第47話 岩石を砕く流水
故人から授かった地図を、クロは月光を頼りに読み解いた。
これまで調査した二つの遺跡では、得られる成果がなかった。しかし、三度目の遺跡では文字が掘られており、それは身魂と名付けた怪物を呼び覚ます呪文だったのだ。
身魂の正体は、かつて痕跡を調査した村長ですら見当もつかず、そもそも当時は文字を掘られていなかったそうだ。
怨霊の謎に関する情報はなかったが、それ以上に不吉なことが起こっている。
身魂と似た怪物に成り果てた、あの少年――。
もうすぐ、次の遺跡へたどり着く。
◇
「……これが、本当に遺跡?」
広い大地で、クロは呆然とそれを見上げた。
草木を掻き分けた先では、巨大な建物が佇んでいたのだ。これまでの遺跡は、どれも建物の瓦礫が散乱しているだけだったが、今回は違う。人が住んでいると錯覚するほどだ。
また身魂に襲われるかもしれない。クロは魔器を引き抜き、遺跡の内部へ足を踏み入れた。
その瞬間から、クロは妙な感覚に飛び込んだ。
歩みを進めるたび、まるで波紋が広がるように、クロの足音が深々と伝わった。
ある予感を抱き、クロは遺跡の石床を強く踏みしめる。
気のせいではなかった。この下に地下がある。
足を叩きつけた振動が、広い空洞に反響していた。
それも、ただの感触ではない。
しかし、地下へ続く入り口が見当たらない。
地下は後回しだ。まずは一階から調査を始める。
この建物は長方形の多重構造になっており、上階へ続く階段も確認できた。クロは通路を進み、得体の知れない遺跡を見回る。建物の内部は何も残っていない。複数の部屋に分かれているが、もぬけの殻だ。
ひと通りの探索を終えたクロは、階段を注意深く昇った。段差を踏みしめるたびに、永く堆積していた砂埃が激しく舞う。その様子は、久方ぶりの来訪者を歓迎しているようだ。
下の階に比べ、待ち受けていた部屋は、たった一つだった。
さらに上の階が続いているが、そこから先は天井が穿たれており、壁も大きく欠落している。もはや原型を留めておらず、足を踏み入れることすら叶わなかった。
「じゃあ、ここが最後の階か――」
ふと、クロはあるものが目に入った。
突き当りの壁、剥き出しの石肌に、小さな文字が刻まれていた。
三度目の遺跡で見たものと同じだ。
クロは生唾を飲み込み、ゆっくりと壁へ歩み寄る。身魂が現れたのは、呪文の発生が引き金だ。口に出さなければ発現しないはず。
不意に外から流れる空気が揺らぎ、冷たくなる。
そして、クロは壁の前に立ち止まった。
石壁に刻まれていたのは、呪文などではなかった。
いつか会える。
次の瞬間、後ろの壁が凄まじい轟音と共に爆砕された。
――敵襲だ。瞬時に判断したクロは、魔器を構えて振り返る。
視界に広がっていたのは、埋め尽くすほどの巨大な高波だった。それは言葉の通り、荒れ狂う水流そのものであり、遺跡を削り取っていく。
これでは、回避する隙もない。
「があっ――」
声が冷たい鉄砲水に掻き消される。瞬く間に飲み込まれたクロは、その先にある石壁すらも破壊し、地上へ叩き出されてしまった。
あの文字が刻まれた壁が、粉砕された。
落下したクロは地面を転がるも、その勢いで体勢を立て直す。
だが、言葉を失った。
遺跡の上階が根こそぎ破壊されてしまった。
辺り一面は水に浸され、後ろを振り向くと通り過ぎた水が草木を食いちぎり、森林の奥へ逃げ出していく。
これは、水の魔法だ。しかし、威力や精度が並外れている。
「……嘘だ。そんな」
冷水が岩窟に滴るような足音に、クロは聞き覚えがあった。
先ほどまでクロが立っていた遺跡の断面。立ち込める土煙の向こうから、一つの影が姿を現す。
