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ウィッチ・クラフト  作者: 新谷時
season1

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9/12

第8話 渦巻く恐怖

 

 ある瞬間、誰もが学園で溢れ出した殺意を感じ取った。


「焦らないでください!」


 学園では警鐘が響き渡り、混乱に陥っていた。生徒たちは理性を失いかけ、あてもなく逃げ回っている。逃げなければ殺される。確証もない恐怖に突き動かされ、教師の指示も意に介さなかった。


 クロの友人の三人も、校舎内を走っていた。


「ちょ、ちょっと待って!」


 後方を走っていた晃は、前の美琴と竜胆を呼び止める。


「クロくんがいないよ!」


 逃げ惑う生徒に、クロの姿はなかった。彼が危ない。

 その心配に、美琴は口調を強める。


「当たり前でしょ。《《アレ》》はクロが創ったんだから。違う?」


 騒動の発端は、クロが発現させた少女だ。

 前へ向き直し、美琴は再び走り出した。


「でも……」


 何も言い返せず、晃も彼女の後に続いた。

 しかし、竜胆は足を止めた。


 ◇


「ご主人様?」


 孤立した教室で立ち尽くしたクロは、その声で我に返る。

 学園に警鐘が鳴っている。自分を起点として発生した。

 いや、ユキだ。この少女の叫び声は、確実に人の命を奪う代物だった。自分の生み出した精霊が、人を殺めかけたのだ。


「ど、どうしよう」


 やがて異変を察知した教師たちが駆け付ける。他の生徒が逃げ切った中、取り残されたクロは真っ先に怪しまれる。警鐘が発生した真相は見当もつかない。

 下手に動くより、学園に身を委ねたほうがいい。


 しかし、もし近づいてきた人々を、ユキが再び襲ったら――。


「……ユキ。隠れて」


 クロは次第に足を動かし、ユキに命じた。ユキは漆黒の影になり、溶け込みながらクロの後を追いかけていった。

 今はとにかく、逃げるしかない。人気のない場所を目指し、騒ぎが収まるのを待つ。警鐘は鳴り止んだ。いずれは元通りになるはずだ。


 その後のことは、まだ考えられない。


 学園の中には、逃げ遅れた生徒たちの姿が残っている。クロを見かけても、実技室のような反応はない。

 彼らからすれば、クロは逃げ惑う生徒と同じように映っている。

 ユキの姿を見せなければ、過度に警戒を向けられないようだ。


 出口に近づく。しかし、聞き覚えのある声に呼び止められた。


「あの子がぁ! あの子がやったのぉ!」

「落ち着いてください! あの子って誰なんですか。先生!」


 ユキが襲った教師だ。この通路は使えない。


 クロは進路を変え、階段をのぼる。廊下の窓から見える庭では、パニックが起きていた。低学年の生徒が逃げ回り、足を絡めて転んでいる。泣き声を上げる生徒もいた。恐怖に染まった声が、クロの胸を突き刺す。


 騒ぎは自分が思っていた以上に深刻になっていた。

 他の教室に隠れたくても、大半は逃げ遅れた生徒がいる。先へ進むしかない。

 この先は、上級生の校舎だ。


「どうして警鐘が鳴ったんだろう?」

「さあ。避難命令が出されてるらしい。授業潰れてラッキー」

「言ってる場合か。さっき外を見たけど大変だったぞ」


 低学年とは違い、恐慌に陥っていなかった。上級生は異変を不審に思いながらも、大人しく教師の指示を待っている。人が多い。クロの存在が目立っていた。


「あれ? あの子、低学年の子だよね」

「なんでここにいるんだ」


 ここに来るべきではなかった。

 引き返すか悩んだが、駆け付けた教師と鉢合わせたら終わる。

 この群集を突き抜けたほうが、安全な気がする。


 渋滞が立ちはだかる。潜り抜けようとしても隙が無い。無理でも押し通そうとするが、上級生の屈強な肉体に弾かれてしまった。


「ちょ、なんだよ。誰だ?」

「変な子がいる。副委員長。ちょっと捕まえてくれない?」

「え、うん。どうしました? 避難場所、分かりません?」


 一人の生徒が、尻をついたクロと視線を合わせる。

 呼吸が痞える。クロはとっさに跳び上がるが、生徒に腕を掴まれた。


「そっちは危ないから。後で先生が来るので待ってください」


 冷え切った悲鳴がこぼれる。教師に見つかれば、さらに警戒が強まる。言い逃れができなくなる。クロは意地でも離れようとするが、腕の力が強まる。

 騒ぎが広まる。生徒たちの注目が集まっていく。


「落ち着いて。今、避難命令が出てるみたいだから――」


「そこまでだ」


 その瞬間、全員の手が止まる。

 鼓膜を細く穿つように冷徹な声、耳が覚えている。クロは顎を震わせながら、声のした方へ振り向いた。


「なぜ、お前がここにいる?」


「……姉さま」


 事代家の長女、早乙女がいた。

 彼女は杖を携えている。


「い、委員長。これは――」

「下がれ。私が話をつける」


 彼女の命令により、生徒は逃げるように拘束を解いた。

 だが、クロは支配から逃れられていない。

 

