第46話 そんな世界でも
かつて反逆者として政府に捕らえられていたクロは、怨霊であるユキを浄化するため、牢獄から脱出した。その後のことは本人にも知る由がなかったが、脱獄犯として政府から捜索されているはずだった。
クロの命を救った百香も、そのうちの一人のはず。
アカデミック・オーソリティの人間は、式典や活動などで公の場に姿を見せる。クロも彼女を何度か見かけたことがあった。
「怨霊を発現させた反逆者。事代家の養子」
百香は唄うように続ける。
「目的はなんですか?」
これまでの行動の意図が見当もつかず、クロは足を踏み出した。
「僕の脱獄がバレたんですよね。あなたは僕を捕まえに来たわけじゃないんですか? 身柄なんて簡単に拘束できたはずです」
「そんなことないよ。力のない女の子」
「それは、僕も同じでした。今もそうです」
百香は瀕死だったクロを助けた。それだけでなく、自分を喪失していたクロに新たな発想をもたらした。
初めから敵意があったのなら、出会った時点で学園へ引き渡されていた。
「大丈夫。君はもうたくさん強いから」
返ってきたのは、今にも消え入りそうな声だった。
クロは我慢していた感情が溢れそうになるが、首を振って堪える。
背を向けた百香は、再び歩み出した。
「……私ね。君の死刑に賛成したことがあるんだ」
重々しく打ち明かした事実に、クロの足が止まる。
「それはどうしてか」
――友達が死ぬのが怖かった。
それが、彼女の語る本心だった。
事代クロに関する会議にて。
過去に無為体の人間が怨霊を発現させたとき、殺処分するしか解決策がないと語られていた。
もし怨霊が宿主の制御から外れた場合、世界を崩壊させるほどの脅威となる。
役員の誰もが反逆者の処刑を望んだ――天光逸見を除いて。
そのことを胸に秘め、百香は語り続けた。
「でも、血だらけの君を見つけたとき、確かめたくなったんだ。本当に悪い人か。実は君が寝ている間、ずっと見ていたんだよ。途中でちゅーしようかと迷ったけど」
「え」
彼女は悪戯な笑みを浮かべる。
「考えなかったんですか。僕があの村を滅ぼしたかもしれないって」
「驚いた。そうだったんだ」
「いや、違いますけど。でも可能性としては考えられますよね」
彼女からすれば、壊滅した村の奥地で倒れていた血だらけの反逆者だ。
怨霊の力を行使し、村を滅ぼしたという結論にも繋がる。
「僕が嘘ついてる可能性だって高いじゃないですか。僕の言葉だけじゃ、何の立証にもなりません」
自分の意思とは裏腹に、口調が強まってしまった。
彼女を責めるような言葉は使いたくないというのに。
「どうして、信じられるんですか」
「……クイズと一緒じゃないかな」
クロは顔を上げる。
「いっぱい考えても、聞くまで答えは分からないよ」
「相手が嘘をついていたら?」
「なら、そこまでかな」
「……僕は諦めたくないんです」
砂利を踏み鳴らす音が耳を刺す。
百香は言葉を選ぶように、夜空を仰いだ。
「世界はいじわるだよ。私のクイズと似てるかな。理不尽だから。嘘をついたり、ひどいことをしたりする人もいる。だから、私は救える人から救っていきたいんだ」
彼女は立ち止まる。
今度は振り向かなかった。
「君も同じだよ。目が覚めたとき、君の心は壊れてた。きっと、君も理不尽な世界と戦ったのかなって。ほっとけなかったの」
「それが、僕を助けた理由ですか?」
「それもクイズにしちゃおうかな。答えなしで」
舞うように振り返ると、彼女はクロを横切った。
元来た道の先では、村の光が底知れない闇に煌めいていた。
そのひとつひとつには、あまりにも眩しい日常が溢れている。
「……私は、この村が好き」
ふと、百香は無意識のうちに呟いた。
