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哀願 ※一応のR15です。クレイグとアレシアのお話です。


 


 まだシンとした真夜中、クレイグは伏せていた長い睫毛を上げて目を覚ます。


 時計を確認すると、午前2時だった。ベッドサイドのランプを小さく点け、そっと起き上がる。

 メガネケースからメガネを取り出し、眠気がまだ残る視界を鮮明にさせ、隣で眠る天使のような美しい女性の様子を隅から隅まで、まじまじと観察した。


 安心して眠るその姿に、クレイグの胸はキュッと高鳴り、伸ばした手は起こさぬようにそっとアレシアの額に触れた。


 アレシアが見せるどの表情も、どの仕草も、クレイグに飽きる時は来ない。

 いついかなる時も、クレイグにとってアレシアは乾いた大地に降り注ぐ恵みの雨のような、例えがたい幸福感を与えてくれる。抱きしめたい衝動を抑えて、クレイグはベットサイドの小机から最新式の聴診器を取り出した。

 

 熱は無い——通常よりもやや高い体温も、アレシアの体の変化に伴って、下がり始めている。

 脈も正常、呼吸も問題なく、心臓の音は明快だ。

 

 生きてる——

 

 それを確認すると、クレイグはベットから足を下ろし、本棚の隙間に隠す様にしまってあるメモ用紙を取り出すと時刻やアレシアの様子を書き記した。

 一通り書き終わると、また同じ場所へ戻す。


 また2時間後、同じ事をする——

 

 かれこれ数週間以上、毎夜2時間毎にクレイグはこの作業を続けていた。


 最近のアレシアの微熱症状は落ち着きつつある。

 貧血症状と体重の減少が気になるので、食事には細心の注意を払うように侍女に言わないと——と明日の朝一番のクレイグの仕事は決まった。

 

 そして足音を決してベットに戻り、寝ている最愛の妻を後ろからそっと、だがしっかりと抱きしめてその髪に顔を埋める。アレシアの香りと、それを引き立てる香油の香りを思い切り吸い込みクレイグは目を閉じた。

 

 生きてる——

 

 そう確認して安堵すると、最愛の妻の香りに包まれて微睡み始める。

 クレイグはこの瞬間はまるで天国にいるように幸せで、永遠にこの時間が続けば良いと思っている。


 だが、それと同時にこの瞬間も何もかもが全てが消え去ってしまう事を、とてつも無く恐れていた。


 微熱が治り始めた——

アレシアの中で、胎児は順調に育っている——


タイムリミットが迫るかのような焦燥感が、いつまでもクレイグを昼夜問わず追い立てていた。

 

 




 


「クレイグ?」

 

 アレシアは編み物をしながら窓辺に置いたフカフカのシングルソファーに座り、陽光を浴びながら編み物をしていた。

 

 真っ白な肌は陽光に反射し、金色の髪はキラキラと輝いて黄金色となる。天使と言われても疑わないその美貌の持ち主は、夫が部屋に入ってきた事に気付くと顔をドアの方へ向ける。


 ただその輝きに反してアレシアの顔はやつれ、顔色も血の気がない。

 

 それでも、極上の微笑みを浮かべながら、アレシアは夫の名を呼んだ。

 

 

 

「……アリー」

 

 クレイグは片手をソファの背もたれに乗せ、後ろから覗き込むようにアレシアを見た。

 アレシアは先程までの微笑みを曇らせ、編み物の手を止めると毛糸を足元の籠に入れる。


 スッと白く美しい手を伸ばすと、クレイグの頬に添えた。

 

「あぁ、クレイグ……顔色が悪いわ。お願いよ、ちゃんと食べて」

 

「君が食べれないなら、僕も食べない」

 

 アレシアの悪阻は重かった。三度目にして一番と言っていい。

 お腹の中の胎児が貪欲にアレシアの全てを吸い取っていると思うと、クレイグは口には出さないが忌々しささえ覚えた。

 

 それを言えば、アレシアが悲しむとクレイグは知っている。アレシアを悲しませたくはない。

 だが、今のアレシアを見ると、クレイグはその身が裂けるほどに苦しみを覚える。どこが苦しいのか、その苦しみには実体が無い。なのに体が引き裂かれる感触がするのだ。

 アレシアに出会ってから、クレイグは初めてこの感触を経験した。アレシアが居れば、自分は天国に居るように幸福なのに、時折地獄の炎に焼かれるような時がやってくる。

 


