「教会へ」
2−3 「教会へ」
目が覚めると一瞬どこにいるのかわからなかった。左腕を動かそうとしてそれが止まる。見るとトカコが抱きついていた。そこでハッと昨日のことが思い出された。
起こさぬように音を立てずに腕を引き抜こうとすると、トカコはムズムズと動き目を擦る。体を起こすが目はまだ半開きだ。
「おい。朝だぞ。起きろー」
「んん、んー、・・・おはよ」
まだ寝ぼけた顔をしている。
「ちょうどすぐそこ川だから、顔洗え、お前の母さん、探しにいくぞ」
「・・・うん!」
二人で顔を洗った後、再びトカコの母親を探しに向かった。
なぜか、昨日とは心持ちが変わっていた。それは自分でもはっきりとわかる。足取りが、軽く、前に進むのだった。
「昨日行った、えーっとムーンティア5番街がまだ途中だったな。とりあえずまた行ってみるか」
マップを開いて確認しながらそう言うと、「わかった!」とトカコは嬉しそうに言った。
「なんだか楽しそうだな」
「うん! お母さんに会えないのはさみしいけど。でもね。なんかね。元気がでるのっ!」
ーーーーーーーーーー
ーーーーーーーー
ーーーーーー
ーーーー
ーー
それは、旧ヒロイック・カンパニーのアジトからヨウタが飛び出して、二時間ほどが経った頃、レックスは複雑な心境のままBar星屑のカウンター席に腰掛けていた。空のグラスに残る氷を揺らしながら、ボーッとそれを見ていた。
レックスは自分も熱くなってしまったと、そう思う一方で、ヨウタへの苛立ちと同情心が複雑に絡まっていた。すぐにヨウタを追いかけようと思っても、それが邪魔をして動けず、頭を整理するために星屑へとやってきたのだった。
「はあ、・・・こうしてても、仕方ないよな」
思わず出た言葉に、マスターが「今日は相棒と一緒じゃないんだな」と気さくに声をかける。
「お前たちになにがあったかは知らないが、大事な相棒なら、すぐに仲直りした方がいいぞ」
マスターはそう言ってグラスに酒を注ぐ。
レックスの頭の中はぐちゃぐちゃだった。性格的に深く考えたり悩むことが元々苦手なこともあって、もうなにも考えずにヨウタを探しに行き、また全てがなかったみたいに、ヨウタと話せばいいと思っている。
そうすれば楽だと思っているのだが、ヨウタと、ヨウタの妹のことについてだけは、レックスのなかで二の足を踏ませるのであった。
レックス自身、そんな自分を「らしくない」と発破をかけてみるが、立ち上がる腰は重たい。本当に酔っぱらえたらいいのにと思いながら、すべて振り払うようにグラスの酒を一気に流し込んだ。強い酒だとは感じる。喉にひりつきはあるものの酩酊感はなく、カウンターに金を置いて、レックスは星屑を出た。
自分の顔を一度、気合を入れるように叩くと、「救世の園」へ向かった。
旧ヒロイック・カンパニーの現マスターは、ピースマークが代理という形でやっているらしい。そのピースマークの話では、救世の園は毎日のようにギルドへ参加希望のプレイヤーが訪れているという。しかもギルド内では独自の法律や規則も作られていて、ゲーム内ギルドというよりは、宗教団体に近いものになっているらしい。そして、救世の園のギルドマスターは、シイカという女とのことだった。
【ミスティエル教会】
レックスは救世の園のギルドがある教会に着いた。メインストリートから外れたこの場所は、本来人通りは少ないはずなのに、今は人の流れが多い。まずはヨウタを探すために辺りを歩いてみたが見つからなかった。教会自体は欧米圏にあるようなデザインで、一見してすごく大きいというわけではない。そんな教会の正門から長い列が外まではみ出している。これがピースマークの言っていた入隊希望のプレイヤーの行列であった。
「まさかもう、ギルドに入ったなんて、・・・ないよな」
そう言ったそばからレックスは不安になった。ヨウタとの長い付き合いだからこそわかる。妹のことになると、見境いも躊躇も一切なくなることをだ。しかし、救世の園へ無闇に近づくことが得策ではないこともレックスは冷静に判断できていた。なので、まずは聞き込みをしようと列に並んでいるプレイヤー何人かに声をかけてみた。
