第45話 ご褒美だよ
夕暮れの山道を、男たちは大量の布袋を担ぎながら進んだ。仕事を終えた達成感から、彼らは晴れやかな顔で談笑している。次のごちそうに期待を膨らませていた。
列の最後尾では、クロも一日の重みが詰まった布袋を静かに運ぶ。
奢りとはいえ、まだ子供のクロは参加するつもりがなかった。どのみち、石炭を回収場へ届ける必要がある。後に本島へ届けられるそうだ。
その後のことは、まだ考えられていない。
「よう、百香ちゃん!」
不意に、前方から男たちの喜びに溢れた声が聞こえた。
山道の途中には、百香が夕日を背に立っていた。
「みんなお疲れ。凄い荷物だ」
彼女が小さく手を振ると、男たちは待ってましたと言わんばかりに彼女を取り囲む。
しかし、先を急ごうとする班長の声が一喝した。
「おい! 飲むんじゃなかったのか。さっさと行くぞ」
「何かあったの?」
百香が首を傾げる。
「実は石炭――」
「馬鹿でかい石炭の層を見つけたんだ!」
別の男が割り込んだ。
「ちょっ! 俺が見つけたのに!」
手柄を巡って言い争いが始まると、班長はため息交じりに布袋を置き、二人の首根っこを力任せに掴み上げた。
二人は悶絶した後に降参し、ずるずると歩行を再開する。その様子を見守っていた他の男たちも、危機を感じたように元の列に戻った。
「ざんねん。でも――」
百香は歌うように呟くと、そのつま先をクロの方へと向けた。
「私が話したいのは、こっち」
彼女はクロを肉体労働へ放り込んだ張本人だ。
「このあと時間ある?」
「えっと、それなんですが……」
「無理して付き合う必要はないよ」
百香は男たちの背中を眺めながら言う。
クロは口をつぐんだが、列の向こうから野次が飛んできた。
「なんだよ! もしかして俺たちよりも百香ちゃんといたいのか?」
「俺たちのご厚意を無下にするのか!」
「そうだ! 男らしくねぇぞ!」
火がついたように、彼らは一斉に腕を上げて囃し立てた。
クロは苦笑いを浮かべ、男たちと向き合った。
「行ってきます」
「じゃ、また後で。楽しんできてね」
彼女の横を通り抜けると、男たちはよくやったと歓声を上げた。
班長は再び深いため息をついた。
◇
「「「乾杯!!」」」
酒場に到着するなり、男たちはテーブルを囲んで木製のジョッキを打ち鳴らした。
琥珀色のしぶきが店内に景気よく舞い散る。
屈強な男たちに挟まれたクロも、流されるままにジョッキを差し出した。幸いにも酒場には茶も提供されていた。
豪快に酒を煽る男たちに続き、クロも渇いた喉に茶を流し込む。
やがて、奥から脂の焼ける香ばしい香りが漂ってきた。老店主が運んできたのは、大皿に山盛りになった豪華な豚肉だ。
我が先にと食らい付く者や、公平に分け合おうとする者、その小競り合いを宥める者。
酒場は一気に喧騒の渦と化した。
ようやく自分の分が回ってきたクロは、フォークで肉の端を控えめに切り分け、口に運ぶ。
漬け込まれた甘い蜜が舌に広がり、噛み応えのある肉の厚みが顎を素早く動かした。それが、疲れた体に染み渡っていく。
味がする。
あれほど沈んでいた食欲が、確かな熱を帯て蘇った。
「なんだぁ!? 一口が小せえぞ!」
ジョッキを揺らした男の一人が、がっしりとクロの肩を掴む。
「男ならもっと豪快にガブりつけや!」
勢いに押され、クロは料理を丸ごと口に放り込まれた。
「むうぅぅ!」
溢れ出た肉汁が顎を伝い、クロは涙目になって懸命に肉を噛み砕く。
ごくりと快い音を立て、ようやく喉の奥へ飲み下した。
「そうそう、それでいい!」
息を切らすクロの背中を叩き、男が満足げに頷いた。
その様子を眺めていた別の男が、笑い声に紛れて口を挟んだ。
「その辺にしときなよ。可哀そうだよ」
さらに別の男が肘を打った。
