理由
コツ……コツ……と響く時計の音。
人払いされた食卓で、ザイラは気まずげにフォークで白身魚をつつく。この時計の音がやけに大きく響く沈黙にも慣れたものだ。
アイヴァンと夕食を共に、と連絡があってすぐにアイヴァンは屋敷に戻ってきた。
アンナは急いでザイラを磨き上げる。屋敷の主人の方がまるで訪問客の様だ。
アイヴァンが戻って尚その口から舞踏会の件も、ミア嬢の件も、何も切り出されはしなかった。アイヴァンが口にしない以上、ザイラは何も言葉に出すことは出来ない。
一体どこで寝起きしているのか、それさえ、尋ねるのは不粋だ。ザイラとアイヴァンの間に、不毛な時間だけが流れていく。
それでも、いつもより気持ちが軽く感じて食も若干進むのは、食卓に飾られた花達のお陰かもしれない——とザイラは食卓に飾られた花を眺めた。
とてもではないが部屋だけには飾りきれず、屋敷の様々な場所に花を生けた花瓶を飾った。
今この屋敷の中だけは、特別華やかな楽園のようだ。
「……随分花が多いな」
ザイラの視線に気付いたアイヴァンが、ポツリとそう呟いた。
「かの国の方達からの謝意だそうです。使用人達も屋敷が華やかで機嫌が良いですよ」
ザイラがそう言うと、アイヴァンはザイラをじっと見つめる。
「皇子も大事無かったと聞きました。スチュアート侯爵も……ザザに感謝していると……今度夜会に誘いたいと仰ってました」
ザイラのフォークを持った手が止まる。
どうやらまだスチュアート侯爵夫妻の首は体に繋がってるようで安心した。だがスチュアート侯爵家の夜会に行く事になれば、それは勿論夫婦同伴となる。
それは遠慮したいと、ザイラは少し苦笑いを浮かべて視線を落とした。
「……恐れ多くも、お気持ちだけで。大した事はしておりませんし」
ザイラがそう言うと、アイヴァンは手にしていた食器を皿の上に置く。
「あの日は……すまなかった」
アイヴァンの言葉に、ザイラはハッと顔を上げた。
まさかアイヴァンがそんな言葉を言うとは、全く予想していなかった。
だが、アイヴァンは自分から食事に誘える位には傲慢では無い様だったし、見た目からして冷たい印象を抱くが、冷酷でもないのかもしれない。
なぜかザイラの胸がギュッと締まり、奥がジレジレと焼けて痛みが走った。
どう答えるべきだろう——
この未来も可能性も無い関係で——
ザイラがミア嬢へ吐いた言葉を聞いて、アイヴァンから何様だと怒られるかも、とさえザイラは思っていた。けれども今の彼の目に怒りは見えない。ただその血の気の無い彫刻のような顔は、気まずそうに眉を下げて、ザイラの様子を窺っている。
「……アイヴァン様は」
ザイラが口を開くと、アイヴァンはピクッとその目を動かした。
「アイヴァン様は、なぜ私達が結婚したのか、理由をご存知ですか?」
私とあなたの共通点は一つ——
この結婚を微塵も望んでなかったこと——
すまなかったの返事は出来ない。何に対して、なのかお互いきっと、分かるように明確には答えられないから——
アイヴァンは今得体の知れない罪悪感を抱いているのだろう。表面上でも、妻のザイラに謝罪すれば、その罪悪感は少しでも拭えるかもしれない。
それと同時に、ザイラはアイヴァンの罪悪感につけ込んでこの質問をしている。
自分の狡猾さは自分でもよく分かってるつもりだ。だが、1番事情を知ってて今の現実に誰よりも反抗したであろう人は今目の前にいるのだ。
アイヴァンは少し大きなため息を吐き、ザイラを見た。
「父は……フェルゲイン侯爵は、海に出たいんだ」
アイヴァンは、言葉を選びながら、どこか遠くを見るように無機質にそう言った。
「海?」
フェルゲイン侯爵領は特殊な土地だ。名目上は北の国境沿いに沿って広大な領地を持ち、石炭や鉄鉱石を多く産出する鉱山も持っている。しかも流通権も代々独占しているので、エネルギーにおいて国の命綱を握ってるといっても大袈裟ではないかもしれない。
