第44話 汗水たぎる坑道
「お前ら見ろよ。新入りだってさ」
分厚い作業着を着せられたクロは、屈強な男たちに囲まれた。
「弱っちそうだな。役に立つのか?」
「いいさ。ムキムキの男になれるチャンスだ。感謝しろ」
「おい、名前は?」
「ク、クロです」
クロは山麓を越えた先の地点に投げ出された。まるで獲物を囲むように寄せ集まる男たちを前に、クロは怯え切った小動物のように、激しく身を震わせることしかできない。
男たちの豆だらけの手が、クロの背中を叩き、どこかへ招く。
拠点の先では、底の見えない常闇の洞窟が、巨大な口を開いて待ち構えていた。深淵からは岩を砕く反響音が絶え間なく聞こえてくる。
灯りが全くない。暗いのは苦手なのに。
「もっとシャキシャキ歩けや!」
「は、はい!」
後ろから跳んできた怒号に、クロは反射的に背筋を伸ばし、つるはしを落とさないように強く握りしめた。
どうして、こんなことに。
クロは事の顛末を思い出す。
『心を治す方法はね。体を動かすことだよ。お日様を浴びたり、運動をしたり。怪我しちゃったら、私が治せるから、問題なし』
拠点に押し出される前、百香はそれだけを言い残した。言い出しっぺの彼女は、当然のように洞窟にいない。
自分も来ないのかと尋ねたとき、彼女は未だかつてない満足げな笑みを見せた。
――だって。私、女の子だし。
「それは、そうですけど!」
「なんか言った?」
「やかましいぞ!」
「す、すみません」
洞窟の階段を歩く中、再び男たちを怒鳴らせてしまうのだった。
大空洞に作られた螺旋状の坑道には、いくつもの松明が固定されている。しかし、その炎は弱々しく、進路を指し示す程度の役割しか果たしていない。
足元すら視界がままならなかった。
不意に、階段が途切れる。転びそうになるのを必死に堪えた。
目を凝らしてみると、闇の奥に人影が動いていた。
彼らは巨大な道具を掲げ、何度も地面へ叩きつけている。山麓でも見た光景だが、その数は比ではなかった。
事前に素軒から説明があった。ストレリチア村はカルミア島における資源の要であり、石炭などを本島へ輸入している。
その引き換えである資金や食料などを家族へ届けるため、彼らは日々奮闘していた。
「ABC班現着! DEF班は休憩! すみやかに休憩場に戻れ!」
班長の掛け声により、岩石を穿つ音が一斉に止まった。
彼らは流れるような動作で、交代の班と入れ替わっていく。
暗闇の中、忙しなく足音。一糸乱れない動きに、クロは目を奪われた。
そのとき、クロの足先が何かを突いた。
何も見えない。
だが、足元に何かあった。
「お前。蹴ったのか? どこにやった!?」
「それ目印だぞ!」
「えっ?」
それは、交代先の班へ作業位置を引き継ぐための目印だった。クロは無意識のうちに暗闇へ追いやってしまったのだ。
「そんなこと知らな――」
「この現場じゃ常識だ! もういい。お前がそこに立ってろ」
「誰がこいつ連れてきたんだ?」
「どうせ素軒さんだろ。それか百香ちゃん」
迷惑をかけた罪悪感と、教わっていないことで罵られる理不尽さ。二つの感情に苛まれながら、クロは重いつるはしを頭上へ掲げた。
他の作業員たちは目印を探し回っている。
「何も見えない。班長! 炎魔法頼んます!」
「無駄な消費だ。自力で探せ」
「やっぱランタン仕入れたほうがいいですって」
「今月のノルマが終わるまで待て。何度も言ってるだろ」
そんなやり取りを耳にしながら、クロはひたすらに手を動かした。
先人たちの労働によって削り取られた岩肌は、光源のない暗闇でも分かるほど漆黒に染まっている。足元一面に石炭の層が広がっていた。
硬い岩につるはしを叩きつけるたび、小さな破片が弾け飛ぶ。
しかし、わずか四回繰り返しただけで、手のひらに焼けるような痛みが走った。
「手を止めるな」
隣で作業していた男が、ひっそりと耳打ちしてきた。
「終わるのはあっという間だから」
そのわずかな優しさに、クロは救われる。つるはしを握り直し、再び岩肌へ叩きつける。事代家での過酷な訓練で、似たような辛苦を何度も味わってきたはずだ。
あのときの感覚を思い出せ。
その一心だった。
かなりの時間が経過したように感じた頃。ついに体力の限界を迎えたクロは、隣の男に声をかけた。
