制服にしたのはここでしかあらしまへん」
「私物で保ったら良い。大騒ぎを起こさずに。姉さんと深本さんを迎えに行った時と同じ。どうせ皆も長い間に楽しみにしてますから」
「そうかな、雅實ちゃん。女は女を迎える場合だけだ。男は女、特にこの二人の美女を迎えたら?狂おしいほど興奮しないとは可笑しいよ。純彦君達がまだ来てないでしょう」と言った高橋ちゃん。
長谷川ちゃんが早速反駁した。「ったく、筒美ちゃん。彼らは女の匂いを願って美しい女を見ると獣になっちまうほどなそんな男じゃないよ。私達を毎日見ててまだ足りてないと思う?本当にそんな奴だったら、お二人が裏門に近付いた時囲い込んだんだ」
私が賛成した。「その通り。多分何かを準備してってる。また新しい奴を思い付いたのは彼らの長所だから。私達も絶対負けない」
「あらっ、いつもの熱血。準備するといえば、もしかして海でやるつもりか、彼奴らは?」と言い加えた長谷川ちゃん。
「私もそう思ってる。倉崎姉さんと深本さんが小田原に旅行したのを機に、日向ちゃんの言う通り堤防を越えて砂浜に突入しようとする。天気が荒れない日々では海は夜に静かだ。焚き火をしたら最高」
「まだやわ、ムラマサちゃん。海は音楽を欠かせへんで。海で遊んだり砂浜に座ったりすると波を聞いて雑談を話すだけは詰まらへん。楽器を持って来たら?」と声を掛けた智埼ちゃん。
私が同意した。「うん、ええやん。互いに歌ったり弾き語りしたりしたら焚き火の雰囲気に似合うよ。今日の空に雲も少ない為、夜になったと星が沢山見れる。月も空に明るく見えるよ」
「んー、満月から四日ですね、確か」と深本さんが言って、懐中時計を見た。「月が出るのはあと一時間半かもしれません。なんとか必要な器具を用意して貴方達の男の親友に合流しましょう。あっ、思い付いた。沙也香ちゃんに貴方達の制服を着て貰えますか?」
手叩きに伴う深本さんの思い付きは私達の心を読んだ気がして興奮させた。「グッドアイデア。倉崎姉さんにとって私達の船乗り服装を体験する大切な機会ですから。笠人君の料理屋台の仲間達を惚れさせちまいますよ、一瞬」
倉崎さんが立ち上がって私の耳を抓った。「これを冗談にしたら駄目でしょう・・・あたしは四年間も教室の雰囲気を味わってませんでした。袴の代わりに独特な制服を着たら懐かしい頃を思い出せるかどうか・・・」
「思い出すのは無理矢理だと思います。全然新しい制服を着たら新しい思い出しか作りません。でもこれを着るときっと降臨の女神に違いませんよ」と私が言って励ましていた。
「じゃあ僕は一階目の倉庫に予備の制服を探す。チサトちゃん達は楽器を準備してね」と求めた降恆ちゃん。
「分かった。純彦君はまだ電話を掛けとらへん。多分彼らの意図を自分で予測して欲しくて堤防に集まって初めて連絡を始めるのや。海ならば琵琶を持ってって見せる」、智埼ちゃんが少し驚きの熱心で反応した。
私がかなり笑った。「ひっ、また琵琶って何やん。海に弾き語りして弁財天様を真似るつもり?そんな姿のあんたを何回も見てたよ。何度も笑って堪らへんわ」
松山ちゃんも言い加えた。「もう桃色の襷を着けたら皆に音楽で禄を与える資格を取るらしいの。あんたの歌声も最初から上手いし」
「だから、チサトちゃんだけじゃなく、君達は誰もが弁財天様を真似しないで。お腹痛いもん。自ずと歌っていれば良い。私もナギ君の贈ったギターを持って行く。あれは物理部の部屋に。半年間のギターを習う努力はどうだったのか試してみたい」
さっさと私達が屋上を降り、7時まで学校に居残っていた。琵琶、三味線、バイオリン、ギターの弦を調べたまに弾く曲を略に練習して初めて肩に担ぐ。ギターは必然的に倉崎さんと深本さんの注目を浴びてきた。澁薙君は純彦君とアメリカ西部旅行でユタ州の砂漠で沿道の店から買って私と智埼ちゃんに贈ってくれた。そう、四つ買った。智埼ちゃんが早速駐車場から自転車を引き出し白濱を一旦と出て行き自分の部屋で置いたギターを取ってくる。智埼ちゃんのペダルを漕ぐ力が凄いからあまり長く待たなくて良い。予備の制服は残念ながら結構長い間に収納されていた為、埃と汚れに大変掛かって洗濯や乾燥の時間の問題になった。降恆ちゃんが倉崎さんと制服と浴衣を交換することに。やはり降恆ちゃんのサイズは倉崎さんにぴったり合っている。放課の時も前から終わった為、私達が元結と簪を解き、川みたいに長い髪をすっきり下ろし、海風に目に吹かれないように背中に全体を梳かした。