話を聞いていくと、どのプレイヤーもこのギルドが今、ダークレコードで一番強く、一番信頼できるという風に語っていた。レックスが話の中で気になったのは、救世の園の理念であった。
「ここのギルドって、どうやらダークレコードのクリアを目指してるみたいでさ。クリアしてゲームから脱出するのが目的みたいなんだよ。すげえよなー」
「え!? クリアしたら、ゲームから抜けられるの?」
「みたいだぜ。まあ、正直半信半疑ではあるけど、なんにしたって目的もって、有意義に過ごせるならここが一番だろ」
ダークレコードをクリアすれば、ゲームから拔けられる。つまり現実世界に戻れるということだ。しかし、レックスはそんな話を聞いたことはない。
そもそも、ダークレコードというゲームにはメインストーリーというものはない。あるとすれば続きもののクエストがあるくらいで、それらを進めるごとに起こるNPCとの会話程度だ。わかりやすくラスボスがいたり、魔王がいるなんてことはない。それに、野良のファントムも、エリアボスでさえ、倒せば二度と出てこないわけではなく、時間が経てばリポップするのだ。
すると、教会から救世の園のメンバーらしき人が出てきて、列の人数を数え始めた。レックスは気づかれないように静かに列から離れると、そこで、教会の裏手あたりに人影が見えた。教会の周りはぐるりと塀が建てられている。もしかしたらヨウタではないかと嫌な予感がして、回り込むようにその人影がいた場所へ行ってみた。
しかし、レックスが目にしたのは全くの想像にない人物がいたのだった。
教会に忍び込もうとしている。山田ハンナの姿であった。
「えっ!! はあ? え、あいや、や、山田、ハンナ!? え、なんで?」
驚きのあまり思わず声が出てしまい、慌てて自分の口を押さえる。キョロキョロと周りを見るが、レックス以外には誰もいない。だがすぐに人が通ってもおかしくはない。
ハンナは一切の躊躇はなく、窓から教会の中へ入っていった。
レックスは内心「おいおいおい」と混乱して、他の語彙も浮かばないほどだ。塀を乗り越え草をかき分けて静かにハンナが入った窓の所まで近づくと、どうやら教会の窓ガラスが割られており、それがハンナがしたことだとすぐにわかった。中を覗くとガラスが散らばっているがハンナの姿はない。
「おいおい、マジかよ。・・・」
レックスはもう一度、周りを警戒した。探していたヨウタではなかった。だが、こうも続けて自分の知っている人間に遭遇することに、なぜか「確かめないと」という現状とは少し離れた感情が生まれ、この時、おそらくレックスは予想外な遭遇に混乱していたのだろう。慎重に窓から教会に入ったのだった。
この部屋は、資材置き場であった。鉱石や木材、皮などの装備やアイテムを作るために必要な素材が綺麗に整頓されて置いてあった。
レックスは足音に気をつけながら、扉をゆっくりと開ける。すると、すぐにハンナを見つけた。だが、あろうことかハンナは通路の真ん中を堂々と歩いていて、思わずレックスは部屋を飛び出した。
「ちょ、ちょっと! 無用心、無用心! なんで不法侵入してそんな堂々としているの!?」
そんなツッコミが出てしまったが、すぐにまた自分の口を押さえ、声を潜める。
「なんで、山田ハンナ、さんがここにいらっしゃるですか?」
言葉づかいがおかしくなりながらも尋ねると、そんな狼狽ぶりにもハンナは表情を崩さず、ゆっくりと上から下までレックスを見て、ほんの些細だが眉間に皺を寄せた。訝しげな顔で「誰?」とだけ言った。
「あっ、お、俺、オレオレ、えーっと俺だよ。あのー、レックス! じゃなくて、同じクラスの、ってその前に、一旦ちょっとこっちきて!」
そうレックスの言葉は混乱したまま、しどろもどろになりながらハンナの手を引いて、資材置き場の部屋へ戻った。ハンナは意外と抵抗することなく、ついてはきたが、「どこかで会いましたか?」と冷製で平坦な声で言った。