その人影は、長身の杖を携えていた。
先端に嵌め込まれた結晶が、不気味な青い光を放ち、周囲を冷たく照らし出す。
やがて霧が晴れ、その凛とした佇まいが月光に晒された。
「お前の画策もここまでだ。クロ」
「――姉さま!?」
そこに立っていたのは、事代家の長女。
もう二度と会わないと思っていた、早乙女だった。
「ようやく見つけた。この世界の反逆者」
彼女の目的が分からない。だが、明確な敵意を持っている。
「姉さ――」
「誰が口を開くことを許可した?」
氷点を下回るような声音に、クロの喉が凍り付いた。
「未だに自分の立場を理解していないようだな。お前の行動が、どれほど家名を傷つけてきたか。どれほどの人間に危害を加えてきたか」
遺跡の上で見下ろしながら、早乙女は断罪するように告げた。
「あれから本島では犯罪や事件が増えている。怨霊を発現し、学園から脱獄したことで、事代家の名も地に落ちた。御父上は血眼になってお前を探し出そうとしている」
その事実に、クロは息を荒くする。
「全てお前のせいだ」
畳みかけるように、早乙女は語気を強めた。
「これは命令だ。今すぐその武器を捨て、私に投隔しろ」
彼女は杖を構え、クロの手元を指した。
義姉に従えば、これまでの旅が全て無意味になる。
事代家の当主はクロの命を差し出すことで、国からの信頼を取り戻そうとしているに違いなかった。
「まさか、父上の意に逆らうとは言うまいな」
その声に、クロは肩が跳ねる。
当主の意に背く行為は許されない。自分の意思など必要ない。
幼い頃から骨の髄まで叩き込まれてきた指導が、クロの心を縛り付ける。
だが、長きに渡る苦悩の末、クロは震える唇を噛み切った。
「…………そうです」
たとえ家族を敵に回しても、この理不尽な世界に抗い続ける。
クロは、そう誓ったのだ。
「……お前には、心の底から失望した」
早乙女の握る杖が、小さく震える。
「やはり、お前は」
「事代家の恥」
幾度となく突きつけられた罵倒を、クロは自ら名乗った。
「分かっています。僕に事代家の人間と名乗る資格なんてありません。高潔な人間として生きることも望みません。取り返しのつかないことをしてきました」
誰も悪くない。
全ては自分のせいだ。
「なので、僕なりにその責任と向き合います」
義姉へ向けた眼差しには、決死の覚悟が宿っていた。
早乙女は押し黙り、杖の先端を振り回した。
「……知った風な口を――」
怒りで血走った彼女の瞳が、水の球体と重なる。
マテリアルアクア。
あらゆる水技の起点となる魔法。
どの技に発展するか、そのときまで予測できない。
すると、彼女の頭上に浮かぶマテリアルから、二本の触手が突き出した。
ウォーター・クラフト カレントバインド。
あれは、かつてクロが受けた技だ。
触手を伸ばし、相手を拘束する。
だが、今の自分なら対応できる。
その思惑が、次の瞬間に粉砕された。
「アアッ!?」
上空に伸びた触手が、鞭のように叩きつけられたのだ。
とっさに魔器を上段に構えたが、衝撃がクロの全身を駆け抜け、足元の地面が砕かれる。
触手の水流が刃を削り、火花が散った。
重さを堪え切れず、遂には膝が屈みかける。
「っ……ぅうう!」
奥歯を噛みしめ、クロは魔器に意識を叩き込んだ。
やがて、紅蓮の火柱が魔器を駆け巡る。
その熱量で、魔器に張り付いていた二本の触手を跳ね飛ばした。
早乙女の瞳が、わずかに揺らぐ。
迎撃された触手を安定させると、再びクロへ差し向けた。
今度は上空からではない。
蛇のように宙を舞い、絡め取ろうとしている。
正面ならば押し切れる。
クロは一瞬で息を呑み、爆発的な力で地面を踏み砕いた。
ファイヤー・クラフト 万灯踏!