「あの、交代までどれくらいですか?」
「ん? あと三時間半くらいあるけど」
男は額の汗を拭いながら、事もなげに言った。
心の中で、短い悲鳴が通り過ぎた。
それからの労働は、まさに地獄そのものだった。交代までの時間は果てしなく遠い。
肩がちぎれそうな激痛に耐えながら、鉛のように重たいつるはしをがむしゃらに振り下ろす。
ほんの数秒、体をほぐそうとするだけで、すぐさま横から怒号が飛んできた。休憩なども存在せず、つるはしを叩きつけたわずかな時間で、体力を戻すしかなかった。
時間の感覚も狂い、永遠のように感じる。
ようやく半分の時間を乗り越えた頃。
「なんだこれ!? たったこんだけか?」
石炭の採掘量を検分した男が、絶句したように叫んだ。クロが死に物狂いで掘り起こした量は、他の作業員の半分にも満たなかったのだ。
男たちの逆鱗に触れ、遂にはつるはしを取り上げられてしまう。
新たに命じられたのは、地上から空の布袋を運ぶ作業だった。
採掘の時間から解放されたが、決して楽にはなっていない。足元が安定しない急斜面の階段を全力で駆け上がり、袋の束を抱えて戻る。
さらには石炭を詰め終えた重い袋を、再び地上へ運ばなければならない。
「遅い。もっと早く動けるだろう」
「拾い残しがあるぞ! さっさとしろ!」
もはや石炭を掘ることよりも、新入りのクロを追い立てることに男たちの関心は向いていた。
二時間の採掘で限界を迎えていた足腰に、階段の往復が追い打ちをかける。
手の震えが止まらない。動けていること自体が奇跡だった。
他のことを考えている暇もない。
弱音を吐き出すように喘ぎながら、その動作を繰り返した。
「お? 今度は早いじゃねーか」
あるとき、クロは作業中の男に言われる。
褒められたのは、この瞬間が初めてだった。
「おいお前ら! ちょっと来てくれ!」
そのとき、ある地点で作業していた男が、全員を呼び集めた。
「なんだ? まだ仕事中だぞ」
「いいから来てくださいよ。びっくりさせるもんがあるんだって」
班長が忌々しげに舌を打つ。
「大したことなかったら、お前の業務を増やしてやる」
「それ、あんたも付き合わないといけないやつっすよ」
軽口を叩く男を無視して、班長が前に出る。
足元から広がる漆黒の層を目の当たりにし、彼は目を丸くした。
「……これは、なるほどな」
「たまたま見つけたんだ。みんなでここを掘ろう。ちまちま叩くよりも効率がいいだろ。それにほら。全体がひび割れてるから柔いぞ」
そう言いながら、男はつるはしで表面を叩く。鋭い音を放ち、暗闇の中で光を放つ破片が欠け落ちた。
班長は値踏みするように顎をさすると、即座に周りの作業員へ掛け声を上げる。
「残りの時間で、この層を掘り尽くす! 今何人いる? 号令!」
「一!」
彼の声に応じ、男たちが次々と手を挙げた。
「十二!」
そこで、声が止まる。
全員の点呼が終わったはずだが、男たちの視線が一点に集中した。
まだ手を挙げていないクロが、注目の的になっていた。
「……じゅう、さん?」
おずおずと手を挙げると、班長が威勢よく手を叩いた。
「よし十三だな! 時間までに掘り終えたら、全員俺の奢りだ!」
その一言に、坑道は歓声に包まれた。
「クロは袋詰めを続けろ。急げ!」
班長の指示に、クロは弾かれたように返事をして駆け出した。
――名前を、覚えていてくれた。
拠点から布袋を運ぶ。しかし、降りた先では既に大量の石炭が転がっていた。
たった一瞬で小盛りの山が積み上がっている。
今までひと袋ずつ抱えていたが、これでは回収が間に合わない。
ならばどうするか。二つ以上の袋を同時に持っていく。
指が滑る。
袋の重量でよろめく。だが、苦戦すれば意味がない。一つだけ抱えていたときと同じか、それ以上の速度で運搬する。
できないとは思わなかった。
男たちは獲物を食らうように気前よく掘り進める。瞬く間に弾け飛ぶ石炭を、クロは何度も手を伸ばして素早く袋に詰めた。
以前とは比較にならない忙しさだ。
しかし、不思議なことに、体力の消耗が少なく感じられた。
「ラストスパートだ! もっと気合を入れろ!」
その声に、十三人の雄たけびが重なった。
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