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ウィッチ・クラフト  作者: 新谷時
season3

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第45話 ご褒美だよ

 夕暮れの山道を、男たちは大量の布袋を担ぎながら進んだ。仕事を終えた達成感から、彼らは晴れやかな顔で談笑している。次のごちそうに期待を膨らませていた。

 列の最後尾では、クロも一日の重みが詰まった布袋を静かに運ぶ。


 奢りとはいえ、まだ子供のクロは参加するつもりがなかった。どのみち、石炭を回収場へ届ける必要がある。後に本島へ届けられるそうだ。

 その後のことは、まだ考えられていない。

「よう、百香ちゃん!」


 不意に、前方から男たちの喜びに溢れた声が聞こえた。

 山道の途中には、百香が夕日を背に立っていた。

「みんなお疲れ。凄い荷物だ」

 彼女が小さく手を振ると、男たちは待ってましたと言わんばかりに彼女を取り囲む。


 しかし、先を急ごうとする班長の声が一喝した。

「おい! 飲むんじゃなかったのか。さっさと行くぞ」

「何かあったの?」

 百香が首を傾げる。

「実は石炭――」

「馬鹿でかい石炭の層を見つけたんだ!」

 別の男が割り込んだ。

「ちょっ! 俺が見つけたのに!」

 手柄を巡って言い争いが始まると、班長はため息交じりに布袋を置き、二人の首根っこを力任せに掴み上げた。


 二人は悶絶した後に降参し、ずるずると歩行を再開する。その様子を見守っていた他の男たちも、危機を感じたように元の列に戻った。

「ざんねん。でも――」

 百香は歌うように呟くと、そのつま先をクロの方へと向けた。


「私が話したいのは、こっち」

 彼女はクロを肉体労働へ放り込んだ張本人だ。

「このあと時間ある?」

「えっと、それなんですが……」


「無理して付き合う必要はないよ」

 百香は男たちの背中を眺めながら言う。

 クロは口をつぐんだが、列の向こうから野次が飛んできた。

「なんだよ! もしかして俺たちよりも百香ちゃんといたいのか?」


「俺たちのご厚意を無下にするのか!」

「そうだ! 男らしくねぇぞ!」

 火がついたように、彼らは一斉に腕を上げて囃し立てた。

 クロは苦笑いを浮かべ、男たちと向き合った。


「行ってきます」

「じゃ、また後で。楽しんできてね」

 彼女の横を通り抜けると、男たちはよくやったと歓声を上げた。

 班長は再び深いため息をついた。


 ◇


「「「乾杯!!」」」

 酒場に到着するなり、男たちはテーブルを囲んで木製のジョッキを打ち鳴らした。


 琥珀色のしぶきが店内に景気よく舞い散る。

 屈強な男たちに挟まれたクロも、流されるままにジョッキを差し出した。幸いにも酒場には茶も提供されていた。

 豪快に酒を煽る男たちに続き、クロも渇いた喉に茶を流し込む。


 やがて、奥から脂の焼ける香ばしい香りが漂ってきた。老店主が運んできたのは、大皿に山盛りになった豪華な豚肉だ。

 我が先にと食らい付く者や、公平に分け合おうとする者、その小競り合いを宥める者。

 酒場は一気に喧騒の渦と化した。


 ようやく自分の分が回ってきたクロは、フォークで肉の端を控えめに切り分け、口に運ぶ。

 漬け込まれた甘い蜜が舌に広がり、噛み応えのある肉の厚みが顎を素早く動かした。それが、疲れた体に染み渡っていく。

 味がする。


 あれほど沈んでいた食欲が、確かな熱を帯て蘇った。

「なんだぁ!? 一口が小せえぞ!」

 ジョッキを揺らした男の一人が、がっしりとクロの肩を掴む。

