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混乱※R15です。不快、暴力的な表現が続きます。苦手な方はお控え下さい。

 

 

 ザイラが呼吸する度に、あの甘い香りが肺へ入り込み。すこの部屋には春の楽園が染み付いてるようだ。

 

 ギョロギョロと動く紫色の瞳に、白金の髪——ザイラの記憶の片隅にあった人物が、物凄いスピードで脳内に思い起こされた。

 

 

 〝この男よ〟とザイラが現れ、指を差して言っているような気がした。

 〝思い出せない?〟

 

 思い出したく無い——

 夏帆はそう答えた。


 ザイラがこじ開けようとすると、夏帆は拒否した。またはその逆なのかもしれない。ザイラと夏帆の魂は既に複雑に絡み合っている。

 だが、思い出したく無かった。

 あの悍ましい夜を。

 

 

 コリン——コリン・ディオン。 


あの日ローリーの屋敷に潜り込んだ、悍ましい獣だ。

 

 美しかったであろう顔面は頬がこけ、紫のアメジストの瞳の下には黒々としたクマがあり、明らかに何かの影響を受けている顔貌だった。何か、とは、既に匂いや様子ですぐに分かる。

 

 

「驚いた?忘れた訳ではないよね?」

 

 コリンは笑みを浮かべて、ザイラに尋ねる。

 

 呼吸さえ難しい程ザイラの体は凍りつき、震えていた。

 

「手荒な真似をしてすまなかった。でもこうする他に会う機会は中々作れなくて。

 アイヴァンは屋敷に戻ってないだろう?噂が広がらない様にしてるみたいだが、皆知ってるさ。なんせあの看護婦の女が自分で騒いでるんだから。あいつも女を見る目が無い。呆れたよ。

 学生の頃はアレシアに夢中だったくせに、今じゃあんな三下の女に振り回されて……」

 

 ザイラはコリンの様子をよく観察する。

 落ち着きが無く、いつも体の何処かを動かしている。薬物の影響だと思わずにいられない。

 

 まともに話が通じるとは思えなかった。

 

「だが君も楽しく遊んでるようじゃないか?ここへ来る前もどこかの紳士と戯れてたとか……。

 まさかあんなに醜くかった妹が、こんなに美しく花開くとは!王国一の美女の妹として、素質はあったわけだ。野蛮な血はどうかと思ってたけど、僕は見る目があったね」


 そう言ってコリンはザイラの顔を片手で鷲掴みにする。あの晩と同じように、ザイラは固まり、声も出ない。

 

「王国一の美女か。フォーサイスのクソ野郎が邪魔しなければ、今頃彼女は僕の手の中だったのに」

 

 ザイラの顔を掴む手に力が込められる。

 コリンの爪が、ザイラの皮膚に食い込んだ。

 

「一度のみならず二度も失敗して…!

 しかも、ファーサイスの囲い様といったら!全くあんな男の何が良いんだか……」

 

 お前を選ぶよりも100倍良い……!とザイラはコリンを睨んだ。

 

「ねぇ、アイヴァンは、僕と君の秘密を知ってるの?

 知らないままあの三下で鍛えた手管で手解きをしてくれた?いや言える訳ないな。貴族で傷者だったら結婚出来るはずがない。どうやって誤魔化した?

 アイヴァンを上手く騙せた?あいつは気付かないだろうね、元から遊び方も下手な堅物だから。

 だから今まで君も大人しくしてたんでしょ?もし君が誰かに言ったら、と心配したこともあったけどやはり君は賢明だった」

 

 ペラペラとよく喋る……興奮してるのだろう、とザイラは男をきつく睨む。いや、正気じゃ無い、と言う方が、今のコリンにはしっくりきた。

 

「せっかく運良く結婚出来たのに相手にされない妻なんて……。アイヴァンも器用じゃないね。そもそも君に食指は動かないか。アレシアには似ていないからね。あの堅物の頭の中は愛人愛人愛人でいっぱいだ。心配要らないよ。

 僕たち二人の秘密を知るのは、最早君と僕だけだ」

 