レックスは音を立てないように扉を閉めると、呼吸を整えてから自分が岡田であることを説明した。
「岡田だよ。岡田。同じクラスで身長180センチ、体重70キロ、スポーツが得意なムードメーカーの岡田 仁だよ」
ほらほらと自分の顔を指差すが、ハンナはもう一度、頭から足の先までじっくりと見返すと、「知らない」と一言だけ答えた。
レックスはズキンと胸が痛くなるが、それは置いておいて、思い至る疑問の方を優先した。
「ていうか俺のことはいいや。ハンナさんはこのゲームやってたの? しかも見た目が、そのままだけど」
「・・・ああ、あのカラオケに誘ってきた人」
「ええっ! あ、ああうん。そ、そうだけど。それは・・・、忘れてください」
「・・・あなた、岩波葉太が、どこにいるか知っている?」
「ヨウタのこと知ってのか? あーうん? えーっと、ヨウタのこと探してるの?」
ハンナは頷くが、レックスにとっては回答を得られていない。そういえば学校でボランティア班で一緒だったことを思い出すが、それでも、なぜヨウタのことを探しているのか、意味が理解できなかった。
「そっ、そうなんだ。・・・ヨウタのことは俺も探してるんだよ。ここに来る前は一緒にいたんだけど、ちょっと色々あって、あいつどっかに行っちまって」
「どこなの? 岩波葉太は。・・・どこにいるの?」
詰問するようにハンナは体を寄せる。そんな初めて見る反応にレックスは驚いて思わず後ろに身じろいだ。
「ちょ、ちょっと待って。えーっとまず、こっちの聞きたいことなんだけど、どうしてヨウタのこと、探してるのか教えてほしいんだけど」
・・・・・・
ハンナは俯いたまま、口を開かない。沈黙のままだ。レックスがもう一度、尋ねようとしたが、扉がガチャリと音を立てた。
「うおっ! な、なんだお前ら! ここで何をしている!」
救世の園の信徒である。男は「なんなんだ!」と言いながら部屋へ入ってくる時、レックスは咄嗟に体で窓ガラスを見えないように隠した。
「す、すみません。えーっと俺たち、えー、入隊希望できました! 場所ってここで合ってますか?」
「ああん?」と男は訝しげにジロジロと二人を見た後、どこか考える素振りをみせる。
「・・・ったく、ここなわねえだろ! 外の列、見えねえのか。案内するから、ついてこい」
二人を部屋から出すと、「ほら、こっちだ」と乱暴に言いながらも案内してくれるようだった。
レックスはホッと胸を撫で下ろしながら隣をチラッと見てみると、ハンナも黙ってついていくようだった。男に案内されたのは講堂のような広い場所で、何席も並べられた椅子にたくさんのプレイヤー達が座っていた。ここはどうやら入隊試験を受ける者たちの控室みたいな場所であった。男はここで座ってろとだけ言い残し部屋を出ていった。
「な、なんか、巻き込んじまった。のか? いや、俺が巻き込まれたのか? ・・・まあどっちでもいいか。それより、さっきの話の続きだけど」
そう言って隣のハンナを見るが、辺りを見回していた。ヨウタがここにいないか見ているようだ。
「いやあ、ごめんね。ハンナ、さんを流れで連れてきちゃって」
「・・・・・・」
「なあ、どうしてヨウタを探してるんだよ」
「・・・・・・」
「あいつが、ヨウタがここにいる理由知ってるのか?」
投げかけるどの言葉も。まるでなにも届いていないかのように、ハンナはなにも答えず周りを見ているだけであった。レックスは思わずため息がこぼれる。
二人ずつ番号を呼ばれると別室に連れられる。するとまた新しく二人この控室に入ってくる。その度にハンナはヨウタかどうか確認するが、ちがう人だとわかると手を自分の膝の上にのせた。
・・・・・・
・・・・・・
とうとうレックスも喋らなくなり、にぎやかな控室の中で、二人だけが気まずい雰囲気のまま座っていた。
「・・・ヨウタはさ、妹を探しにきたんだよ」
