第40話 咲き乱れる仇花
バケモノは咆哮を上げる。新たな獲物を発見すると、鷲掴みにした瓦礫に炎を込め、灼熱の岩弾を投げ飛ばした。
本来なら動けないはずの体で、クロは駆け出す。迫り来る瓦礫に合わせて魔器を振るいながら、バケモノへ接近する。炎に切断された瓦礫が、火花を放ちながら四散する。
そして、クロはバケモノの目前まで踏み込んだ。猛々しい虎の姿をしていても、人間の原型を留めている。肥大化した頭部に対し、首筋は細かった。苦しみを与えずに倒すなら、一撃で首を切断するしかない。
バケモノは丸太のような拳を掲げ、クロへ振り下ろした。その一撃は地面を砕く。クロは横へ躱し、そのまま駆け出した。村から離れようと企てるが、背中を捉えたバケモノが許さない。
奴が跳び込むと、クロは再び道を曲がった。バケモノは地面を滑りながら追いかけてくる。しかし、クロの姿を見失った。村から遠ざかり、平原を駆け抜けたクロは、魔器の炎を消して闇夜に姿をくらましたのだ。
せめて、千里のいる場所からバケモノを引き離す。次の瞬間、隕石が落ちたような衝撃が、真横で轟いた。常闇に紛れていたはずのクロの姿が、燃え盛るバケモノの光に晒される。
両者の攻撃が衝突し、強烈な火花が散った。
まるで人形のように、クロの体が軽々と弾き飛ばされる。再び炎を宿した魔器の一撃でも、力の差が歴然としている。やはり、この平地では勝算がない。バケモノは再び獲物を見失う。
逃げ込むようにクロが目指したのは、森林だった。木の陰からなら、敵に気づかれずに首を狙える。後ろからの奇襲でなければ倒せない。バケモノのまとった炎が森に引火するかもしれないが、切り捨てるしかなかった。
いずれ、政府の人間が消火にやってくるはずだ。
クロの頬を、弾丸がかすめた。
その土塊は遠くの地面を削る。振り向けば、バケモノは硬い土層を抉り取り、あらゆる方向へ向かって投擲していた。
投石は止まらない。炎をまといながら投げ飛ばされた弾幕は、周囲の地面は疎か、森林の根元さえ削っていく。
入り口の木が軋み、今にも倒れようとしていた。林道が塞がれてしまう。クロは魔器の柄を握りしめ、足に力を込めた。子どもの小さな足が、地面を踏み砕く。
蹴り飛ばすと同時にクロの体が跳躍し、奥地まで飛び移った。その直後、岩石が直撃した木が転倒する。燃え尽きる倒木を背に、クロは林道を登った。
やがて、二手に分かれた道へ辿り着く。奥へ進めば崖が立ちふさがる。選ぶべき道は決まっていた。クロはとっさに右を向く。
ほんの一瞬、迷いが時を止めた。
――この川は。
もーっ! やったな!
だから、俺がちゃんとしないと。
「……あぁ」
バケモノが倒木を突き破った騒音が、クロの意識を引き戻した。足を動かすしかない。クロは川辺を突き抜ける。後から現れたバケモノが四肢を激しく動かし、隣の川水を消し飛ばした。
直進していたクロは、隣の木に隠れる。バケモノは爪を立て、その木を抉った。柱を失った木の影には、クロの姿がない。
バケモノの背後へ飛び移り、クロは魔器を掲げた。無数に生えている木々に隠れながら、彼を倒す。
――攻撃は間に合わなかった。魔器の炎が立ち昇る前に、クロは裏拳を受ける。空中へ飛び移っていたクロは支えを失い、そのまま木の葉まで殴り飛ばされた。
手足が枝に絡まる。身動きが取れない。
バケモノの攻撃。木の葉が粉々に砕け、クロが巻き込まれる。
「アアァッ!」
木片もろとも、クロは血を流しながら森林へ投げ飛ばされた。
バケモノは燃え盛る獄炎と共に、森林を突き抜ける。至る所に生えている樹木を枯れ枝のように粉砕し、瀕死の獲物へ迫った。
回避が遅れる。地に伏せるクロは、触れる手を起こす。
そして、炎に宿した魔器を、地面へ叩きつけた。その反動で体が弾き飛ばされ、頭上の枝を掴む。突進したバケモノの熱が、足の爪先を横切った。
クロは枝の上に移ると、魔器を掲げながら蹴り飛ばす。