「男ならもっと豪快にガブりつけや!」


 勢いに押され、クロは料理を丸ごと口に放り込まれた。

「むうぅぅ!」

 溢れ出た肉汁が顎を伝い、クロは涙目になって懸命に肉を噛み砕く。

 ごくりと快い音を立て、ようやく喉の奥へ飲み下した。


「そうそう、それでいい!」

 息を切らすクロの背中を叩き、男が満足げに頷いた。

 その様子を眺めていた別の男が、笑い声に紛れて口を挟んだ。

「その辺にしときなよ。可哀そうだよ」


 さらに別の男が肘を打った。

「懐かしいな。オマエも入ったばかりはあいつに――」

「うるさい」

 その傍らのカウンター席では、班長が静かにジョッキを傾けていた。


 中身はアルコールを抜いた紅色のワインだ。

「これだけ騒がれては、俺もまともに楽しめないな」

「総班長! 奢り、ありがとうございやす!」

「「ごちそうさまです!」」


「……調子のいい奴らめ」

 大仰にため息をつきながらも、口元には笑みが隠し切れなかった。

 宴のような時間は長かった。

 ある男がクロに酒を勧めようとする一幕もあったが、それだけは譲れないとクロは断固の姿勢を見せた。


 口元にジョッキを近付けられたところで、ようやく班長が引き止めてくれた。

 テーブルの上には、次々と料理が並ぶ。パセリの入ったトマトスープや、バターを塗りたくったトウモロコシの丸焼きなど。

 労働を終えた男たちの前では、それらも吸い込まれるように消えていった。


 彼らは各々の人生観を語った。女房の話や、子供時代のこぼれ話。途中で百香の話題も出ていた。

 彼女はこの村の出身で、人気者のようだった。

 クロも全ての話題に追いつけたわけではなく、愛想笑いで過ごすのが大半だった。


 しかし、彼らが語る物語は関心を惹くものばかりだ。

 男たちは何の変哲もない日常を謳歌している。

 永遠に続いてほしい。

 だが、それが叶わなかった日常もある。


 それを、クロは守れなかった。


 ◇


 ラストのメインディッシュである猪の丸焼きを平らげると、男たちは一人、また一人と潮を引くように酒場を後にした。

 彼らには帰る場所がある。


「明日も仕事だ。浮かれてるからって遅刻するなよ」

 酒場を出る間際、班長が釘を刺すように叱りつけたが、酔い潰れた男たちは言葉にならない返事を残した。

 最後の作業員を見送ると、班長は伝票を握りしめて帳場へ向かう。

 待ち構えていた老店主は、散乱した食べかすや椅子を苦々しく見つめた。


「あんなに散らかしよって」

「いつものことだろ。ほら、会計とチップ。これで許せ」

「割に合わないさ」

 少し多めの金貨をカウンターに差し出し、班長は背を向けた。


 入り口の前にいたクロは、彼を呼び止めようとする。正式の作業員になったわけではない。そのことを伝えたかった。

「話は外で」

 班長は歩幅を落とさず、去り際に言い残した。

 取り残されたクロは呆然と固まる。


 ふと我に返ると、老店主に軽く一礼を残し、駆け足で外へ向かった。

「……何か言いたそうな顔だな」

 少し賑やかな夜の戸外。

 酒場の入り口付近に背をもたれた班長は、片目だけでクロを覗き込んでいた。


 乱れた息を整えたクロは、意を決して告げようとする。

「班長。僕は明日――」

「分かっている」

 遮った声には、どこか呆れるような響きがあった。


「素軒さんから聞いた。明日は来なくていい。どうせ百香からの差し金だろうし」

 彼の話は、そこで終わらなかった。

「正直、迷惑だったよ。人手不足は一人増えたところで解決しない。増してや今日限りの奴にいちいち説明するのは、それこそ手間だ。素軒さんや百香の気まぐれに付き合わされたって感想だ」