先に口を開いたのはレックスであった。この気まずい空気に耐えられなくなったわけではない。
レックスは、なぜか不意に吐き出したくなったのだ。この教会の雰囲気によるものがそうさせたのかもしれない。
レックスは、自分がヨウタと出会ってからの話をした。妹を探すためにダークレコードにログインしたこと。自分もその手伝いをしていたこと。その途中で、ヨウタと揉めてしまい、ヨウタが飛び出してどこかへ行ってしまったこと。
そして、もしかしたらこのギルドに来ているかもしれない思いやってきたことを話した。
すると、ハンナは表情を曇らせて「どうにかしないと」と一言こぼした。
「なあ、俺は、知ってること話したからさ。その、ハンナさんがさ、どうしてここに来て、ヨウタのこと探しているのか教えてくれないか?」
「・・・・・・」
「まあ、急に話してくれって言われても、話しづらいかもしれないけど」
「・・・私は、ある人に頼まれた」
ハンナはポツリと言葉を置くように言った。ある意味、レックスはハンナの言葉を聞き慣れていなくて一瞬言葉を見失いかけたが、ハンナは続けて葉太の家で起こったことを話し始めた。
レックスは、その話を聞きながらサッと体温が下がるのを感じた。冷や汗が背中を伝う。心臓が高鳴り緊張していく。ハンナが最後に「岩波葉太を救うために、ここにきたの」と言葉を締めると、思わず立ち上がっていた。
「よ、ヨウタに! ・・・・・・妹のこと、言ったのかよ」
「・・・そう。あなたも知っているのね。岩波葉太の妹が、・・・はじめさんが、亡くなっていること」
レックスの顔はカッと熱くなり、なのに手足は冷たくて、心臓を撃ち抜かれたかのように、ドサリと椅子に座り落ちた。頭を下げて項垂れたまま、なにか言おうとしても喉がつっかえるみたいに言葉がでなかった。
「そう、なのね。・・・誰も、岩波葉太に言わなかったのね」
「っ! ・・・みんな、言おうとしたさ。だけど、・・・怖かったんだよ」
レックスは、妹が事故で亡くなった時の葉太のことが、鮮明に思い出されるのであった。
気がつけば、その当時のことを口にしていた。
一年前、葉太の母は病気のため入院していた。容態は良くなったり悪くなったりと、安定しない状態が続いていた。葉太は毎日母親の見舞いに足を運びながら、調子の良い日も悪い日も、母親の姿を目に焼き付け、いつどうなってもいいように心構えをしていたという。
その頃、引きこもりになっていた妹のはじめは、学校に通うことなくずっと家で、自分の部屋に閉じこもっていた。なにが原因ではじめがそうなってしまったのかは分からず、母親は病気に伏していて、そんな状態の家族を、葉太は自分が家庭を守ると強く心に誓い、真面目に学校に通い、家事も全てやり、バイトにも励んでいた。
「葉太のことが心配で、話を聞いたりしてたけど、一度だけ俺に、妹がどういう人生を選んでも安心して歩んでいけるように、今を必死に頑張るんだ。そう言っていた」
そんなある日、はじめは、初めて母親の見舞いに行った。どういう心境があって見舞いに行ったのかは誰にもわからない。そこで、さほど交通量の多くはない交差点で、車に撥ねられた。
はじめは、亡くなった。手には数輪の花が握られていた。
最愛の妹が死んでしまったのだ。
だが、さらに悲劇だったのは、ほぼ同じ頃に、母親の容態は急変して、亡くなったのだ。
葉太は、その日に母と妹を亡くして、家族そのものを失った。
その後、葉太は一週間ほど学校を休み、岡田もクラスメイトたちも心配していたが、再び学校にやってきた葉太はおかしくなっていた。岡田が声をかけると、以前と変わらない様子だが、亡くなったはずのはじめのことを、まるで生きているように話していたからだ。
「ヨウタは、母さんと妹をいっぺんに亡くして、おかしくなっちまった。・・・一回、言ったことがあるんだけど、その時のあいつの目が、怖くて。それでもう、妹はいないなんて言えなくなって、もうどうなるかわからなくなったんだよ! 誰も怖くて言えなかったんだよ!