「フェルゲイン領では豊富な資源を利用して製鉄業も盛んだが、国内ならまだしも輸出には手間が掛かる。
今も昔も、それは北の氏族達が担っているから」
北の氏族……北の国境沿いのフィヨルドから海までを牛耳り、王国に一応は属してはいるが、氏族達は自分達で築いた独自の社会の中で代々諸外国と交易を行っている豪族達だ。特殊な地形から、造船技術にも長けていると聞く。
「……諸外国へ輸出しようとしても、より多くを効率的に運ぶには、王国が所有する海沿いの港か、ディオン公爵家が所有する港を利用する必要がある。
フェルゲイン侯爵家が自分達だけで貿易を行いたいと思うなら、港までの距離に鉄道を新たに敷く必要が出てくる。その間に、いくつか大小の領地があるが、その中で、1番多くの距離を占めるのはローリー領だ」
既にローリー領には汽車が走っているが、フェルゲイン領までは直通の汽車はない。それをまた新たな鉄道を敷くとはなんとも壮大な構想だ……本当に実現が可能かのか……とザイラはごくりと息を呑んだ。
「例え、港まで鉄道を通せなくても、ローリー領まで来れれば他の代替手段が取れる。
それに加えて、……ローリー領にも最近新たに鉱山が見つかったのは知っていますか?」
そんな話は聞いたことがなかった。首を横に振ると、アイヴァンは一瞬バツの悪い顔をして目を逸らした。
「ローリー領には鉱山採掘のノウハウが必要なる。インフラも発展すれば領地も栄える。加えてローリー領は広大な森林を有しているので、木炭を利用すれば製鉄業も可能となる」
なるほど……未来の可能性を大いに秘めた、素晴らしい政略結婚だ。
アイヴァンとアレシアがストーリー通りに結ばれたのはこういう背景があったからか——
とザイラは妙に腑に落ちた。
ハッピーエンドなのは、両家にも大きな利益があったからだ。だから、邪魔も少なかっただろう。
「そうだったんですね……」
一度、フィニアスに手紙を書いてもいいかもしれないとザイラは内心思った。アイヴァンの言う事を信じて無いわではないが、そのまま鵜呑みにするのもまだ早い。
それに……
ザイラはアイヴァンを見た。
アイヴァンは目を伏せ、何を考えているかは分からない。だが侯爵家の大き過ぎる野望を背負わされてここに居るのは明らかだ。
フェルゲイン侯爵領にもいろいろあるのだな、とザイラは改めて思った。フェルゲイン侯爵家は代々北の氏族達を纏め上げて、それも込みで、独自の国を築いているのだと思っていた。フェルゲイン侯爵夫人は氏族の出だと聞くし、近年はより結束を強めている印象を世間は抱いている。
王国にも影響力を持ち、王もその存在を気にしないわけにはいかない上、軍も牛耳る大貴族——
だが、その独自の国も、中身は随分複雑らしい——
まぁローリー伯爵家が人の事をとやかく言える由縁はないのだが……——-ザイラは小さく溜め息を吐く。
この結婚生活の落とし所は一体どこなのか、きっとアイヴァンも苦慮してるだろうな——とザイラは少しも減っていない白身魚を眺めて思う。
「こんな話をしてる時に……君に言うべきか迷ったんだが」
アイヴァンが口を開いたので、ザイラもアイヴァンに視線を戻す。
「郊外にあるフェルゲインの別邸で狩猟を行う予定なんだ。北の氏族の有力者達もこちらにやって来る」
フェルゲインの別邸……
狩猟……
ということはフェルゲイン侯爵家と北の氏族が勢揃い……——
ザイラの顔が思わず引き攣る。
恐ろしい魑魅魍魎が……
その先は言わないで欲しい——
アイヴァンに懇願の瞳を向けたザイラの鼓動が急に早くなり、汗が噴き出す。
「結婚のお披露目も兼ねているので……君にも準備しておいて欲しい」
北の氏族のご接待か……——
この話を聞いた後だと家同士の牽制のようにもザイラには思える。
アイヴァンも中々強かなのかもしれない。
狡賢くザイラがアイヴァンの罪悪感をつついてこの結婚の話題を引き出したのも、お見通しなのだろうか。
倍返し所ではない。
こてんぱにやり返された気がした。