「懐かしいな。オマエも入ったばかりはあいつに――」
「うるさい」
その傍らのカウンター席では、班長が静かにジョッキを傾けていた。
中身はアルコールを抜いた紅色のワインだ。
「これだけ騒がれては、俺もまともに楽しめないな」
「総班長! 奢り、ありがとうございやす!」
「「ごちそうさまです!」」
「……調子のいい奴らめ」
大仰にため息をつきながらも、口元には笑みが隠し切れなかった。
宴のような時間は長かった。
ある男がクロに酒を勧めようとする一幕もあったが、それだけは譲れないとクロは断固の姿勢を見せた。
口元にジョッキを近付けられたところで、ようやく班長が引き止めてくれた。
テーブルの上には、次々と料理が並ぶ。パセリの入ったトマトスープや、バターを塗りたくったトウモロコシの丸焼きなど。
労働を終えた男たちの前では、それらも吸い込まれるように消えていった。
彼らは各々の人生観を語った。女房の話や、子供時代のこぼれ話。途中で百香の話題も出ていた。
彼女はこの村の出身で、人気者のようだった。
クロも全ての話題に追いつけたわけではなく、愛想笑いで過ごすのが大半だった。
しかし、彼らが語る物語は関心を惹くものばかりだ。
男たちは何の変哲もない日常を謳歌している。
永遠に続いてほしい。
だが、それが叶わなかった日常もある。
それを、クロは守れなかった。
◇
ラストのメインディッシュである猪の丸焼きを平らげると、男たちは一人、また一人と潮を引くように酒場を後にした。
彼らには帰る場所がある。
「明日も仕事だ。浮かれてるからって遅刻するなよ」
酒場を出る間際、班長が釘を刺すように叱りつけたが、酔い潰れた男たちは言葉にならない返事を残した。
最後の作業員を見送ると、班長は伝票を握りしめて帳場へ向かう。
待ち構えていた老店主は、散乱した食べかすや椅子を苦々しく見つめた。
「あんなに散らかしよって」
「いつものことだろ。ほら、会計とチップ。これで許せ」
「割に合わないさ」
少し多めの金貨をカウンターに差し出し、班長は背を向けた。
入り口の前にいたクロは、彼を呼び止めようとする。正式の作業員になったわけではない。そのことを伝えたかった。
「話は外で」
班長は歩幅を落とさず、去り際に言い残した。
取り残されたクロは呆然と固まる。
ふと我に返ると、老店主に軽く一礼を残し、駆け足で外へ向かった。
「……何か言いたそうな顔だな」
少し賑やかな夜の戸外。
酒場の入り口付近に背をもたれた班長は、片目だけでクロを覗き込んでいた。
乱れた息を整えたクロは、意を決して告げようとする。
「班長。僕は明日――」
「分かっている」
遮った声には、どこか呆れるような響きがあった。
「素軒さんから聞いた。明日は来なくていい。どうせ百香からの差し金だろうし」
彼の話は、そこで終わらなかった。
「正直、迷惑だったよ。人手不足は一人増えたところで解決しない。増してや今日限りの奴にいちいち説明するのは、それこそ手間だ。素軒さんや百香の気まぐれに付き合わされたって感想だ」
その事実が、クロの胸を突き刺す。
しかし、班長は閉じていた片目を開いた。
「それは最初だけ。それなりに働いてくれた。俺たちの気まぐれにも最後まで付き合ってくれたしな。あいつらも、いつもより楽しそうにしていたよ」
まだ背中の見える部下たちに、班長は視線を投げた。暗闇の中、彼らは笑い声を上げながら、互いを小突き合っている。
ふらつく足取りは見ていて耐えられないほどだが、どこか憎めない徒輩たちだ。
「悪いことばかりじゃなかったかな」
腰に手を当て、班長は満足そうに言い放った。
言葉を整理するより早く、クロの後ろから儚い声が届く。
「終わったみたいだね」
神出鬼没に現れたのは百香だった。