けど、まさかいない妹を探すためにこのゲームにまで来るなんて」
それは後悔に似た感情であった。ただ、後悔だと完璧にあてはまるものでもなかった。
その感情と同じものを、ハンナは抱いていた。だからこそ、ハンナはここにやってきたのである。
「・・・でも、それでは、誰も救われない。・・・私は、ある人に頼まれた。岩波葉太に、伝えなければいけないことがあるから」
拳を握りしめて、ハンナは意を決して立ち上がった。
「えっ、ある人って?」
「私の使命の中には、きっと彼を助けることも含まれているから」
レックスにはその言葉の真意はわからず、ただどこか、責められているような、そんな気がした。
「ここに、岩波葉太はいないようね」と、ハンナがここを出ようとした時、受付の女と、さきほどこの控室までつれてきた信徒の男がなにやら二人を見ながら話し始め、ツカツカとこちらへやってきた。
「おいっ! 次はお前たちだ。あとがつっかえてるから、さっさとついてこい」
そう二人は呼ばれてしまう。ハンナがそれを断りかけたが「後ろが詰まってるって言ってんだろ。順番と流れを守りやがれ」と腕を引かれながら強引に連れられてしまった。
試験会場らしいその部屋の扉を開けて、中へ入ると、そこには男が二人、中央に並ぶ椅子に座っていた。
そこにいる一人の男は、レックスと同じくらいに体格の良い大男で、頭はスキンヘッド、口ひげを蓄え、アメフト選手のユニフォームのような姿に、両肩には厚みのある刺々しいパットが装着されている。
「よし、お前は下がってろ」
連れてきた男に命令する。低く野太い声は、その体格とぴったりである。そして、その隣に座るのはメガネをかけた細身の男である。目は狐目というのか細い一重で、全体の印象は線が細いというよりも鋭いといったイメージだ。片手には万年筆がありそれをクルクルと器用に回している。
「まあまあ、おかけになってください」
メガネの男は二人に促してみせる。言われた通り、席につくが、レックスはこの時、この場をどう乗り切るか頭を働かせていた。普通であれば正直に「入隊希望ではない」「人探しでここにきた」と言えば済むだろうが、ここはヒロイック・カンパニーを崩壊させたギルドだ。それは言い替えれば平然とプレイヤーキルをする集団であるということだと考えていたからだ。
このゲームではプレイヤー同士の戦闘は可能だ。そして当然、プレイヤーを倒しても経験値やお金を得ることができ、逆に倒された者はその分を失う。だが、ダークレコードではそれを積極的に行うものは他のゲームに比べて圧倒的に少なかった。それはこのゲームの世界観であるヒーローとしてヴィランを倒すということがプレイヤーたちにとっての命題であったからだ。
レックスは自分の発する言葉に警戒心をもって考えていた。だが、その考えに至れるのは、ダークレコードをプレイしている者だけだ。当然といったようにハンナは徐ろに立ち上がると、感情の起伏のない声で言った。
「私たちは、岩波葉太を探しています。心当たりはありませんか?」
レックスはしばし呆然として、だがすぐに「ちょっと!」と言いハンナを座らせようとしたが、野太く威圧的な声に黙らせてしまった。
「おいお前たち、・・・なるほどなあ、やっぱりスパイってことかあ?」
「はあ? スパイって、違いますよ。俺たちは、えっとその」
「グンカン、決めつけるのは早計ですよ。まあ、資材置き場の窓ガラスが割られているのことは、気がかりですがね」
レックスはギクリと心臓が跳ねる。なにか、どうにか言い繕わなければと考える。