 うっとりするようなコリンの目が、ザイラの顔や体を舐める様に見つめる。

 

 内通者は処分した、と言っているのがザイラにも分かった。

 

「君も、この秘密が広がるのは望まないよね?あれだけ嫌がって泣いてたもんね。僕も嫌だったよ。醜く野蛮な女を相手にするのは。でも口止めは必要だったし、嫌がられるのも存外悪いもんじゃなかった。今日、僕はお願いがあって君をここに招待したんだ」

 

 ザイラが夢で言ってた通りだ……——

 あらゆる感情を飛び越えて、こんな状況で頭は段々と冷静になって来ていた。

 

「フェルゲインとローリーの内情を僕に流して欲しいんだ。しっかりとね。何を考えて何をしようとしてるか……それだけ小まめに教えてくれたら良い。僕とお茶をしたり……」

 コリンはもう片方の手で、ザイラの首をねっとりと撫でる。不快感と強烈な拒否感に、ゾワリと鳥肌が立った。

 

 そうだ、お茶……と言ってコリンはぱっとザイラから手を離す。サイドテーブルに向かうとティーカップに紅茶を注いだ。その動作さえ、ザイラには不気味で吐き気を覚える。


 カップの上に無数の小さな穴が空いたヘラのようなものを置くと、橋のようにカップに掛けた。そしてその上に角砂糖を置く。

 ジャケットから、あのピンク色の液体を取り出すと、角砂糖の上に3、4滴を滴り落とした。

 そしてライターの火を灯して、砂糖に引火させる。 砂糖は妖しい緑の炎をあげて溶け、紅茶の中へ滴り落ちた。

 

 ここまで春の楽園が蔓延してるとは……ザイラは余りの光景に顔を歪める。コリンは、その楽しみ方をよく知っている様子だった。

 

 砂糖全てが溶け落ちると、コリンは金のスプーンでそれをよく混ぜた。

 甘い香りを放ちながら、そのティーカップはザイラの元へ運ばれる。

 

「楽しみ方もいろいろでしょ?」

 そう言ってコリンはザイラの隣に腰掛けた。


「あっ、そうだ。君のことはまだ警察にも届けられてないよ。アイヴァンが止めてるんだ」

 

 それを聞いたザイラの胸は、焼ける様に痛んだ。

 そんなはずはない、という声とやっぱりね、と諦めの声とが交互に聞こえる。やはりアイヴァンは、これを好機とみんしてザイラを切り捨てることにしたようだ。

 

 そして、コリンはザイラの反応を楽しんでいた。


「僕にもその方が好都合なんだ。君は帰ったら夫が酷い仕打ちをするから家出したとか言っとけば良い、もしくは君の愛人とか恋人と出掛けたとかね。適当に。 アイヴァンに操立てする必要は無いんだから、君も好きなようにしたら良いんだよ。愛人との子供が産まれたら、余計あの堅物は君を邪魔に思うよ。人生一度きりさ、楽しまないと」

 

 秘密を盾に脅してる男がよく言う……ザイラはゴミを見るような目で、軽蔑の視線をコリンへ送る。

 

 ああ、この男に間違いない。

 確かに、この男だ。

 

 あの夜居た男は、こんな男だろう。


 

「ここはどこですか……」

 

 ザイラは声を絞り出してそう尋ねた。


「ここ?ここはキャバレーを兼ねた娼館だよ。音がしない?」

 

 確かに、先ほどから規則的なリズムの音楽がほんのり微かに聞こえてくる。

 

「偽名で僕がやってるんだ。最近は君のようなエルメレの子も数人入った。ダンスも良いけど、ベットの評判も良いよ。物珍しくて」

 

 キャバレーの3階……——

 

 逃げる

 死にたく無い——

 逃げる?