「お願いよ。あなたまで何かあったら、ジャスミンとオーロラはどうなるの……さっきもパパに会いたいって言ってたの。不安がってるのよ」

 

 幾つか向こうの部屋から、子供達のはしゃぐ声がするのにクレイグも気付いた。

 アレシアもすぐにその声に反応する。口元には、麗しい母の微笑みを浮かべて——


「レイモンドがよく遊んでくれてるわ。本当によく構ってくれて。私がこんなだから……。さっきはレイモンドにドレスを着てってオーロラがせがんで大変だったの」


 ふふっとアレシアは楽しそうな笑みを溢す。


 レイモンドがよく子供達の相手をするのはクレイグも知っていた。子供達もレイモンドが大層気に入っている。


 あれは子供や動物に良く好かれる——

 ああいう人間が、いわゆる善人と呼ばれる部類に入るのだろう。

 だが自分は同じを血を分けた兄弟なのに、情というものは欠けていて、恐らく殆ど持ち合わせて無い——



 アレシアは、子供を産んでも最初は乳母を頼らずに自分で育てたがった。


 全てを自分でしようとした——


 クレイグも止めなかった。アレシアが望んだから。

 むしろ手伝える事は全て手伝い、出来る事は全てした。

 

 それは間違いだったと、2人目の出産時に耐え難い後悔と共にクレイグは痛感する事になった。


 体が充分に回復出来てなかったのだ。

 それしか考えられない——

 

 起こりうる全てを考えて対処した。自分だけでは無く、優秀と呼ばれる医者全てと会って当日を迎えた——

 

 なのに——

あれだけ楽しみにしていた時間は真っ赤に染まり、青白い顔で力無く横たわる最愛の人と、母を求めて泣く赤子の声が、嫌でもクレイグの脳裏に焼きついた。

 

 その光景を前に、頭が真っ白になった。

 

 アレシアを失うかもしれない

 消えてしまうかもしれない

 命の灯が消えるその恐怖と喪失感は、生きている事さえ放棄したくなるほどの苦しみをクレイグ味わせた。

 

 もう2度と、決して味わいたくない——

 

 

 自分が能力を失う手術をしようと最初は決めていたが、アレシアはそれを激しく拒否した。

 

 何度も、何度も話し合い、平行線を辿りながらようやく納得のいく対策を取れるようになったのに……

 最愛の人は、どうやら自分が愛する気持ちを逆手に取って、嘘をついたらしい。

 決して、笑えない嘘を——


けれど、騙したのかとクレイグはアレシアに言える訳も無い。

 

 

 クレイグは頬に添えられたアレシアの手に自らの手を重ね、目を閉じるとその掌に自らの唇を寄せる。

 

「アリー……どうか、お願いだ……」

 考え直して欲しい、そう言うだけなのに、クレイグには続きが言えない。お腹の中の命は確実に大きくなっている。大きくなればなるほど、選択肢は狭まりリスクも大きくなる。

 

 

「クレイグ、私があなたをどれだけ愛してるか、知ってる?」


 アレシアはずるい——

 けれど、クレイグにはそれすらも狂おしいほどの愛おしさを覚える。

 

 

「アリー……愛してるなら、どうか僕の願いを聞いて。君が居なかったら僕は、生きていけない……」

 

 クレイグはアレシアの手を縋る様に握りしめる。

 二人の重なった手が、クレイグの頬から零れ落ちた水滴と触れた。


「泣かないで。もうワガママはこれで最後にするわ。本当よ、信じてくれないかもしれないけど……私はあなたを騙した。あなたを悲しませた……。

 でも、私、今凄く幸せなの。あなたの子がもう1人、お腹にいることが、嬉しくて堪らないの」

 

 アレシアはクレイグの涙を見て胸が張り裂けそうになる。だがそれと同時に、クレイグの子をもう一度宿した喜びは、何にも変え難かった。

 

 その不釣り合いの悲しみと喜びが、2人の愛を裂く不安はアレシアには無い。

 

「私は居なくならないわ。あなたと子供達を残して、決して居なくならない。ずっとここに居る。

 あなたと一緒に。

 それに何かあったら、あなたは必ず私を連れ戻してくれるでしょ?それが天界でもね」

 

 アレシアはずるい——


 クレイグが必ずなんとかすると知っている。

 

 堪らずクレイグはアレシアを包み込むように抱きしめた。

 

 



 必ず、必ずなんとかする。

 決してどこへも行かせない——

 

 アレシアもそれに応えるように、細い腕でしっかりと愛する人を抱きしめた。

 

 

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