自転車と共に正門を出掛ける時、案の定純彦君が私の電話を絡んだ。「お前ら遅いよ。何をやってんだ?」
私が電話に出て反応した。「チサトちゃんを待ってるから。こっちも楽器を一杯持ってってる。君達は何処に集合するの?」
「『ひいらぎ』旅館を覚える?あそこは酒匂の河口と繋ぎ、そして俺達のいた場所を河口と繋いだら直角になるぞ」、集合の場所に純彦君が糸口しか教えなかった。ったく、数学系の親友がいた以上はいつも曖昧な答えを受けて自分の頭でその答えを解かざるを得ない。
私が少し笑って返事した。「こらっ、地図を広げる暇じゃないよ。これから私達の自転車を堤防上に漕ぐの」
「あっ。でも河口を渡って初めてそうやって良い。お前らへの一番の糸口だぞ。じゃあ布を敷いて食物を用意するから、早く来な」
「うん。じゃあ切るよ」、短い連絡を私が終えた。海岸道路や向こう側の2メートル高くて4メートル広い堤防が目の前。堤防の階段も真っ直ぐの前にあり、白濱の学生が正門を出て道路を渡ったと駆け上がり海風で心を癒す。海岸に沿って行くと、50メートルおきにまたの階段があることで、住民は海から離脱される感じがなくなったものだ。
電話がまた鳴った。それは智埼ちゃんの声だ。「ムラマサちゃん、皆を早く慰霊碑に乗らせて。あたし慰霊碑で止まっとるで」
「よし、承知しとるよ。少し楽器を整えてあんたの所へ行く」、私が応えた。智埼ちゃんがギターを背負っているはず。好物なフルートもあのギターの鞄に入れたね。自転車のペダルを『準備済み状態』に調整する前に、後ろに座る倉崎さんに私がギターの鞄を渡して背負って貰い、自分が日常の肩掛け鞄を。深本さんは一方降恆ちゃんの後ろに。日向ちゃん、物理部、化学部、降恆ちゃんの『元手下』はもう自転車に安定したら、「位置に付いて。よーい、走れ」と私が発令し、皆で小さな自転車の競いをやってこのちょっと寂れた道路に騒ぎを起こしていた。
蘆巳橋を渡った時、橙色の屋根や要塞みたいな屋上がある八田蜜中学校が倉崎さんと深本さんに見られた。少年祭の頃あの屋上から打ち上げた花火は大砲から空中へ放たれるのとまるで同じだった。しばらく慰霊碑の公園に着き、入口で待っている智埼ちゃんに合流した。純彦君達は確かに八田蜜から出て行き、学校の辺りに近くの砂浜を決めて早速降り、焚き火の道具を予め配置した。降りる階段は5メートルもだからさ、煙はこの階段を越えて見えることがないでしょう。警察にばれたら困るんだ、どんな深く知り合っても。
智埼ちゃんに合流してから堤防に上がって自転車を漕ぎ続けた。5メートルの高さからやがてある人の集まりが小さく見られた。10月の下旬に近いこの時には15度以下の海に誰もが飛び込む訳がないから、むしろ砂浜上に薪を焚いて無邪気なことを喋りっぱなしが激しい海風にしか勝たない。電柱が照明し始めた時は海に出るなんて可笑しい人でしかいない。本当に、可笑しい人の方は私達と純彦君達だけじゃ。坊主頭の木下君と橘君がまず目に留まった。四本の柱に結ぶ紐で繋がった電球の明かりで、二人共がなんとか踊っていた。次々と、手を叩き続ける純彦君、三味線を弾く澁薙君、いざり車に座ったままの笠人君。最後は火を起こす吉岡君、残りの薪で布を固定する廣瀬君、焼き物を金網に置く池澤君だ。
「よっしょい、よっしょい。舞妓様、儂のおねだりの踊りにお応えよ。こん猫、貴方のことを好んでいますよ」
「親方の猫、親方本人であらず。幾十のお客様もあたしの踊りをお待ち。泣きより、笑いへと、あたしの暮らし」
「如何にせよ、儂の腕、貴方の心を伏せざる物だ。猫になり、犬と競い、雀の鳴き声を真似ます」




