第36話 迫り来る鬼気
「にしても、こいつはいいや」
進路を妨げる岩石を紙のように叩き切りながら、川良は得意げに言う。その後ろでは、クロが枝を抱えながら同行していた。
「邪魔なものが全部切れる。本当に貰っちゃダメなの?」
「ごめんね。大事な人から頂いたんだ」
「そいつってどこにいる? 俺でも貰えるよな」
「……いや、やめたほうが身のためかな」
「なんでだよ」
理由は話せなかった。クロは一度、工房の彼と敵対したのだ。工房に無断で足を踏み入れた自分に非があり、彼が子供を無差別に殺すとも思えない。それでも、一人で向かわせるのは危険だ。
「その人も忙しいみたいで」
「ちぇ。自分だけ得しやがって」
否定できず、クロは謝るしかなかった。
洞窟を進んでいくにつれ、入り口から差し込める外光が遠のいていく。道中には苔や花などの植物が生えているが、目的である薬草は見つからない。
「そろそろ戻る? 何も見えなくなってきたよ」
魔器なら照らせるが、川良の手中にある。
「薬草は? 見つけてねーだろ」
「そうだけど、何も見えないんじゃ……」
もはや何も見えなくなり、自分の声が常闇に吸い込まれる。
すると、前から聞こえていた足音が消えた。
「そのための枝だ。ちょっと貸せ」
川良は魔器を脇に抱え、クロが肌身離さず持っていた枝を取り上げた。彼は洞窟の冷たい空気を吸い込み、流れが揺れ動いた。
暗闇に染まった空洞に、一筋の光が生まれる。
「ファイヤー・クラフト。えっと、なんて言ったっけ」
「……スピリットフレイム」
クロが後を継ぐように呟いた。
「詳しいんだな」
揺れる炎の塊を見つめ、川良はしばらく黙り込む。
「……そうか。オマエ、フリージア島の人間か」
吐き捨てるような言葉と共に、火力がわずかに強まった。
クロは固唾を呑む。アネモネ村の住民は、本島の人間を嫌っている。理由は分からないが、川良も同じならば今後に響く。
「今更どうでもいいか。とっとと見つけて帰るからな」
しかし、川良は頓着せずに鼻を鳴らした。
彼は手のひらの炎を、枝の先端へ移した。遠隔で火力を調整し、木の枝に定着させると、自分の支配から熱を切り離す。
魔材から生まれた現象は、宿主の支配から逃れると、存在を維持できなくなる。性質は元の現象に依存するため、炎の場合は延焼によって自立が可能だった。
「オマエは照らす係な」
「え、うん」
手渡された松明を、クロは戸惑いながら掲げる。ようやく視界が明瞭になったが、炎は木の枝を侵食していき、クロの指先に熱が迫った。時間は限られている。
さらに奥へ進むと、道が二手に分かれた。左の通路は入り口が広大で、雑草が生い茂っている。もう一方は何もない小さな岩窟が伸びていた。
炎の寿命を考えると、選べる道は一つだろう。
「……もっと枝持ってくれば良かったな」
松明の光を見つめ、川良が深くため息をつく。
「まあいいや。どっちにあるかなんて一目瞭然だし」
川良は迷うことなく、雑草の多い左の道を進もうとした。クロがその後を追いかけようとした瞬間、松明の炎が揺れる。
そして、クロはあることに気づいた。
「ちょっといいかな」
「なに? 急いでんだけど」
「そっちに薬草はないと思う」
確信を含んだ言葉に、川良は不機嫌そうに声を伸ばした。
「こっちは草がたくさんあんのに?」
「理由は説明できる。ひとまず戻ってきてほしい」
納得がいかないまま、川良は小言をぼやきながら戻ってきた。
「絶対こっちにあると思うんだけど」
「気持ちは分かるよ。でも、今だけは僕を信じてほしい」
「何もなかったらただじゃおかねーからな」
今度はクロが先頭に立ち、松明を掲げた。一見すると不毛な道を、クロは迷いのない足取りで進んでいく。
「さっきの道は、植物がたくさん生い茂っていたよね」
燃え盛る炎で足元を照らしながら、背後の川良に語り掛ける。
「それは、光が届いているからだと思う。入り口に立ったとき、炎が揺れたんだ。外の風が入り込む穴があるんじゃないかな」
「それ関係なくね? どのみち薬草あるかもしんないじゃん」
「でも、植物は生きるために栄養を奪い合うんだ。あんなに雑草が密集すれば、薬草は枯れちゃうし、大事な栄養も薄れる。それに、風が通る場所だと、小動物が寄ってくるからね」
つまり、左の道は生存競争が激しいのだ。
「抜け道のない暗闇の空間だと――」
岩壁に行き当たったクロが、その隅をそっと照らし出した。
そこには、一株の清廉な薬草が、外の世界の喧騒から逃れるように静かに佇んでいた。
「うん。ここなら誰にも見つからないね」
「……やるじゃん」
まさか本当に見つけられるとは夢にも思わず、川良は素直に感心した。それだけではない。これほどの大きさに、炎に赤く照らされても伝わる緑の濃さ。どの薬草よりも栄養価が高いだろう。
これなら、姉の風邪もほどなく回復する。
「お姉さんに届けてあげよう」
「分かってるから」
川良は薬草の根元を掴み、地面から引き抜いた。地中の奥深くまで根を張っていたらしく、根元の土が大きく崩れ落ちる。