彼女は酒場から漏れ出す光を踏み越え、クロへ歩み寄る。そして、ふわりと身を寄せて鼻先を動かした。
「お酒の匂い。それに、男の人の匂い」
「意味分かって言ってる?」
班長が苦い顔で言うと、クロたちへ背を向けた。
「俺も帰るわ。貸した作業着は洗って返せよ。そのサイズ探すのに苦労したんだ」
「うん。色々ありがとね」
班長は片手だけ上げ、建物の影へ消え去ろうとする。
クロはたまらず足を踏み出し、声を上げた。
「班長! ごちそうさまでした!」
その言葉が彼に届いたのか、最後まで分からなかった。
誰もいなくなった夜道を見つめていると、隣から甘い香りが漂ってくる。
「エスコートしてほしいな。私の家まで」
◇
「どっちにしようかな。こっちかな」
家に帰るつもりが、百香は枝分かれした左右の道を見渡す。
エスコートを頼んだはずのクロを置き去りにし、先頭を気ままに歩いていた。
自分の家が分からないはずもない。
彼女の悪戯なのだろう。
それどころか、集落から離れた森林へ向かっている。
「それとも。こっち」
不意に、振り向いた百香の視線が、クロを射抜いた。
熱心に見つめられ、クロは思わず視線を逸らすが、彼女が追うように首を傾げた。
クロは戸惑いながら、自分の顔を指差す。
「……僕に何か?」
百香は鼻を鳴らして頷いた。
「心の病気は治りましたか?」
「……分かりません」
まるで医者のように彼女は尋ねた。
肉体労働を経て、クロの答えが変わったのか確かめようとしている。
しかし、労働をしたところで、罪の重さは変わらない。
「じゃあ。心の変化はありましたか」
口をつぐんだ。
首を横に振れば、嘘になる。
今の自分が立っている理由がそれだ。罪は忘れてはならない。
犯した事実は消えない。
それでも、あの洞窟で働いていたときは、他のことを考えられる余地などなかったのだ。
だからこそ、前を向けられた。
他の人と仕事を成し遂げたい。そう思えたのだ。
「僕は弱いです。何も救えません。でも、考え方はそれだけじゃないって気づかせてくれました。自分なりにやるべきことを果たします」
罪を背負いながらでも生きていける。
その答えを受け取った百香は、意外なものを見るかのように目を丸くした。
「びっくり。そこまでいくとは」
彼女はくるりと背を向け、影の濃い角を曲がる。
「私は体を動かして元気になればいいな、くらいにしか考えてなかったよ。そっか。君はそんな答えに辿り得たんだね」
深く感心したように、百香は頷く。
「ねえ、一個だけ。クイズいいかな」
人通りの途絶えた夜道で、彼女が振り返った。
また理不尽な難題が始まるのかと身構えるクロだったが、次に彼女の口から出た問いは、予想だにしていなかった。
「私は誰でしょう」
戸惑いながらも、クロは素直に答える。
「百香さん。ですよね?」
「ちょっと惜しい」
「えっと、素軒さんの娘さん?」
「あらら。ずれちゃった」
クロの反応を楽しむように、彼女は首を傾げた。
「じゃあ。君も出してほしいな。同じクイズ」
「……私は誰でしょう」
百香は普段のようで、どこか冷たい笑みを零した。
「事代クロくん」
「正解で……」
肯定しかけた言葉が、喉元で凍り付いた。
心臓を指先で撫でられたような違和感が、クロの考えを苛める。
百香は確かに自身の名前を的中させた。
しかし、クロは彼女に姓名まで明かした覚えはない。
そもそも、これまでの旅で姓名を明かしたことは一度もなかった。
なぜ、彼女は知っている。
「君は、脱獄犯」
それが、クロが彼女に抱いていた既視感の正体だった。
「……あなたは、近江百香さん」
「ぴんぽん」
彼女もまた、クロに姓名を明かしたことはない。
『私は誰でしょう』
今なら、あの問いの答えが理解できた。
アカデミック・オーソリティ書記。近江百香。
――政府の人間だ。