「高学年の校舎に何の用だ」

 

 答えを誤れば、脱出どころの話ではなくなる。


「に、逃げたんです。学園が大変なことになっているので」

 

「大変なこと? それは何だ」

 

「えっと、僕もよく分かっていなくて……」


 沈黙が起こる。早乙女は何も返さない。

 彼女の瞼は、失望するように閉じた。


「姉さん?」

「……誰が――」


 姉さんと呼ぶことを許可した?

 

 早乙女は握っていた杖を構える。先端に添えられた青い水晶が、輝きを放つ。彼女の周りに魔材が収束し、頭上に新たな水の球体が発生した。


「ウォーター・クラフト。マテリアル・アクア」


 水魔法の起点。多様な技へ発展させる球体。

 それは、美琴が創ったものとは規模が桁違いだった。


 カレントバインド。


 二つのマテリアルから水流が伸び、クロへ襲い掛かる。

 痛いのは怖い。目を閉じた瞬間、クロの影からユキが飛び出した。寸前まで迫っていた水の触手は、一度宿主の元へ引き返す。

 異変に気づいたクロは、震える瞼を開いた。


「……ユキ!?」


 自分の意思とは関係なく、ユキが姿を現した。

 それと同時に、上級生たちが暴れ始める。すぐそこで顕現する殺意の塊に、保っていた統制が乱れた。あのときのように、誰もがユキから逃れようと、我先に出口へ殺到する。


 唯一、早乙女だけは微動だにしなかった。


「お前には心の底から失望した。認識が甘かったな」


 逃げ惑う生徒たちを避け、早乙女が距離を詰める。それに合わせてクロは後ずさるが、ユキは両手を広げたまま、一歩も引かずに義姉を睨みつけた。


「学園では既に避難命令が出されている。場所は庭園。ここ二階の校舎とは真逆の方向だ。お前が意図せず迷い込んだのは、理に適っていない」


 すべて看破された。もう説得が叶わないことを悟り、クロはユキの手を握って駆け出す。生徒が逃げたことで、道が拓けていた。

 だが、義姉が逃亡を許すはずもない。


「私に後ろを見せるとは。笑止千万」


 彼女は頭上に浮かぶマテリアルから、再び水流を伸ばす。

 音が聞こえてから、クロの背中に衝突するまで一瞬だった。速度が桁違いだ。クロは成す術なく、蛇のように絡みつく水流に捕らわれ、床へ転倒する。


「ご主人様!」


 そばに取り残されたユキが、宿主の危機に駆け寄った。

 手足が固定され、微動だにしない。圧迫された肺に酸素を送ることすら精一杯だ。それだけに留まらず、触手から滲む水域が、クロの体力を奪っていく。


「ね、姉さ、ま……」


「事代クロに命じる。お前を()()()()()()()()()()()として拘束する」


 言葉の意味を理解するよりも早く、クロは苦痛に喘いだ。

 宿主の無残な姿を目の当たりにしたユキは、怒りを見せる。


 そして、頬を膨らませた。


「……ま、待って――」


 また波動が放たれる。声が出ない。

 義姉が死ぬ。どんなに優れた魔法であっても塵になる。


 早乙女は危機を察知し、とっさにマテリアルを増やす。


 ユキも攻撃の準備を止めなかった。


「ユキ! お願いだから話を聞いて!」


 ユキの足元に、結晶のような漆黒の力がみなぎっていく。次第に空間が歪み始めた。宿主であるクロの声も、届いていない。


 早乙女も、クロの拘束を解かない。力強くでも止められない。


 自分が無力なせいで、姉が死ぬ。

 それだけは嫌だ。


「……姉さんは、僕の――」


 大切な人なんだ!


 ――そう叫んだ瞬間、早乙女の魔法が、一瞬だけ力を失った。


「ううぅ!」


 クロは迷わず身を暴れさせ、縛り付けていた水流から逃れる。

 そして、ユキの体に抱き着いた。彼女の顔を強引に引き寄せ、咆哮の向きを義姉から真横の壁へと逸らす。


 ユキが叫び、その波動が学園の壁を破壊した。


 道が拓けたことを確かめ、クロはユキの手を握る。二階の廊下から、破壊された壁の隣にある木の枝を伝い、地上へ滑り降りる。二人は再び逃走した。

 

 取り残された早乙女は、呆然と廊下に立ち尽くすのだった。

 

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