ほんの一瞬の間に、ザイラの生存本能があらゆる道を模索した。

 


 だが…

「あの男を殺して!!!」

 ザイラの声は、確かに耳に焼き付いているのだ。

 

 

「君も僕を楽しませてくれる?」

 

 コリンはそう言って、甘い香りを纏いながら、唐突にザイラの首筋に唇と舌を這わせ始める。

 

 ザイラが思い切りコリンを押し除けると、勢いでティーカップが床に落ちて割れた。


「楽しんだ記憶も楽しませる予定もありません。あなたは私を殺そうとしたでしょ?」

 

 するとディオンは馬鹿にするように鼻で笑った。


「あの程度で殺す?君は確かに意識を失ってたが。

 ああいう交わり方もあるけどアイヴァンは……ああ、そうか、君の夫は君に触れることさえしないから、知らない訳だ」

 

 ザイラの声は確かに夏帆の耳に焼き付いている。恐らく死ぬまで忘れられない。

 

 

「君は、僕を死ぬまで忘れられないよ。きっと、誰と体を重ねても、誰と恋仲になっても、最初に思い出すのは僕だ」

 

 コリンはそう言って手を伸ばし、ザイラの首を絞める。

 

 〝この男を殺して!〟

 それはザイラの願いだ。

 

 正しく、同感だった。

 

 

 

「くっ……確かにそうだっ、その通りだ」

 ザイラはコリンを見つめながら、息苦しそうにそう言った。首に掛かったコリンの手を、ザイラがぎゅっと掴む。


 何を言っているのか、とコリンは困惑している様だった。コリンの手の力が、自然と緩む。途端に酸素が大量にザイラの肺に入り込み、ザイラは思い切り息を吸った。

 

「……お前のような男は、確かに死ぬべきだ。私もそう思う。お前は死んだほうがいい」

 

 ザイラは素早く床に飛び散ったティーカップの破片をその手に掴む。

 

 動物の急所は知っている。

 人間もそれほどの違いは無い。

 

 ローリー領で散々やってきた。

 首、脇、脇腹、太腿。

 一番苦しむ場所は何処だろう?一番苦しみ場所を狙いたかった。

 

 選んでる暇は残念ながら無い。

 ザイラはコリンの首から顔にかけて、思い切り破片を食い込ませ、そのまま先を滑らせる。

 

 思いの外血飛沫は出ない。けれどコリンから溢れ出した血を見ると、ザイラは鮮明になる視界で全ての動きが遅く見えた。

 ソファの上で仰け反るコリンをザイラは足で蹴り、後ろに押し倒す。そのままコリンの体の真ん中を、迷い無く靴で思い切り踏み潰した。

 

 躊躇は無かった。

 本当に潰すつもりだった。

 

 二度と邪悪な欲望が生まれないために。

 

 首元を押さえて、ディオンは悲鳴にならない悲鳴を上げた後、絶叫の声を上げた。

 

 ザイラは扉が開くと予想して、すばやく扉の後へ体を滑らせる。案の定開いた扉から、屈強な肉体の男が2人入ってきたが、姿勢を低くし素早く男たちの背後に回り、ザイラは部屋の外へ飛び出した。

 コリンは声にならない声で叫び続けている。

 

 ザイラは記憶通り、すぐに突き当たりの階段を駆け降りた。キャバレーから騒がしい話し声と音楽、色っぽい歌声が館に響いている。まだ、夜も来ていないというのに——

 

 段々と近づく喧騒へ向けて全速力でザイラは足を駆ける。3度目の踊り場で、ザイラは何者かに強く腕を掴まれたが、振り向き様に掴んだ強面の男の手首を切り付けた。

 

 すると男は一瞬痛みに怯んだが、すぐにザイラの頭に衝撃が走る。ザイラは衝撃の勢いで、そのまま階段を転げ落ちた。男の反対の手で殴られたのだ。

 

 上も下も分からない程ザイラが転げ落ちた先は、踊り子が舞う壇上と客席の間だった。

 汗と化粧の匂いが立ち込めて、そこかしこが赤い。 露出の多い服を着た女が10人以上、驚きに口を開け、そこら中にピンクや白い羽根が舞っていた。

 ザイラの頭が割れそうに痛いが、それを増長するように人々の悲鳴が響き渡っている。

 