「君は悪い人には見えない。でも確かに、言葉だけじゃ証明できない。だから楽しみにしてるね。証明してくれるの」
彼女が見せた笑顔は、どこまでも穏やかだった。
しかし次の瞬間、その姿が消える。
まるで地を軽く蹴ったような音だけを置き、地面には砂埃が舞った。
近くには人の気配がない。
『そんなことないよ。力のない女の子』
やっぱり、嘘だった。
「……あ、あれ?」
残されたクロは、村の光が届かない山道を見渡した。
「帰り道、分からないんですけど!」
これも、彼女の悪戯なのかもしれない。
◇
クロは村の灯りを辿り、なんとか最初に目覚めた寮へ辿り着いた。
扉を叩くと、やがて奥から野太い声が響く。
「どちら様?」
「えっと、クロです。旅人の」
「そうか、もう労働は終わったか! 入っていいぞ」
素軒に招かれ、クロは扉を開いた。
「こんばんは。おじゃましまぁぁああ!?」
その先にいたのは、あろうことか厚化粧の大男だった。
煌めく目じりに、鮮やかな紅を塗りたくられた唇。
元来の強面とも相まって、悍ましい面差しが完成していた。
「ハハ。びっくりしたか。百香の案なんだ」
素軒は豪快に笑い飛ばすと、台所のタオルで顔の紅を拭った。
「もう出発なんだってな」
「……出発?」
衝撃が抜けきらず、クロは半開きの扉を掴んだまま、声を絞り出した。
「百香から事情はそこそこ聞いてる。時間がないんだろ?」
どうやら彼女が、あらかじめ話をつけてくれたそうだ。
「百香さんはどこに?」
「行ったよ」
物寂しげな様子で言い、素軒は木製コップの水を一気に飲み干す。
「娘も忙しくてな。任務のついでに寄っただけで、また本島に戻っちまった。あの子の力は何人もの命を救うもんで、娘の取り合いが起こっている。はた迷惑もいいところだ」
素軒は笑い飛ばしたが、最後には声が弱まっていった。
「お前さんはどうする? 一晩なら泊めてやってもいいぞ」
「……ありがとうございます。お気持ちだけでも」
夜道は危険だが、時間は限られている。
「そうかぁ。立派だな」
「娘さんのほうが、ずっと立派です」
百香の任務は、アカデミック・オーソリティとしての責務だろう。
どんな傷も元通りにする能力は、あらゆる人間から必要とされている。
たった一つの体で、彼女は応えようとしているのだ。
それでいて、素軒の世話になり続けるわけにはいかない。
「そうだ。ちょっと来てくれ」
素軒はクロの肩を叩くと、そのまま寮の部屋へ案内した。
そこに保管されていたのは、クロの装備だった。
しかし、手元に受け取ると、以前との違いが明らかになった。
今までの戦いで傷ついてきた部分が、精巧に縫われている。
それを見ていると、自分の傷まで繋ぎ止められたように感じた。
「……本当に、ありがとうございました」
「おう。お前さんが元気になってくれて、よかったよ」
◇
装備に着替えたクロは、旅を続ける。
湿った夜の森を踏み出すと、ふと村のことが気になった。
後ろで広がる集落は灯りを消し、明日を迎えようとしている。
ふいに、心臓の鼓動が高まった。
次に来た時には、また滅んでいるかもしれない。
『いっぱい考えても、聞くまで答えは分からないよ』
「……分かりました。百香さん」
クロは体の向きを戻し、先の見えない常闇を見据えた。
答えはどこにも落ちていない。
ならば、自分で創り出すしかない。
「行くよ。ユキ」
クロは鞄の紐を強く握り直し、迷いなくその足を踏み出した。
理不尽が待ち受ける。
そんな世界でも、諦めない。
◇
夜の森を駆け抜いていた百香は、ある木の前で足を止めた。
そこには、正体を暴き立てるように、月明りが降り注いでいる。
木の影から現れた何かを見つめ、百香は口元を綻ばせた。
「……ふふ。まさか、こんなところで会うなんて」