「いやいや、俺たちはただ、け、見学? というか、なんていうか」
しかし、どう言おうとしても、好転する気配はない。ドンっと、グンカンというスキンヘッドの大男は立ち上がると、見せつけるかのように拳の関節をパキパキと鳴らしながら二人に近づく。
「グンカン、落ち着いてください。この人たちが何者かお話を聞かないと、もしかしたらどこかのギルドに所属しているものかもしれないですし」
「ああん? 桂、俺に指示するってのか? それは命令かあ?」
桂と呼ばれたメガネの男は、やれやれと言いたげな顔で首を振り、どこか諦めたかのように「お好きにどうぞ」と言った。
この時、レックスが感じたのは、殺気である。グンカンが腰を下ろし右肩を突き出して構えをとると、右肩に装備されているパットの棘が二人に向けられた。
「今すぐに正直に言えば、許してやらなくもない。・・・どうだ? 話す気になったか?」
「わ、わかりました! えっと俺たち人を探していて、ヨウタっていうやつなんですけど。ここに来ていませんか?」
「ガッハッハ! 知らねえな。ぜんぜん知らねえ。あと、嘘くせえなあ!!」
『猪突猛進【バンプ・オブ・キング】』
グンカンが能力を発動した。レックスがそう反応したと同時に、二人に向かってその巨体と右肩の棘が突如として目の前に現れた。そう錯覚するほどのスピードで突進してきたのだ。ハンナは、それをただ驚くだけで反応できず、自身に突き刺さる直前、自分の体が強引に運ばれた。鼻先をかすめると岩が砕けたかのような衝撃音が部屋中に響いた。現に、部屋の壁はクレーターのようにボッカリと穴が空き、ひび割れ、土煙を上げている。
「ガッハッハ! おいおい、避けたなあお前、避けやがったなあ!」
グンカンが振り返り、ギロリと鋭い視線を送る先、ハンナを抱えた、レックスの姿を捉える。
「・・・それ、あんたの能力か?」
「ああん? だったらなんだ。羨ましいってか? 残念ながらこいつはあげれねえなあ。そんでよお、次は避けるんじゃねえぞ!」
グンカンはまた構えをとり始める。
レックスはゆっくりとハンナを下ろしながら「おいおい、こんなことあるのかよ」と、頭は混乱していた。その心情が起因しているのは、グンカンの能力であった。
あれは、レックスがダークレコードを初めた時に自分で選んだ能力であったからだ。確かに能力は全て初期化した後に違うものに変えられている。だがまさか、こんな形で自分の元の能力と対面するとは思ってもみなかった。
そんな思考にとらわれていたせいか、レックスは反応が遅れる。
「おらあ! 腹に穴ぶちあけてやるけええ!! ・・・ん?」
突進の攻撃は、手応えと反発が同時に起こる。見ると、腕に風をまとったレックスがその突進を受け止めていた。
「てめえ、なかなか見どころがありそうだなあ。だが、少し腹がたつぜえ!」
グンカンはそう言いながらレックスを弾き、押し出すようにして体勢を崩す。レックスが「しまった」と思ってもそれは流れるようで、グンカンがその場で膝を曲げ、一気に反動をつかい下からかち上げる。
「バンプズホーン!!」
防御も回避も反撃も遅れ、レックスの体はその衝撃に耐えられず宙に弾き上げられる。そして天井に思い切りぶつかり、瓦礫と一緒にそのまま落下した。
「ガッハッハ! あーやっぱりこの能力はスカッとすんなあ。どれ、次はそこの女、ジッとしてろ、天国までぶっ飛ばしてやるよ」