 なんとか階段を下り切った……

 ザイラはすぐに立ちあがろうと腕に力を入れて上半身を起こすが、後ろからドンと押し倒された。

 怒り狂う強面の男はザイラを仰向けにすると、馬乗りになって血みどろの手で2、3発ザイラを殴りつける。

 

 殺すな!という言葉が微かに聞こえるが、ザイラは猛烈な痛みと衝撃になす術が無い。


 そして何故か銃声が2発、かなり近い距離で響いた。

 

 銃か……ドゥガルを思い出すな……——

 そんな状況でも頭は何故か冴えていた。


 殴られるまま左右にザイラの首が振れた先に、

 赤い衣装を纏った随分威勢の良い女が、コリンの息のかかったであろう巨体の男を相手に応戦しているのが横目に見えた。見えた、というよりザイラは血みどろの目の間で確かめた。

 嘘だ——というように必死に目を見開いて。

 

 体に力が入らない。ザイラの視界はボヤけて、耳にはくぐもった悲鳴や怒声が響いている。


 男はそれでも血塗れの手でザイラの髪の毛を引っ張り上げ立たせようとする。ザイラは痛みに髪の毛を押さえ、それでもなんとか逃げようとした。

 

 すると、そのまま腹を殴られて近くの机に吹っ飛んだ。立派な机の淵がザイラの鳩尾に食い込むと、ザイラにも骨が折れた感覚が伝わる。

 

 全てがゆっくりに見えた。

 

 逃げ惑う人々の足音

 悲鳴怒号 

 ガラスが割れる音

 

 机の下に崩れ落ちたザイラを、強面の男はもう一度髪の毛を掴んで引っ張り上げる。

 

 もうダメかもしれない

 死ぬのかな

 死にたく無い

 それならせめて、コリンも道連れになるといい


 ザイラの籠った耳に、先程よりもかなり多くの銃声が聞こえた。


 赤やピンク、白い羽毛が舞う館の中に、更なる怒号と銃声、悲鳴が段々とこちらへ近づいてくる。

 微かに見える視界の隅に、見知った体格の男を見た気がした。

 けれど、もうそれが誰であるかもザイラには分からない。

 次の瞬間にはもう、その男はザイラの目の前に居て、強面の男は机の更に向こう側へ飛んで行ったようだった。

 

 ザイラの髪の毛を引っ張り上げていた人間が居なくなり、ザイラは重力に従いガンと頭を床に叩きつけられる。

 すぐさま温かく大きな手が、倒れるザイラを抱き起こした。

 

 何も聞こえない

 よく見えない

 でもその瞳の色は分かる

 

 金色と灰色の、キラキラとしたその目を知っている



 

 そしてザイラは意識を手放した。



「ベルナルディ様」

 赤い衣装を纏ったエルメレの女は、レオにすぐさま駆け寄り、声を掛ける。

 

「先に行け」

 

「そのお方は私共で屋敷へ運びます」

 女はザイラをレオの腕から取り上げようとした。

 

「触るな」

 レオの顔や首、腕には血管が浮き彫りになり、目は血走っている。獣が唸るような声に、女は怯んだ。レオの異様な様子から、命令に従い、すぐに手を下げる。


「先に行って他の者と共にディオンと関係者を捕えろ」

 

「ですが……」

 女は困惑した。

 ここは指揮を執るレオに行ってもらわねば、と。

 

「ディオンは必ず生け捕りにしろと言われている。私が今向かえば、間違い無く奴を殺す」

 

 女はそう聞くと、聞き分け良く頷き、すぐさま行動に移した。

 

 レオはザイラをすっと抱き上げる。その姿は余りにも凄惨で、青いドレスの大半が、黒く染まっていた。

 レオは酷く顔を歪め、ザイラを思い切り抱きしめたい衝動に駆られるが、そうはいかない。大切に、無駄に力を入れ、壊さないようにレオはザイラを抱き直した。

 

 

 死なせるもんか

 絶対に死なせない

 

 今度は離さない

 絶対に

 

 焦る気持ちを抑え、レオは纏わり付いた呪縛から逃げるように、赤く染まった建物を後にした。

 

 

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