 その事実が、クロの胸を突き刺す。

 しかし、班長は閉じていた片目を開いた。

「それは最初だけ。それなりに働いてくれた。俺たちの気まぐれにも最後まで付き合ってくれたしな。あいつらも、いつもより楽しそうにしていたよ」


 まだ背中の見える部下たちに、班長は視線を投げた。暗闇の中、彼らは笑い声を上げながら、互いを小突き合っている。

 ふらつく足取りは見ていて耐えられないほどだが、どこか憎めない徒輩たちだ。

「悪いことばかりじゃなかったかな」


 腰に手を当て、班長は満足そうに言い放った。

 言葉を整理するより早く、クロの後ろから儚い声が届く。

「終わったみたいだね」

 神出鬼没に現れたのは百香だった。


 彼女は酒場から漏れ出す光を踏み越え、クロへ歩み寄る。そして、ふわりと身を寄せて鼻先を動かした。

「お酒の匂い。それに、男の人の匂い」

「意味分かって言ってる?」

 班長が苦い顔で言うと、クロたちへ背を向けた。


「俺も帰るわ。貸した作業着は洗って返せよ。そのサイズ探すのに苦労したんだ」

「うん。色々ありがとね」

 班長は片手だけ上げ、建物の影へ消え去ろうとする。

 クロはたまらず足を踏み出し、声を上げた。


「班長! ごちそうさまでした!」

 その言葉が彼に届いたのか、最後まで分からなかった。

 誰もいなくなった夜道を見つめていると、隣から甘い香りが漂ってくる。

「エスコートしてほしいな。私の家まで」


 ◇


「どっちにしようかな。こっちかな」

 家に帰るつもりが、百香は枝分かれした左右の道を見渡す。

 エスコートを頼んだはずのクロを置き去りにし、先頭を気ままに歩いていた。

 自分の家が分からないはずもない。


 彼女の悪戯なのだろう。

 それどころか、集落から離れた森林へ向かっている。

「それとも。こっち」

 不意に、振り向いた百香の視線が、クロを射抜いた。


 熱心に見つめられ、クロは思わず視線を逸らすが、彼女が追うように首を傾げた。

 クロは戸惑いながら、自分の顔を指差す。

「……僕に何か?」

 百香は鼻を鳴らして頷いた。


「心の病気は治りましたか?」

「……分かりません」

 まるで医者のように彼女は尋ねた。

 肉体労働を経て、クロの答えが変わったのか確かめようとしている。


 しかし、労働をしたところで、罪の重さは変わらない。

「じゃあ。心の変化はありましたか」

 口をつぐんだ。

 首を横に振れば、嘘になる。


 今の自分が立っている理由がそれだ。罪は忘れてはならない。

 犯した事実は消えない。

 それでも、あの洞窟で働いていたときは、他のことを考えられる余地などなかったのだ。

 だからこそ、前を向けられた。


 他の人と仕事を成し遂げたい。そう思えたのだ。

「僕は弱いです。何も救えません。でも、考え方はそれだけじゃないって気づかせてくれました。自分なりにやるべきことを果たします」

 罪を背負いながらでも生きていける。


 その答えを受け取った百香は、意外なものを見るかのように目を丸くした。

「びっくり。そこまでいくとは」

 彼女はくるりと背を向け、影の濃い角を曲がる。

「私は体を動かして元気になればいいな、くらいにしか考えてなかったよ。そっか。君はそんな答えに辿り得たんだね」


 深く感心したように、百香は頷く。

「ねえ、一個だけ。クイズいいかな」

 人通りの途絶えた夜道で、彼女が振り返った。

 また理不尽な難題が始まるのかと身構えるクロだったが、次に彼女の口から出た問いは、予想だにしていなかった。


「私は誰でしょう」

 戸惑いながらも、クロは素直に答える。

「百香さん。ですよね?」

「ちょっと惜しい」

「えっと、素軒さんの娘さん?」


「あらら。ずれちゃった」

 クロの反応を楽しむように、彼女は首を傾げた。

「じゃあ。君も出してほしいな。同じクイズ」

「……私は誰でしょう」


 百香は普段のようで、どこか冷たい笑みを零した。

「事代クロくん」

「正解で……」

 肯定しかけた言葉が、喉元で凍り付いた。


 心臓を指先で撫でられたような違和感が、クロの考えを苛める。

 百香は確かに自身の名前を的中させた。

 しかし、クロは彼女に姓名まで明かした覚えはない。

 そもそも、これまでの旅で姓名を明かしたことは一度もなかった。


 なぜ、彼女は知っている。


「君は、脱獄犯」


 それが、クロが彼女に抱いていた既視感の正体だった。


「……あなたは、近江(おおみ)百香さん」

「ぴんぽん」

 彼女もまた、クロに姓名を明かしたことはない。

『私は誰でしょう』

 今なら、あの問いの答えが理解できた。


 アカデミック・オーソリティ書記。近江百香。


 ――政府の人間だ。

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