グンカンが今度はハンナに向けて構えをとる。ハンナにとって、いま目の前で起こっていることは自分の理解から離れているものばかりであった。だが、それでもわかる。このまま自分はこの男に殺されてしまうのだと。
「・・・私たちは人を探しにきただけです。岩波葉太を知りませんか」
「あん? ぐ、くく、グアッハッハ! ったくよ。この期に及んでまだそんなことを、おいっ、桂、こいつら本当にスパイじゃないかもなあ」
「はあ、なにを今更、そんなこと初めからわかっていたのに、あなたときたら・・・。ストレス発散がわりに暴れて、一々建物に穴を開けられるのも困ったものですよ」
「けっ! うるせーなあ。いいんだよ。マスターも言ってただろうが、疑わしきは殺せってなあ!」
「いえ、疑わしきは罰せよ。です」
「どっちも同じだあ!」
地面を蹴り上げて、一直線にハンナへと突進が迫る。防ぐことも避けることも叶わない。ハンナはただそれでも、表情はなく、静かに自分に向かう猛攻を受け止めることしかできない。
そう思った矢先、「ジャイロ・シャフトブロー!」という叫びが、響いた。
グンカン、桂、そしてハンナはその声の先を見ると、風をまとう両腕を地面に叩きつけるレックスの姿があった。そして、瞬く間に螺旋状の二本の刃がグンカンに向かい、その巨体を弾き飛ばした。
「グウオオ!」
グンカンは吹き飛ばされるが、寸前で受け身をとる。それは予想としていなかった反撃であった。唾を飲み込みレックスに睨みを飛ばす。だがすぐに、片側の口の端を釣り上げてニヤリ笑うと桂を指差す。
「おい桂、こいつは俺がぶっとばす。だから、手だしたらどうなるかわかってるよなあ。その鎌おろせよ」
その言葉にレックスとハンナは見た。言われるまで気づかなかった。桂の手には二メートルほどの大鎌が握られていた。
「ああ、そうですか。まあ言われなくても手出しはしません。ですが、もうそろそろ定例会議の時間です。なのでさっさと、・・・終わらせましょう」
ストン。それは静かに瞬きの間ほどの疾さであった。今、桂が話していたはずなのに、ハンナが振り返ると既に自分の後ろに立っていたのだ。目にも止まらぬ疾さとはこのことだろう。
「に、逃げろお!」
レックスは声を荒げる。だが、その声がハンナに届くには遅すぎた。カメラのフラッシュのような光があって、それは残光である。
「まあ、痛みはありませんから。それでは、さようなら」
ハンナはまだ自体を飲み込めていない。ただ、視界は斜めに歪み、バランスをとろうとして体を動かすと、グルリと景色が回転して見えて、自分の首が斬られたのだと理解した時には、ハンナの頭はボロっと床に落ちたのだった。体が、ドット状に分解されゲーム上での死が始まる。
その光景に、レックスは言葉を失う。
そして、そのまま迫りくる巨体に、轢かれた。全身が砕けるような音を聞きながら、壁に叩きつけられて、自分の四肢があらぬ方向にひしゃげているのを霞む視界に捉えながら、ゆっくりと暗転していくのであった。
ーーーーーーーーーー
ーーーーーーーー
ーーーーーー
ーーーー
ーー
交差点の真ん中に、二人は立ち尽くしていた。先に、レックスはため息を吐き、隣を見るとハンナが不思議そうに自身の首をさすっていた。
「私、死にませんでしたか?」
そうレックスに尋ねる。
「ああ死んだね。俺もだけど。まあ、ゲームだからね。死んだらここにリスポーンするんだよ」
答えながら、レックスは初めて自然にハンナと会話ができていると思った。そんな些細なことに驚いていると、ハンナは眉間に皺を寄せて、険しい表情を浮かべていた。
「・・・なんて、嫌な世界なんだろう」