「じゃあ、外に戻ろうか」
クロが振り向いた瞬間、足元から水が跳ねるような音が響く。
次の瞬間、薬草を引き抜いた穴から、勢いよく飛沫が噴き出した。弾け飛んだ水気がクロたちを直撃し、松明の光が消える。
密閉された岩窟に、二人は一瞬にして光を奪われた。
「や、やばくね!? 水が!」
足元が冷たい水に浸されていく。視界を失った恐怖に、クロの心音も早鐘を打ち始める。悲鳴がこぼれそうになった瞬間、服の裾を強く掴む手があった。
「お、溺れる! なんとかしろよ!」
それは、ひどく怯え切った少年の悲鳴だった。自分よりも歳が低い子供が、震えながら自分に助けを求めている。
――自分が怯えてどうする。
クロは深く息を吐き出すと、足裏の感覚を研ぎ澄ませて地面を探った。
「落ち着いて。水はまだ浅いよ。大丈夫」
幸いにも、穴から溢れてくる水の勢いは弱まっていた。空間を完全に満たすまで、まだ猶予がある。来た道も塞がっていない。
「でも、いずれ溺れちゃう。さっきみたいに炎を創れる?」
来た道は複雑に入り組んでいる。灯りなしに脱出するのは至難の業だ。
川良は返事もできず、暗闇に向かって震える片手をかざした。火花が散るものの、形を成す前に消えてしまう。いくら繰り返しても、完全な炎を紡ぎ出せなかった。
時間は止まらない。足元の水嵩が増していく。
「だ、ダメだ。どうしよう。で、でき――」
舌を震わせ、肩を激しく上下させる。
「……川良くん」
クロは必死に絞り出した温厚な声で、彼の名を呼んだ。
「その武器を、渡してほしい」
彼はずっとクロの魔器を握りしめていた。
「な、なんで今!」
「お願い。僕を信じて」
この状況で抵抗を続けるわけもなく、川良は大人しく従う。
クロの手のひらに、ようやく懐かしい感触が戻ってきた。クロは自分の傍らに川良を寄せると、虚空へ魔器を構える。
神経を研ぎ澄ませ、彼の熱を体に馴染ませる。
次の瞬間、轟音と共に魔器から巨大な火柱が噴き上がった。
「ここから出るよ。僕の手を掴んで」
魔器を片手に持ち直し、クロは迷いなく背後へ手を伸ばす。
「さあ」
「……うん」
その手を、川良は強く掴み返した。
クロは小さな手を導きながら、狭い洞窟の道を進んでいく。魔器の炎が、すぐ近くにある顔の皮膚を焼きそうになる。後ろからは濁流のうねりが飛沫と共に迫っていた。
――早く、もっと早く。
焦りが思考をかすめた瞬間、呼応するように魔器の炎が大きく揺らぎ、消えそうになった。一瞬の暗転。後ろの川良がバランスを崩し、激しい水の流れに足を奪われかける。
「うわっ!」
「か、川良くん、離さないで!」
落ち着け。気をしっかり持て。
クロは自分を鼓舞し、荒くなる呼吸を無理やり整えた。安定した熱が迫る飛沫を焼き、闇を掻き消す。重い水圧に抗いながら、一歩ずつ、着実に足を運ぶ。
やがて、二人は転がるようにして出口まで辿り着いた。
緊張が解け、魔器の炎が消える。後ろでは行き場を失った濁流が波を打っていたが、もう足元を攫うことはなかった。
「……川良くん。大丈夫?」
後ろを振り向くと、洞窟の暗闇からかすかに影が浮かび上がる。川良は濡れた地面に手をつき、力なく項垂れている。
「怖かった」
弱々しい声で、本心を漏らした。
クロも膝をつき、震える少年の肩を支える。
「もう大丈夫。頑張ってね」
すると、川良は涙を無理やり飲み込むように、甲高く唸った。
「優しくすんなよ」
彼は立ち上がり、慰めようとするクロの手を拒んで横切った。
しかし、数歩にも満たないうちに足が止まる。彼の膝は長老のように震えていた。
「……ごめん。一緒に来て」
クロは優しく微笑み、再び魔器を灯した。
穏やかな熱が、二人の足元を包み込む。危機が去った洞窟を、肩を並べながら進んでいく。彼が魔器を取り返そうとすることはなかった。薬草も彼のポケットの中にある。
あれほど毒ついていた川良も、クロの腕を離さなかった。
◇
しばらくして、ようやく洞窟の出口が見えてきた。
久しぶりの外に、二人は目を凝らす。逆光のせいで景色は釈然としないが、奥には緑豊かな森林が広がっている。川良を村へ送り届けた後は、遺跡を巡る旅を再開する。
そんなことを考えていると、預けられていた重みが消えた。
「もう大丈夫。一人で歩けるから」
川良は繋いでいた手を離し、クロを追い越すようにして前へ出た。光の指す出口へ向かって、早々に足を運んでいく。
洞窟に響く足音が、川良のものだけになった。
「……おい。なんで歩かないんだよ」
立ち止まった川良が、不審そうに振り返る。
クロはその場で、石像のように立ち尽くしていた。
「……ど、どうして、こんなところに――」
遠くに見える洞窟の出口に、二つの人影が揺れていた。その影は次第に大きくなっていき、クロたちへ迫る。荒々しい足音と共に、獣とも人ともつかない禍々しい叫びが木霊する。
その異形の正体を、クロは知っていた。
身魂だ。