突進の余勢で立ち止まったバケモノを狙う。今度こそ届くはずだったが、バケモノの必死な抵抗により、その一撃が弾かれた。
何度でも首を狙う。宙を舞うクロは、木の影に身を潜める。
獲物を探ろうと、バケモノは木々を破壊していく。次第にその音が遠のいていった。先には何もない。やがてこちらへ引き返してくるはずだ。そのときに、決着をつける。
バケモノの動きが止まる。一瞬、何も聞こえなくなった。やがて、突風のような音が耳を刺す。クロは木影から顔を覗かせ、バケモノの様子を確かめた。
「――ヒッ!」
口に咥えられている炎弾が、強烈な光を放っている。光の強さは留まることを知らず、白昼と錯覚するほどの灯りを生んだ。自分の意識さえ吸い込まれそうな強大な力が、一点に収束していく。
バケモノはそれを飲み込んだ。束の間の闇夜が帰る。
――大きいのが来る。
バケモノの口から、夥しい熱風が咆哮と共に放たれた。近くの樹木を瞬く間に溶かし、そこから広がる森林を燃やし尽くしていく。逃げ場を潰す熱波が、クロの目前まで迫った。
魔器では、防御のしようがない。何もできず、クロは助けを乞うように目を瞑るしかなかった。
波動が直撃し、左右に生えていた木が跡形もなく消し飛ばされる。
「……え?」
だが、クロだけは無事だった。
バケモノの咆哮に紛れて聞こえる、もう一つの叫び声。
人を傷つけることしか知らなかった少女の音波。
「――ユキ!」
クロの憎しみが創り出した怨霊。純白の衣装をまとったユキが、この戦火を舞う嵐の中で、宿主の想いに応えて顕現したのだ。
地形すらも蒸発するバケモノの熱風。あらゆるものを破壊するユキの音波が衝突する。
その威力はユキが圧倒的だったが、距離が狭く、奥のバケモノには届かない。攻撃を防ぐのが限界だ。
熱風の勢いは止まらない。バケモノの咆哮が絶え間なく響き続ける。
辺りの地形は原型を留めておらず、クロの背後から続く森林すらも焼き焦がれている。ユキは叫び続ける。その力が、少しずつ弱まっていく。
「……ユキ! 負けるな!」
傾いていくユキの小さな体を、クロが抱き留めた。それが、ユキに力を与える。宿主であり、もう一人の自分であるクロを守るために。その音波は、より強大になっていった。
彼女に負けず、バケモノも叫び続ける。
「――ァ」
ある瞬間、ユキの声が途絶えた。バケモノの攻撃が、同時に止まる。
「ユキ!」
倒れ込む少女の体を、クロはとっさに受け止めた。
「ご主人様……」
役に立てたのだろうか。そう確かめるように、か弱い声を漏らした。力を使い果たしたユキの体が、驚くほどに軽く感じてしまう。
クロは頷く。
「うん。ありがとう。ユキ」
ゆっくり休んで。その言葉を聞いたユキは、安心したように目を瞑る。
そして、影となってクロの足元へ溶け込んでいった。クロは現実へ戻る。
緑豊かな自然は、今では焦土と化していた。熱に抉られた地面からは、溶岩のような火花が浮き出てくる。
草木は燃え尽くされ、灰塵すら残されていなかった。バケモノが、そこにいる。二人の影が大地で対峙した。隠れられるものもない。
バケモノが爪を掲げると、対するクロは魔器を構えた。バケモノはその体勢のまま、膝を折った。力を使い果たしていたのは、あのバケモノも同じだった。
――隙が生まれた。
クロは熱を帯びた砂を踏みしめ、魔器に力を集中させる。立ち昇る炎。
分散する魔材を一点に収束させていく。炎が加速していき、火力が極限まで練り上げられる。
やがて一つの線となる。まるで朝焼けの稜線のように、魔器は白い光を帯った。
バケモノの姿が、視界で拡大していく。声が聞こえた。苦痛に溺れる幼い声。
殺したくない。その迷いを、クロは断ち切った。
狼狽するバケモノの影に、クロの足が届く。
「川良!」
自分のことは、忘れても構わない。
それでも。
「――お姉さんのことだけは、思い出して!」
声が響く。
白銀の一閃が、川良の命を駆け抜けた。




